4-7
川越から車を飛ばすこと小一時間。田園調布の閑静な高級住宅街の一角、木々の間にその邸宅はあった。築50年は経っているであろう古い洋館が月明かりに照らされている。
「郷原はここで待っていてくれ」
少し離れた場所に車を停めさせ、僕はアムルと一緒に降りる。その直後、車内では終始にこやかだった彼女の表情が鋭いものに一変した。
『……これは』
「どうした」
『相当な魔力の持ち主がいますわ。それも2人』
「……2人?」
コクンとアムルが頷く。1人は「田園調布の魔女」で間違いない。だがもう1人いるなんて全く知らない。
「どうして分かるんだ」
『これぐらい強力な魔力の持ち主だと、近付けば気配は分かりますわ。多分、向こうも気付いていますわ』
一気に背筋が冷たくなった。
「本当か」
『間違いなく。行きますの?』
「君の考えを知りたい。僕は魔力とかそういうのはさっぱりだ」
『……もし2人が攻撃を仕掛けてきたら、貴方を守れる自信はありませんわ』
それほどなのか。アムルはイルシアでは最高レベルの魔術師と聞いていたが、その彼女がここまで言うとは。僕らはここで退くべきか?
……いや、次来た時はさらに警戒をされるだろう。そもそも、向こうもいきなり僕らを殺しに来たりはしまい。まずすべきなのは、話し合いだ。
「分かった、行こう」
『本気ですの?』
「この国の諺に『虎穴に入らずんば虎子を得ず』というものがある。何かを得ようとするなら、リスクを負えということだ。それに、事態は一刻を争う。一回逃げる余裕なんてない」
「柳田」と表札のある洋館の入口付近には、案の定監視カメラが複数ついている。呼び鈴を押して出なかったらどうするか。もし居留守を決め込まれたら……流石に厳しい。
ただ、僕たちがただの訪問者ではないことぐらいは、向こうも気付いているはずだ。ひとまず会ってみようという気になることに、僕は賭けた。
インターフォンを鳴らす。10秒ほどして「……はい、柳田ですが」と男の声が聞こえた。「魔女」には同居人がいるのか。
「衆議院議員の綿貫恭平と申します。父が生前、そちらにお世話になったと聞いております。少しだけ、お時間頂けますでしょうか」
「分かりました」とインターフォンが切れる。2分ほどした後、洋館の門の扉が開かれ背の高い青年が現れた。「柳田です、こちらにどうぞ」と僕たちを屋敷に招き入れる。この夏に長手袋をしているのが、妙に気になった。
アムルを見ると、どこか緊張した面持ちとなっていた。この青年が魔力持ちの1人か。見たところまだかなり若い。成人してないのではないかとふと思った。
リビングに通され、ソファに座るよう促された。青年の目つきは鋭い。
「どうしました、アポなしで来られる方はほとんどおりませんが」
露骨に疑っているのが分かる。私は一呼吸置いて答えた。
「あなたの方こそ、アポなしの私たちをどうして屋敷に?後ろの彼女の存在、ですか」
柳田という青年がチラリとアムルを見た。
「綿貫さんのことは既に聞いております。そして、後ろの女性がイルシアの人間ですか」
「……!!やはり、既に大河内先生から話は行っていたわけですね」
「大河内議員とボクたちの繋がりを、どうして知っているのですか」
「父の日記からの推測ですよ。もしや、と思って訪ねたわけです。いるのですよね、『田園調布の魔女』」
「……ボクとメリア様を、どうするつもりだ」
柳田から強い威圧感を感じた。僕の隣のアムルも、柳田を険しい表情でじっと見ている。これは危険だと思い、咄嗟にアムルを制した。
「アムル、落ち着け。……柳田さん、私たちはあなたたちに危害を加えるために来たわけじゃない。むしろ、助けを求めにきたんです」
「……助け?」
僕はイルシアの置かれている現状やペルジュードの存在をかいつまんで説明した。一通り話し終わると、柳田は「ふう」と息をつく。
「……要は、魔力欠乏症をどうにかしたい、ということですね。そして、その解を持っているであろうボクら……メリア様に会いに来たと」
「そういうことです。お願いできますか」
「少し、相談に行かせていただいてよろしいですか」
リビングには僕たち2人が残された。柳田なる青年は、思いのほか話せる人物のようだ。ひょっとしたら市川とそれほど年齢が変わらないのかもしれないが、これは助かったかもしれない。
アムルを見ると、まだ表情が硬い。「どうしたんだ」と訊くと、『禍々しい何かを感じますわ』と答えた。薄っすらと汗が滲んでいるのが分かる。
「禍々しい?」
『……ええ。魔力には、それぞれ人によって『質』が違いますの。例えば貴方からは甘い香りがしますけど、この奥にいる人間は違う。……とても濁った、恐ろしい感触がありますわ』
「それは、どういう意味なんだ」
『魔力は人を移す鏡ですの。恐らく、向こうにいる人間——『魔女』は、人を多く殺していますわ。そういう魔力の質をしている』
人を殺している?この日本で、バレずに人を殺せるものなのか?
だが、魔法のことを僕は全く知らない。そのぐらいのことはできる人物なのかもしれない。だとしたら……僕らは虎の尾を踏んでしまったのかもしれない。全身から汗が噴き出る感じがした。
しばらくして、柳田が戻ってきた。心なしか、青ざめた表情をしている。
「こちらに。『謁見』の許可が下りました」
「分かりました。よろしくお願いします」
アムルも立ち上がろうとすると、柳田は「貴女はここに残って下さい」と告げる。一気に、嫌な予感が強まった。
『……どういうことですの』
「メリア様と同じ魔法——『念話』ですね。貴女は同行を許されていない。お待ちを」
『答えになっていませんわ。どういう……!?』
アムルの動きが、まるで何かに縛られているかのように急に止まった。
『貴方っ……!!!』
「いいからそこで待つんだ。ボクも、あまり手荒なことはしたくない」
アムルは立ち尽くしたまま動けないでいる。しまったと思ったが、これは完全に後の祭りだ。これでは彼女を連れて来た意味がない。
僕は俎板の上の鯉だ。ここから先、頼りになるのは自分の舌だけということか。心臓の鼓動が早くなる。今までの28年の人生で、最大の危機が訪れたことを僕は察した。
柳田は2階へと上がる。そして彼がある部屋のドアを開くと、甘ったるい花の香りがぶわっと鼻腔を刺した。
そこにあったのは、天蓋付きのベッド。空調が良く効いた部屋のそこかしこに花が飾ってある。アロマも炊かれているのだろうか。
そして、ベッドを見ると……40ぐらいの痩せた金髪の女が横たわっていた。かなりの美形だが、どことなく近付きにくい険しさも感じさせる。見た目からして日本人ではない。……この女が「魔女」か。
女の目線が、こちらに向いた。
『近こう寄れ』
「念話」だ。僕は柳田と共に、歩を進める。その一歩一歩が、とてつもなく重いものに感じられた。
『そなたが、綿貫か』
「……はい。綿貫恭平といいます」
『あのうつけと同じ苗字じゃな。息子か』
うつけ?親父とこの女に何があったというのだ。
訝しく思いながら、僕は「はい」と答えた。
女は『ククッ』と嗤った。
『因果なものよのお。妾の言うことを聞こうとしなかった男の息子が、こうして頼みごとに来るとは』
「……父と貴女との間に何があったかは存じ上げません。ただ、私たちにとって頼れる相手は限られています。貴女が『異世界』から来られたことも、薄々知っております。だからこそ、助言をお願いしたく」
『助言とな。魔力欠乏症の防止策、と聞いておる。そんなことは簡単じゃ。餌をくれてやればいい』
僕はゴクンと唾を飲み込んだ。この女は、「餌」として何人も殺しているのだろうか。
「魔女」が『ククク』とまた嗤った。
『そのようなことなどするわけがなかろ?ただ、限界ギリギリまで魔力を吸うだけじゃ。まあ、その結果免疫は落ちるから結果として死んだ者は多かろうがの』
思考を読まれた??いや、それも衝撃的なのだが、まさか最後の言葉は……
震えそうになる身体を、僕は必死に抑えた。内心の動揺を悟られるな。
「……しかし……それだけでは貴女がその若さで何十年も生きてこれたはずが……」
『聡いのお。そう、その通りじゃ。妾には『主食』がおる。のお聡一郎』
柳田が青ざめた表情で頷く。この青年が、魔力供給を担っているのか。
「……はい。ボクたち一族は、メリア様に代々お仕えする定めですから」
『うむ。こやつら一族が、妾を支えておる。聡一郎はまだ未熟者じゃがの。
それで、イルシアの魔力欠乏症の話じゃな。その答えは実に簡単じゃ。さっきも言った通り、『餌』となる人間を差し出せばそれで済む』
この女……マトモじゃない。そんなことが、できるはずもない。
「魔女」はまた『クククク……』と嗤った。
『そなた、妾を『マトモではない』と思ったな?あのうつけもそうじゃったよ。そして、妾に歯向かいおった。だから、『餌』にしてやったのじゃよ。この国の為政者には、たまにああいう身の程知らずがおる』
……もう間違いない。親父はコロナで死んだが、その遠因に免疫力低下があるとするなら……
目の前にいるこの女は、僕の親父の仇だ。




