第一章 二度目の搾取はお断り! 善行通販とポポロ村で始める大逆転スローライフ
『「お前のような無能は要らない」――それは前世と同じ、搾取の終わりの言葉だった』
「――ナツコ・クラウディア! お前のような地味で無能な女との婚約など、もはや我慢の限界だ! 本日この場をもって、貴様との婚約を破棄する!」
シャンデリアの眩い光が降り注ぐ、ルナミス帝国首都の華やかすぎる大広間。
数百人の名門貴族たちが集う季節の晩餐会において、その大音声は完璧な静寂を作り出した。
声を張り上げたのは、私の婚約者であるエドワード・フォン・ロマン伯爵嫡男だ。
金髪を艶やかに撫でつけ、絢爛な錦糸の刺繍が施されたジャケットを羽織った彼は、まるで悲劇の英雄気取りで私を指さしている。その傍らには、可憐なピンク色のドレスを纏った男爵令嬢が、私を嘲笑うように上目遣いで彼に寄り添っていた。
衆人環視の真ん中で、私はただ一人、ぽつんと立ち尽くしていた。
着ているのは、何年も新調してもらっていない、少し流行の遅れたくすんだ紺色のドレス。
(ああ……すごく、懐かしい味だわ)
冷ややかな視線とクスクスという忍び笑いが広間を満たす中、私は口の中に広がる猛烈な既視感に苛まれていた。
この苦くて、胃の奥がギリギリと痛むような不快感。
これは、前世で私が死ぬほど味わった『あの味』と同じだった。
私の前世は、日本のしがない中堅専門商社で働く限界社畜OLだった。
名前は……確か、佐藤夏子。
『佐藤さん、この決算資料の修正、今日の深夜二時までに終わらせておいてね。君、要領悪いんだからこれくらい当然でしょ?』
『課長、この新規取引先との契約、私が半年かけて準備した企画なのですが……』
『は? 何を言ってるの? これは課全体の成果であり、僕の指導の賜物だよ。君はただの事務担当でしょ。余計な口を叩かないで、明日の会議のお茶汲みの準備をして』
毎日、午前零時を過ぎても終わらない書類の山。デスクの隅に置かれた、冷え切った缶コーヒー。
自分の手柄はすべて口だけが上手い吉岡課長に横取りされ、ミスが起きればすべて私の責任にされた。
「いつか頑張れば報われる」「真面目に働いていれば誰かが評価してくれる」――そう自分を騙し続け、休みもなく働き詰めた結果。
私の二十八歳の人生は、ある冬の深夜、心臓を万力で絞り上げられるような激痛とともに、誰もいないオフィスで一人デスクに突っ伏して終わったのだ。
享年、二十八歳。勝訴も評価もない、完全なる搾取の果ての過労死。
死に際に思ったのは、悲しみではなく、底知れない徒労感だった。
(私の人生って、いったい何だったんだろう……)
――そして、気がついた時には異世界に転生していた。
ルナミス帝国。魔法と魔導技術が存在し、建国者が持ち込んだという「地球の知識」と異世界の文化が不思議に混ざり合った、この国で。
だが、生まれ変わった私の立場もまた、前世と似たり寄ったりだった。
衰退したクラウディア伯爵家の長女として生まれた私は、幼い頃から両親に「お前は地味で取り柄がない」「少しでも家の役に立て」と冷遇され、二十歳になった今、ロマン伯爵家のエドワード様との政略結婚の道具として差し出された。
そして、このエドワードという男こそが――前世のあのクソ課長と、寸分違わぬ『搾取男』だったのだ。
「聞こえなかったのか、ナツコ!」
エドワード様が、広間の天井に響き渡るような声で追い打ちをかける。
「お前はロマン伯爵家の婚約者でありながら、社交の場でも壁の花。愛嬌もなく、気の利いた会話一つできず、何の成果も出せない木偶の坊だ! 我がロマン伯爵領が今年、空前の税収増加と新街道の開通という偉業を成し遂げられたのは、すべて私の卓越した手腕によるもの! それに引き換え、お前は何一つ貢献していない!」
隣の男爵令嬢が「まぁ、エドワード様、本当にお労しい……そんな無能な方とお付き合いされていたなんて」と胸に手を当てて溜息をつく。
周囲の貴族たちからも、同情と蔑みの混ざった視線が私に注がれた。
「可哀想に、ロマン伯爵嫡男様はあんな地味な令嬢に足を引っ張られていたのか」
「見た目も地味だし、クラウディア家も落ち目だからねぇ」
――嘘ばっかり。
私は心の中で、冷ややかに呟いた。
成果を成し遂げたのは、エドワード様の手腕?
笑わせないでほしい。
今年度のアバロン魔皇国との国境付近における税制見直し。
旧来の複雑怪奇な関税計算を簡略化し、商人たちの滞留時間を三分の一に減らす計算式を弾き出したのは誰か。
通行料の暴落を防ぎつつ、流入する魔導物資の検品段取りを完璧に組み上げた書類の山。
膨大な羊皮紙の帳簿と連日格闘し、ローソクの光の下で眠気覚ましの苦い薬草茶を飲みながら、徹夜でペンを走らせていたのは――この私だ。
『ナツコ! この街道整備の予算案、数字が合わんぞ! 明日までに修正しておけ!』
『私、今夜はダンスパーティの約束があるからね。清書は全部やっておいてちょうだい!』
エドワード様も、彼の身勝手な家族も、面倒で専門的な実務はすべて私に投げつけていた。
私が前世の「段取り力」と「経理知識」を総動員して書類を完璧に仕上げると、エドワード様はそれをごっそり自分の鞄に詰め込み、王都の社交界で「私が発案した素晴らしい改革です!」と胸を張って触れ回っていたのだ。
前世の吉岡課長と、まったく同じ。
手柄はすべて自分のもの。苦労と実務はすべて私へ。
(本当に……人間って、世界が変わっても同じ愚かさを繰り返すのね)
言い返してやろうか、とも一瞬思った。
「あの税制改革の計算式、あなたが理解すらできていないでしょう?」「街道の資材調達の契約書、私の筆跡でサインされていますけれど?」と。
だが、言ったところで何になるというのだろう。
誇り高き貴族たちが集まるこの場で、落ち目の令嬢が叫んだところで「無能の苦し紛れの嘘」として処理されるだけだ。第一、この男に私の努力の価値を理解できる頭脳など最初から存在しない。
「ナツコ・クラウディア」
エドワード様は満足そうに顎を上げ、蔑むような目で見下ろしてくる。
「明日には、我がロマン家の屋敷から出て行ってもらう。着の身着のままでな! お前のような無能に、我が家の資産を一銅貨たりとも持ち出させるわけにはいかん! 貴様は己の無力さを恥じながら、どこぞの路地裏で野垂れ死ぬがいい!」
取り巻きの貴族たちがドッと下品な笑い声を上げた。
その時だ。
私の視界の右隅に、不自然な『光』がチラついた。
ん……?
半透明の、淡い光を放つ長方形の枠。
社交界の煌びやかな装飾でも、魔法の残光でもない。どこか現代的な、見覚えのあるデジタル風の画面。
【現在の善行ポイント:0 pt】
【ポイント通販ショップ:未解放(※解放条件:善なる行いにより100pt以上を獲得すること)】
(……なに、これ?)
視界の端に浮かぶ不思議なテキスト。
目を点滅させても消えない。私以外の誰も、この画面に気づいている様子はない。エドワード様も、男爵令嬢も、周囲の貴族たちも、ただ私を嘲笑することに夢中になっている。
【善行ポイント……?】
その言葉の意味を反芻した瞬間、胸の奥で何かが静かに、けれど決定的に弾けた。
前世の私は、理不尽に耐え続けた。
『私が我慢すれば丸く収まるから』『いつか誰かが気づいてくれるから』と自分を誤魔化し、他人に搾取され続け、最後は一人寂しく過労死した。
だが――今世でも、また同じ終わり方をしろと言うの?
嫌だ。
絶対に、嫌だ。
誰かの都合の良い道具になって、使い潰されて死ぬなんて、二度とごめんだ。
『置かれた場所で咲きなさい』という言葉がある。
けれど、私を植えようとしているこの土壌は、根元から腐り切っている。
なら――咲く場所くらい、自分自身の足で選んで何が悪いの?
「……わかりました、エドワード様」
私は静かに頭を下げた。
声が震えていないことに、自分でも驚いていた。
「え?」
予想外に大人しい私の反応に、エドワード様が一瞬だけ拍子抜けしたような顔を見せる。見苦しく泣き叫び、足元に縋りついて許しを請う私を期待していたのだろう。
「婚約破棄の件、謹んでお受けいたします。これまでのご愛顧、誠にありがとうございました」
私は完璧な貴族の礼を執った。
背筋を真っ直ぐに伸ばし、顔を上げる。その瞳に一切の未練も涙もないことを見て、エドワード様が不機嫌そうに眉をひそめた。
「ふ、ふん! 強がりを言っても遅いぞ! 後悔しても絶対に許してやらんからな!」
「後悔など、いたしませんわ」
私は静かに微笑んだ。
心の底から、一度だって後悔などするものか。
大広間の冷たい大理石を踏みしめながら、私は一人、クルリと踵を返した。
背しろに向かって浴びせられる嘲笑やヒソヒソ噂話は、もう私の耳には届かない。
(さようなら、無能な搾取者様。あなたの望み通り、私は私の足で出て行きます)
冷たい床の感触が、前世のあの深夜、意識が途絶えた瞬間の氷のような冷たさを思い出させる。
だが、今の私の胸の奥には、前世にはなかった小さな、けれど消えない決意の火が灯っていた。
(もう二度と、我慢なんてしない。二度目の人生は――私が、私のために生きてやるわ!)
トランク一つと、視界の端で怪しく光る【0 pt】の画面を携えて。
社畜令嬢ナツコの、本当の人生が今、幕を開けた。
読んでいただきありがとうございます。
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