8-2
「先生、御準備を」
「……ああ。今行く」
俺はぐったりした身体に鞭を入れるために机の上の栄養ドリンクを一気に飲み干した。できることならこの場で爆睡したい。だが、悲しいかなそんなことを言っていられる状況では全くなかった。
議員会館の応接室には、既に岩倉が来ていた。心なしか、顔の皺が増えた気がする。
「酷い顔だな」
「それは君もだろう。……まあ、それも当然だが」
岩倉の言葉に俺は苦笑しつつ、冷えた緑茶を口にした。
「話は既に聞いてるな」
「……最悪の事態だ。しかも、脅威は去っていない」
俺は頷いた。ペルジュードのうちの1人、エオラという女が逃走したという。綿貫の言葉を信じるならば、海外に逃げた可能性が高いという。
「海外に協力者がいるというのは全くの想定外だな。公安の方で、そこは調べてるのか」
「五島君に調べてもらっている。ただ、正直さっぱりだ。仮に海外のどこかの国が異世界の存在を既に把握していたとしたら、間違いなくそれは最高国家機密だろうからな。こちらの公安に漏れるような情報管理体制でない限りは、知る由もない」
「うちのガバガバな情報管理体制ならまだしも、か」
「……その辺りは政治に動いてほしいものなんだがな」
俺は溜め息をついた。イルシアの存在は既に海外に知られている。既に諜報員が秩父に赴いていてもおかしくはない。
「こちらにとっての救いは、ムルディオス・べルディアこと猪狩一輝を確保したという点なんだが……イルシア側が手放そうとしてない」
「どうしてだ?猪狩は確かに異世界から来た人間だが、こちら出身でもあるのだろう??しかも事件を起こしたのは日本国内だ、身柄をこちらに移送するのが筋じゃないのか??」
岩倉にしては珍しく語気を荒げている。無理もないが、イルシアにはイルシアなりの事情がある。俺はさっきよりさらに大きめの溜め息をついた。
「……猪狩は魔法を使う。触れた人間を即座に消し去るとか、そういうやつらしい。それで滝川一尉らは殺された。銃も効かない。本人のスペックも込みで怪物といって何の差支えもない。
そして、その魔法を封じられる設備はイルシアにしかない。移送しようにもできないんだよ」
「つまり何か?猪狩は私たち警察の手には余ると??」
「平たく言えばそういうことだ。ただ、事情聴取をイルシアで行うことはできる。そこは、イルシアの連中の考え一つだ」
「彼らはこちらに協力的なのだろう?そもそも、ペルジュード対策班にはイルシアのノア君もいる」
「……まあ、そうなんだがな。ただ、交渉は必要だ。それに、向こうの警戒心も大分強まっている。上手く協力していかないとな」
俺はさっき綿貫から受けた報告を思い返していた。イルシアに対するイメージ戦略を始める考えであるらしい。
曰く、「イルシアを弾圧を受けた難民としてアピールする」という。それは間違いではないが、さりとてペルジュードの残党に対する恐怖心を拭うわけではない。世論がどこまでついて来るかは、正直疑問だ。
「分かった、町田君を通して対応しよう。関内にいるペルジュードの女からの事情聴取も引き続きトライする。ところで、明日の会談は」
「決行する方向だが……厄介なことに、石川総理が出たがっている。心底困ってる」
「石川……まだ辞めるつもりがないのか」
「彼の言う『国難』が今そこにあることをアピールしたいらしい。つくづく頭の腐った男だよ」
俺は緑茶を飲み干した。本当にあの男には困り果てている。衆院選でも参院選でも大敗した不人気っぷりにも拘わらず、「私には使命がございます」と一向に辞める気配がない。
自衛隊員死亡のニュースはまだ公にしていないし、浅尾副総理の所で止めている。だが、もし知ったら自分の存在をアピールするために絶対に出張ってくるはずだ。それを断り切るには、こちらには権限がない。
「でも、明日奴を出さざるを得ないだろ」
「……ああ。彼からしたら、自衛隊員が4人死んだことはこの件をグリップしている俺たち浅尾派の落ち度だ。それでイニシアチブを奪いに来る可能性が高い」
「いいのか、それで」
よくはない。それに、石川という男とイルシアの人々の間に信頼関係が築けるかと言われれば甚だ怪しい。あのジュリという子は、多分人の心が読める。権力欲……というより、歪んだ使命感で動く石川を彼女が拒絶しても何も驚かない。
俺は目をつぶり考えた。……石川を止めるなら、これか。
「……実は、イルシア側が動画で情報公開しようとしている。綿貫はGOと言ってる。イメージ戦略的にはありっちゃありだが、世論を動かすには足りないと思ってた。だが、今すぐやるなら話は別だ。政府発表前に、イルシアを動かす」
「君は政府の人間だろう?そんなことをして許されると思ってるのか」
「俺たちの関与が表に出なければ何の問題もない。『文明の利器を手にしたイルシアの連中が勝手にやったこと』と知らぬ存ぜぬを通せばいい。
イルシアサイドには『MSコンサルティング』なるPR会社が付いたらしい。明日の会談からPR戦略を打つ考えだったらしいが、それを会談前に前倒しさせる」
「そんなことができるのか?」
「やってみなければ分からんさ。まあ、『情報開示が遅れた』ということで政府は袋叩きになるだろうが仕方ない。そして、イルシアから対話相手を指名させる。『信頼関係がある人がいい』ということで浅尾副総理を指名させれば、石川は出られない」
「……無茶苦茶するな。石川総理が黙ってないぞ」
「まあ、その時はその時だ」
石川は愚鈍ではあるが、それでも何かしら逆襲の手は打ってくるだろう。だが、奴にこれから来るであろう海外からの危機は対処できない。確信めいたものがあった。
そのためには、少なくともイルシアについては俺たちがハンドリングし続けるべきだ。そのためには、打てる手は全て打つ。
俺はスマホを手に取った。連絡先は、綿貫恭平だ。
「もしもし」
「俺だ。今からすぐに現地に向かう。お前が言っていた、MSコンサルティングの社長も呼び寄せてくれ」
「何をするつもりですか」
「イルシア御柱による緊急オンライン会見だ。そっちにも話はしておいてくれ」




