3令嬢の優雅なる「介護」と、静寂を切り裂くポンコツの咆哮
その日、王立魔導学園の空気は、物理的な質量を伴って凍りついていた。
学園の回廊を歩くのは、この国の均衡を支える「三強」――冷氷、炎熱、雷鳴の三公爵令嬢。
数年前に八歳という異例の若さで学園を卒業し、現在は国家の相談役を務める彼女たちの「視察」は、学園側にとっては国家試験よりも緊張する一大行事である。
「……目障りよ。私と同じ空気を吸っていると思うだけで、内臓が凍りつきそうだわ」
銀髪を揺らし、周囲を氷点下の威圧感で射抜くのは、冷氷公爵令嬢レイカ。
その隣では、燃えるような紅蓮の瞳を細めた炎熱公爵令嬢メルカが、冷ややかに鼻で笑う。
「あら、それはこちらのセリフよ。あなたの安っぽい氷など、私の業火で蒸発させて差し上げましょうか?」
「ふん、二人とも相変わらず威勢だけはいいわね。私の雷鳴でその口、永遠に閉じさせてあげてもいいのよ?」
バチバチと火花を散らす雷鳴公爵令嬢ライカ。
三家の不仲は有名であり、彼女たちが揃えば「国が滅びかねない三つ巴の戦い」が始まると誰もが信じて疑わない。生徒たちは壁際に張り付き、震えながらその動向を見守っていた。
だが、彼女たちの背後で、ただ一人だけ顔を青ざめさせている少女がいた。
聖女候補生、エル。
三年前、偶然にも彼女たちの「裏の姿」を見てしまい、消される代わりにライカの直弟子(という名の隠蔽係)にされた、この学園で唯一の常識人である。
(……レイカ様、さっきからメルカ様に目配せして『今日のおやつ、あそこの新作ケーキにしない?』ってサイン送るのやめてください。あとライカ様、怖い顔してますけど、さっきから小声で『ルルちゃんまだかな、早く会いたいな』って呟くの漏れてますから!)
エルの胃は、今日もストレスで悲鳴を上げていた。
その時、静寂を切り裂いて、明るすぎる声が響き渡った。
「皆さん! 今日も仲良く喧嘩してらっしゃいますね! 愛の力で解決しに参りましたぁ!」
回廊の先から、キラキラと(無駄に)聖なる光を撒き散らしながら走ってくる少女――現聖女、ルル。
そしてその隣には、必死の形相で彼女を追いかける青年、**アレバート・デミ・グラース4世(通称アルト王子)**の姿があった。
「待ってくれルル! 三公爵令嬢の間に入るのは危険だ! 君の身は、この僕が命に代えても――あだっ!?」
アルト王子は、何もない平坦な床で自分のマントの裾を踏みつけ、見事なスライディングを決めた。そのままの勢いでルルの足元に突っ込み、二人揃ってレイカたちの目の前で盛大に転倒する。
「……あいたた。アレス様、大丈夫ですか? あ、レイカ様! お久しぶりですぅ!」
鼻の頭を赤くしたルルが、三人の冷徹な視線(演技)を浴びながら、満面の笑みで立ち上がる。
「不敬ですよ、聖女。私の視界に、泥にまみれた姿で現れるなど」
レイカは冷酷に言い放つ。だが、その指先は密かに動いていた。
レイカが放った「氷の魔力」は、ルルが転んだ際に破れたスカートの裾を一瞬で凍らせて固定し、露出を防ぐ。
さらにメルカが「忌々しい」と地面を叩いた衝撃は、実はアルト王子が床にぶつけた膝の痛みを消すための「地脈マッサージ」として機能していた。
「ひぃぃっ! 申し訳ありません、三公爵令嬢のお三方! 悪気は、悪気はなかったんです!」
アルト王子は、ライカが「やかましいわね」と放った威圧(実は背後の暗殺者の気配を吹き飛ばした風)に怯え、キレのある土下座を披露した。
「……いいわ。アルト王子、その惨めな姿で聖女をエスコートしなさい」
ライカは呆れたように言い捨てて、歩き出す。
周囲の生徒たちは「なんて過酷な……」「あのポンコツ二人は、三令嬢に命を狙われているのでは?」と囁き合っている。
(……四年経っても、何も変わらない。世界最強の三人が、世界一残念な二人を、全力で『悪役』になりきって介護している……)
エルは深く、深く溜息をついた。
記憶を消せればどれほど楽だろうか。だが、三令嬢のポリシーは「あくまで現実の理の中で完璧に欺くこと」。
背後では、影のように控える準公爵令嬢たちが神業を繰り出していた。
シズクが空間を僅かに歪めて、野次馬たちが「今のルル様の醜態」を直視できないよう死角を作り、テラが土魔法でアルト王子の転んだ痕跡を「最初からそこには段差などなかった」かのように平らにならす。そしてナギが風を操り、周囲に漂う「三令嬢の隠しきれない慈愛の魔力」を、不吉な風の音でかき消していく。
「……行くわよ、エル。ボーッとしてないで、早くきなさい」
ライカの鋭い声。だが、その瞳の奥には「早くお茶会で今日のルルちゃんの感想戦をしましょう!」という、隠しきれないワクワクが透けて見えた。
「は、はい! ただいま!」
エルは震える声で返事をし、聖女の皮を被ったポンコツを、デミグラスの名を冠した王子を追いかける。
五十年に一度の結界の儀式まで、あとわずか。
世界最強の隠密介護チームによる、国家存亡をかけた(?)壮大な茶番劇は、今日も絶好調で幕を開ける。




