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ド田舎無職の俺の近所に異世界の国が引っ越してきた件  作者: 藤原湖南
第3章「開城高校3年生 市川朝人」
35/176

3-4


「さて……と」


俺はスーツのネクタイを締め直した。このクソ暑い中、長袖を着るのを強いられるのは流石にしんどい。

それでも、カジュアルな格好で向かうわけにもいかなかった。今回会うのは、そういう相手だ。


『……こんな高い建物があるなんて』


ノアは警察庁が入っている中央合同庁舎第2号館を見上げた。勿論、この程度の高さのビルなんて新宿とかに行けば腐るほどあるのだが、異世界からやってきた彼女にとってはこれでも相当な高さに見えるようだ。


「感動してないで早く入ろう」


『う、うんっ』


俺は受付で岩倉氏とアポを取っている旨を伝える。警備局公安課に彼はいるようだ。

エレベーターに乗ると、ノアが『箱が動いた!?』と叫んだ。比較的この世界にも慣れたと思ったが、まだこういった街中に出すのは厳しいのかもしれない。


「落ち着け。奇妙に見られるぞ。それに……」


同じエレベーターに乗っていた何人かは、ぎょっとした表情でノアを見ている。彼女が叫んだからだけじゃない。「念話」の発動で、彼女の思念が直接脳内に届いてしまったのだ。


『……ごめんなさい。気を付ける』


「そうしてもらえると助かる」


彼女のとの会話は全て「念話」で行っている。それはとても便利なのだが、こうやって騒ぎになるリスクと裏腹だ。

川越市場に連れて行ったときには極力口を開かせないようにしていたが、これからはそうもいかない。互いの言語を学ばないといけないな。


エレベーターの扉が開き、俺たちは公安課へと向かう。公安というと秘密主義のイメージがあったが、その元締めはごく普通のオフィスだった。

入口にて岩倉公安課長を呼び出すと、会議室を取ってあるとのことで別室へと案内される。この部屋も、ソファーも何もないごく普通の個室だ。敢えて違うところを言えば、随分と狭いというくらいか。


数分待つと、頭がやや禿げあがった小男が現れた。「遅れて申し訳ない」とヘラヘラした笑顔を浮かべている。この男が、公安の元締めなのか?


「こちらこそお忙しいところすみません。町田智弘です。名刺は無職のためありませんが、ご勘弁を」


「ああいやいやお気遣いなく。岩倉克美といいます。よろしく」


差し出された名刺には「警視正 岩倉克美」とある。言うまでもなく、いわゆるキャリア採用なのだろう。


「どうぞおかけになって。そこの女の子が、噂の」


『女の子じゃありません。女性と言ってくださいませんか』


ノアが鋭い視線を岩倉警視正へと向ける。「おっと失礼」とおどけた様子で、彼は笑った。


「大河内君から話は聞いていますよ。貴女が、ノア・アルシエルさんですね。異世界から来たと聞いています。そして、その保護者が貴方、町田さんという理解でよろしいですか」


「保護者、というと少し違いますが。協力しているのは確かです」


俺は岩倉警視正をじっと見た。にこやかだが、肚の底が読めない。こういう相手に手の内を曝け出すのは危険だと、商社時代の経験から学んでいた。


「そうですか。何にせよ、これから貴方たちとは色々一緒にやっていかねばならない。イルシアという『国』に差し向けられた刺客の確保には、貴方たち――特にノアさんの助力が不可欠なのですから」


ノアは険しい表情のまま、黙って岩倉警視正を見ている。彼女もまた、この男を警戒しているのかもしれない。


『単刀直入に聞くわ。あたしたちに、何をしてもらいたいの』


「……追っ手への対応の助言です。ただ、前線に出てもらおうとは思っていません。貴方たちは一般人ですから」


『助言程度で何とかなるような甘い相手じゃないわ。その気になれば、一瞬で百人以上を殺せる化け物よ。それに、あたしもペルジュードのうちたった2人しか知らない。それにしたってその能力の全貌を知ってるわけじゃない』


「……一瞬で百人以上」


岩倉警視正から笑みが消えた。事態の深刻さを悟ったようだ。


『この世界の軍隊がどれほどの力を持ってるのかは知らない。多分、モリファス正規軍に比べたら遥かに強いんだと思う。

でも、あいつらは別よ。たった数名でも一個大隊を相手どれる怪物なの。そういう連中が相手だと知った上で動かないと、取り返しがつかないことになるわ』


「……なるほど」


岩倉警視正は両手を組んで「ふう」と息をついた。そして、視線を俺の方へと向ける。


「君は、公安がどういう組織か知っていますか」


「ある程度は。反政府団体の監視、テロの抑止、北朝鮮などの国家の対日工作監視……そういった役割を担っていると」


「ほう」


少し岩倉警視正が驚いたような表情を見せた。そしてさっきとは少し違う、「ニヤリ」とした笑みを浮かべる。


「一般人にしてはよく知ってますね。大体は、公安というと『悪の組織』だとか『スパイ』だとか言うんですけどね」


「何が言いたいんですか」


「公安というのは、犯罪者の逮捕を主目的とはしていないということなのですよ。監視と抑止こそ、公安の役割です。

我々警察の仕事は、その多くが犯罪者が犯罪を起こしてからでなければ動けません。いわば『手遅れ』なのです。しかし、公安は違う。絶対に起きてはならない犯罪を、未然に食い止める。

そういった取り組みの多くは、決して目に見えない。ほとんど誰からも称賛されない、割に合わない仕事です。しかし、多くの人々が平穏に暮らすためには必要な部署だ。貴方なら分かっていただけるかと思います」


「……今回の件も、そういう案件だと仰りたいのですね」


岩倉警視正が笑みを深めた。


「その通り。私が『逮捕』という言葉を使わなかったのは、そういうことなのですよ。彼らを無力化し、黙っていただく。

彼らが日本でこれ以上の致命的な破壊行為を行わせないためには、あるいはそちら側に『妥協』を強いることすらあるかもしれない。私が貴方がたを呼んだのは、そういう意味での『協力』の要請も込みということです」


『それはできないわ』


ノアが語気を強めた。


『連中が何より望むのは、『御柱様』の確保と連行だと思ってる。そして、それだけはできない。連中に、これ以上好き放題させてはならないのよ』


「貴女にとってはそうでしょう。だが、日本という国にとってはそうではない。我々にとっては、彼らが何もせずに『お帰り頂く』のであればそれでいいのです」


緊張感が部屋を包む。このままだとノアが席を立ちかねないと思った俺は「ちょっといいですか」と話の腰を敢えて折った。


「そもそも、ペルジュードの連中がどこにいるのか分からないことには話にもならないでしょう。そこは把握しているのですか」


「絞り込んでいる最中、とだけ申し上げておきましょう。昨晩、新宿バスパにいたことは監視カメラで確認済みです。その後にタクシーに乗り池袋方面に向かったことはNシステムで把握してます。ただ、池袋のどこにいるかは確認作業中です」


「池袋のどこか?」


岩倉警視正の説明を聞いて、俺はすぐに不自然な点があることに気付いた。ノアすらこっちの世界のあれこれには過剰反応を示している。勿論、土地勘なんてあるはずもない。

しかしこいつらは……明らかに違う。目的地を決めていて、そこに真っすぐに向かっている。それはつまり……


「……誰か匿う当てがある、そういうことですね。そして、ペルジュードには日本に詳しい協力者がいる」


岩倉警視正が渋い表情になった。


「そこに気付きましたか」


「ええ。警察の方で、心当たりは」


彼は無言で首を横に振った。


「全く。だからこそ、貴方たちの協力が必要なのですよ」


その時、ノアが何かに気付いたかのように『あっ』と声をあげた。


『そんな……まさか。あり得ない』


「どうしたんだ」


『あたしも色々考えた。このニホンにいる『異世界』関係者の誰かとペルジュードが組んでいるんじゃないかって。でも、もっと自然な仮定があった』


ノアが青ざめた顔で俺をじっと見た。そして唾を飲み込んで告げる。



『……ムルディオス・べルディアよ。あの男は、この国の出身なのかもしれない』



「何だって!!?」


ノアが震えながら小さく頷く。


『あり得ないと思った。メジアに来る『転生者』は、この世界から来た人間だと思ってなかったから。その多くは戦争か何かで殺された人たちばかりだった。こんな平和で豊かな世界から送り込まれたはずがないと思い込んでた。

でも、べルディアがこの国出身と考えるとしっくりくるの。べルディアは転生者であることが元々濃厚だった。そして、この世界の、この国から来た人間だとしたら……今まで見つかってない理由にもなってしまう』


「……土地勘があるからなのか」


『そう。そして、どうやったら身を隠せるかもよく知ってる人間だと思う。だとしたら……これは相当厄介かもしれない』


岩倉警視正は「転生者?」と呆気に取られている。そんな存在は、彼の想像の埒外なのだろう。


「……どういうことか、説明していただけますか」


「それは後です。確実に言えるのは、相手は思っていたより遥かに危険で狡猾だということです。猪苗代の事件発生から今日で3日目です。普通の人間なら、警察に追われているのにそれだけの時間身を隠すなんてできっこない。

可能性は2つ。べルディアという男――ペルジュードの隊長の『前世』の家族か友人が匿っているというのが1つです。ただ、べルディア以外に5人もいるのに、簡単に匿えるのかはかなり疑問です。余程大きな屋敷か何かあれば別ですが」


「……そういうことか」


サッと岩倉警視正の顔が青くなる。頭の回転が相当速い人間なのだと、俺は察した。


「ええ。もう1つの可能性は、ヤクザか誰かが匿っているということです。つまり、べルディアという男は、そういった裏の世界に通じている可能性がある」


「……本格的にまずいな」


岩倉警視正が黙り込んだ。そしてしばらくして俺とノアを交互に見た。


「事情は分かりました。これは確かに、下手に動いてはまずい案件なのかもしれません。刑事局の組織犯罪対策部とも調整しないといけない。

ただ、放置しては決してならない案件でもあります。貴方たち2人も組み入れた、少人数の特別対策チームを結成したい。音頭は私が取ります。よろしいですか」


俺がノアの方を見ると、彼女は首を縦に振った。やるしかない、ということか。


俺は岩倉警視正を見た。


「よろしくお願いします」




こうして、俺たちと「ペルジュード」の戦いの幕は切って落とされた。




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