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8月16日。本来なら盆休みでどこぞの南国で羽を伸ばしている季節にもかかわらず、あたしはオフィスに籠って目の前のPCとにらめっこしていた。
画面に流れているのはこの前の動画——イルシアの「王様」が自国の存在をカミングアウトし、バズりにバズったアレだ。
この件については、最低限の編集しかやっていない。素人が出したアイデアとしてはまあまあよくできている。だが、世論を動かすには足りない。世論誘導に対する世間の目が厳しくなっている昨今、もっと巧妙にやる必要がある。
あたしは濃く作ったコーヒーを口にし、ふうと息をついた。今スタッフは誰もいない。休日返上で、あたしだけが今後の戦略を練っている。
綿貫君からの強い要望がなければ、決して受けなかった案件だ。彼が昔の男――というよりセフレであり、現在の上得意というのは受けた理由としてなくはない。彼を女性不信気味にさせた原因の一端があたしにあるという負い目も、まあある。
だが何より、この案件はドデカいヤマになるとあたしは踏んだ。
あたしは、PR会社「MSコンサルティング」の社長だ。世にある様々な物事やサービスを世間に向けてアピールする、分かりやすく言えばそれが生業だ。
とはいっても世論を誘導し、買わせたいものを買わせ、流行させたいものを流行らせるだけがPR会社の仕事ではない。むしろそんなものはPR会社の仕事としては小さなものだ。
大手のPR会社はそんなちゃちな案件は無視し、大きな案件に絞る。その一つが大手企業が不祥事を起こした際、どうすればダメージを最小限に抑えられるかの指導だ。
もっと大手になると国に食い込み、大衆が知らないうちに世論を形成し、重要な政策を実行に移させる。アメリカの某PR会社が戦争に対するイメージ戦略を展開し、某国への侵攻に対する世論の支持を取り付けたのはその典型とも言える。
あたしの会社は、まだできてそう間もない。アーコン・コンサルティングから独立して3年。ようやく幾つかの芸能人やインフルエンサーとのコネクションができ、企業の商品についての案件を手掛けられるようになった程度だ。
綿貫君のプロデュースも、将来の政界に対する展開をにらんだものに過ぎない。だから彼からこの案件――イルシアについての案件を持ち掛けられた時は正直驚いたし、事業拡大に向けた絶好機と感じたのだった。
ただ、いざやろうとすると相当に難しい。世間に売り込むのは「異世界」だ。確かに世間はこの上ない関心をそこに注ぐだろう。
だが、やり方を一つ間違えると彼らはただ新奇性があるだけの「パンダ」になりかねない。それだけはやめてくれと、綿貫君も念を押していた。
幸い、その「王様」であるあのジュリって子は相当な逸材のように見えた。アイドルでもまずあのレベルのルックスはいない。しかも何故か日本語が喋れる。コミュニケーション面での不安はなさそうだった。
あの素材をどう生かすのか。そしてそれ以外の人々をどう使うか。あたしは目の前の動画を見ながら、考えを巡らせていた。
その時、手元のアイフォンが鳴った。綿貫君からだ。
「もしもし」
「すみません、綿貫です。少し、話せますか」
声が切羽詰まっている。彼にしては相当に珍しいことだ。あたしは右手に持っていたアイフォンを左手に持ち替え、メモの準備をした。
「いいわよ。何かあったの?」
「先ほど、イルシアが襲撃されました。自衛隊の死者が4人出ています」
「……何ですって?」
襲撃?確かに綿貫君からもらったレポートには、イルシアを追っている異世界からの刺客が存在しているらしいとはあった。彼らのことかと訊くと、短く「そうです」と返ってきた。
「襲撃してきたペルジュードのうち、リーダー格の1人は確保、もう1人は死亡しました。ただ、自衛隊員が死んだことは相当に重いと思ってます。それも4人も」
「イルシア側の被害は?」
「一応ゼロです。ただ、城が相当に壊されてる。明日、浅尾副総理がこちらに来ることになってますが……実行できるのかどうか」
「まさか、まだ襲われる可能性があるわけ?」
「……1人逃げた可能性があります。それも、日本国外に」
あたしは気持ちを落ち着かせるためにコーヒーを一気飲みした。強烈な苦みが頭を冷ましてくれる。
にしても、想定を大きく上回る異常事態だ。それも、これからプロデュースを始めようかというこの時期に。
「日本国外……まさか、他国に協力者がいるってこと?だとしたら、ちょっと洒落にならないわよ。イルシアが安全保障上の脅威になりかねない」
「ええ。だからこうやってまゆみさんに連絡を取ってるんです。世論の支持を、極力早く強固に作り上げないといけない」
あたしは思わず空になったコーヒーカップを手に取り飲もうとした。流石にあたしも正気を失いかけているらしい。
「あたしにできることなんてないわよ」という弱音を思わず吐き掛け、それを飲み込んだ。これは絶好機なのだ。これを逃したら成り上がる機会は失われる。
だが、どうやって切り抜ければいい?あたしは大きく息を吸った。……まず必要なのは情報の整理だ。
「繰り返すけど、イルシア側の人的被害はゼロなのよね。そして、そちらの防衛体制に瑕疵はなかった」
「はい。僕らもできることはやりました。僕自身が何かできたかは別として」
「OK。そして、襲撃の跡も残っていると」
「そうですけど……何をするつもりです?」
あたしは思考を最高速度で巡らせた。世間のイルシアに対する印象はまだ定まってはいない。正体不明の美少女がトップにいる謎の集団とは認識されていても、彼らが何者なのかという情報は広く共有されていない。
そもそも政府が情報を絞りに絞っている。それは綿貫君を含めた彼らがイルシアをコントロール下に置きたがっていることからすれば当然だろう。
そして、これは好機でもある。情報の非対称性こそが、PRにおける武器だ。先に情報を発信し印象を世間に刷り込ませてしまえば、それを覆すのは簡単ではない。
これが綿貫君の意に沿うことなのかは分からない。ただ、少なくともあたしにとっては間違いなくチャンスだ。
あたしは思わず笑みを浮かべ、綿貫君に告げた。
「明日の会談、あたしに撮影許可を頂戴」
「……は?いや、マスコミは完全排除の予定ですよ?それはあなただって例外じゃ……」
「そう言うだろうと思った。ならイルシア側の許可を取るまでね」
「……!!?何言ってるんです」
「イルシアだって一応は主権国家なわけでしょ?とすれば、日本国の許可がなくてもイルシア側の人間として許可を貰えればそれで十分じゃない?」
綿貫君が黙った。理屈で負けると黙るのは、彼の昔からの癖だ。
あたしは「ふふ」と笑って話を続ける。
「だからイルシアのジュリって子か、その彼氏君にコンタクトを取りたいのよ。多分、できるでしょ?」
「……できるにはできますが。何をしようと言うんです」
この手を使うのはあまり好きではない。だが、環境が一通りそろっている。やるなら、盤上この一手だ。
「被害者ビジネス。『かわいそうな難民』としてのイルシアを、徹底的に打ち出す」




