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「まだ着かないのか」
「申し訳ありません」とハンドルを握る郷原が恐縮する。勿論、彼に言っても仕方がないのは分かっている。これはただ単に僕の苛立ちをぶつけているだけだ。
そもそも、今は8月の行楽シーズン真っ盛りだ。盆休みには入っていないものの、午前中のこの時間は道が嫌でも混む。花園ICに入る直前から渋滞になり、下道に入ってもノロノロ運転を強いられていた。
秩父までの道のりはほぼ国道140号の一本道だ。所沢から行くルートもなくはないが、距離的にはこちらの方が大分近い。どちらにせよ、時間はかかる。
後ろを振り返ると3トントラックが3台続いていた。イルシアへの食糧を積んだものだ。当初予定の1.5倍の量を確保したが、それでどこまでもつのだろうか。
当初予算は既に相当オーバーしている。だが、自分のことよりも現状をどう乗り切るかだ。あまりに早過ぎる増援の話に、俺は頭をフル回転させていた。
イルシア側の防衛体制を強化するといってもたかが知れている。精々、食糧と水を十分に与えてベストの状況を整えるぐらいだ。向こうの到着が今日とか明日なら、自衛隊の派遣もまず間に合わない。それにはどう考えてもあと1週間以上は要る。
……打開策があるとすれば、父が遺した日記にある「魔女」との接触だ。大河内議員は恐らく彼女と会っている。そして、彼女が強力な魔法使いであろうことも察している。彼女を味方に付ければ、何とかなるものなのだろうか。
幸い、彼女の居場所は凡そ見当がつく。田園調布にある「柳田」という名字の家を調べれば、そう時間もかからず特定できるはずだ。その「魔女」とやらとイルシアとの関係次第では、当面は乗り切れるかもしれない。
渋滞で遅々として進まない車内の中、スマホが震えた。……町田からだ。
「もしもし」
「食糧搬送中すまない。今、少しだけ時間取れるか」
「問題ない。というか、多分この分だと1時間はかかるな。そっちこそいいのか?警察庁に向かう道中なんじゃないか」
「少し早めに着いたんでね。一つ朗報かもしれない。俺の推測だが、向こうの世界からこっちに来ているのは味方の可能性が高いな」
「本当か!??」
思わず大声が出た。町田は「落ち着けよ」と苦笑する。
「現状、確証はない。ただ、ノアの話を聞くに向こうからこっちの世界に人を送り込めるのは2人しかいないらしい。単独だと1人——モリファスに属するノアの父親だけらしい。もう1人はイルシアを転移させたノアの母親だが、こっちは誰かの力を借りなきゃいけないそうだ。
で、イルシアと敵対関係にあるモリファスから送り込める人物はごく限られていると聞いた。そもそも、最高戦力であるペルジュードを送った直後に誰かを送る意味がない。軍隊を丸ごと送るには相当時間がかかるらしいしな」
「つまり、誰かを送り込むなら母親の方というわけか」
「そういうことだな。母親はイルシア支援を別の大陸に求めたらしい。その大陸のことはノアもほとんど知らなかったが、そこにいる人物がイルシア支援に向かった可能性は結構あると思う。
勿論、父親が単騎で乗り込んでくる可能性は捨てきれないけどな。ペルジュードが動いている中でわざわざその上が来るかというと、俺は疑問に思う」
なるほど、筋は通っている。ただ、町田の推測通りだとしても本当にこっちに来るのは味方なのだろうか。
都合のいい話はまず疑ってかかるのが政治家の性だ。町田は性善説に立ちがちだが、その見通しの甘さは致命傷にもなり得る。その別の大陸の人間が、悪意をもって動いていないという保証はどこにもないのだ。
「……だとしても警戒態勢は緩められないな。こちらはこちらでできることをやっておく。そっちの話が終わったら連絡をくれ」
「分かった。よろしく頼む」
通話を切って、僕はふうと息をついた。状況は好転したようで好転していない。必要なのは、有事の際に抵抗できるだけの十分な武力だ。
しかし、イルシアの存在はまだ明かせない。つまり、自衛隊の協力が得られるまではあそこにいる近衛騎士団とやらは外の世界に出せない。結局は「魔女」との交渉次第ということになるのか。
そうやってまとまらない考えに唸っているうちに、レクサスは渋滞を抜けた。そこから程なくして、僕たちはイルシアに到着する。
『お待ちしておりましたわ』
「結界」の外には、アムルとかいうメイドの女が一人で立っていた。彼女が結界を解除すると、そこには食糧を運搬するために集められたと思わしき兵士たちがずらりと揃っている。
「遅れてすみませんでした。そちらの状況は」
『何とか……と言ったところですわね。間に合ってよかったですわ』
妖艶な微笑みを浮かべながらアムルが言う。こんな緊迫した状況だというのに、彼女だけはマイペースを崩していないようにも見えた。
「食糧の搬送は明日も行います。水の方は」
『まだ届いてませんわね。そちらの方にありますの?』
「一応、2トンほどは。ただ、多分全然足りないでしょうね」
『それでも構いませんわ。飢えないことが何よりですから。ゴイル様がお待ちですわ。どうぞこちらへ』
王城の方へと案内される。会議室には、ゴイルとガラルドとか言う大男、そしてシェイダというエルフの女が既に待っていた。
『遠路はるばる御苦労であった。心から御礼申し上げる』
「いえ……話は既に町田から聞いています。更なる外敵が来るかもしれないと」
『左様。ただ、何者かは見当がつかぬ。あり得るとすれば『大魔卿』だが……』
「町田からは、ノアの母親が差し向けたイルシアに対する増援の可能性もあると」
『なら良いのじゃが。どちらにも対応できるようにしておかねばならぬ。ペルジュードについてはノアに動いてもらうとしても、人員は不足気味じゃ』
ゴイルの視線がガラルドとシェイダへと向けられる。ガラルドは忌々しそうに首を振った。
『本来なら俺が出向いてぶっ殺せばいいだけの話なんだけどな。ただ、この世界に混乱を与えないようにするにはそれもできねえ。
ノアのことを信頼してねえわけじゃねえが、あいつ1人でペルジュード6人を相手にするのは無茶だ。特にべルディアは俺でも勝てる自信がねえ』
『そうね。だから自由に動ける戦力がもっと要る。特に『大魔卿』がこっちに来るのならば、イルシアの存在が露見する危険性を負ってでも戦力を増強しないと……』
僕はゴイルを見た。
「そこで一つお尋ねしたい。この世界に、既に異世界から来た別の人物がいるということはご存知ですか?」
『……何っ!?』
その場にいた全員が驚愕した表情を浮かべた。
『そんな話は……初耳だぞ』
「恐らく、かなり確度が高い話です。この国には、『魔女』と呼ばれる人物がいる。その人物は亡くなった私の父とも面識があったようです。そして、恐らくは昨日こちらに来た大河内議員とも。
大河内議員は、その人物の意向で動いている可能性が高い。幸い、彼女はイルシアに対して害意を持っているわけではなさそうです。現状は、ですが」
『『魔女』……シェイダ、心当たりは』
ゴイルから話を振られたシェイダが『あるわけないですよ』と首を横に振った。本当に知らない人間のリアクションだ。
「少なくとも20年前、恐らくはもっと前から日本にいる人物のようです。幸い、彼女がどこにいるかは大体見当がついてます。
近日中にその人物の家を訪問したいと考えてます。そして協力を取り付けることができれば、イルシアにとってもかなりの助けになるのではないかと」
『本当か』
期待から身を乗り出すゴイルを、アムルが制した。
『その『魔女』とやらが本当に友好的かは分かりませんわ。少なくとも、交渉に出向くのはワタヌキさんご自身ではなくて?』
「え、ええ。それが何か」
『相手が魔導師ならある程度魔力から身を守ることが必要ですわ。お一人で向かうのは危ないかと存じます』
「いや、しかし……」
誰を連れて行くんだと口にしようとした瞬間、アムルが微笑んだ。
『私をお連れになってはいかがでしょう?』
『正気か!?』とゴイルが叫んだ。剣幕が只事ではない。
『お主、またそうやって『憑り殺す』のではあるまいな!?』
『今までの殿方では耐えられなかっただけですわ。それに、『先代様』亡き後私に魔力を注いでくださる人はいないのです。『御柱様』は、未熟に過ぎる』
『お主が力を維持し、生き抜いていくために必要な『餌』は確かに必要じゃ。だがこの世界の人間を……それもワタヌキ殿を選ぶのはならぬ、ならぬぞ』
『やってみなければ分かりませんわ。もし、この方が私の『番』たるに相応しいなら、それはイルシアにも恩恵を与えるはずではなくて?
それに、『御柱様』には既にこちらでお相手が見つかった様子。この世界に根を張る条件は整いつつありますわ』
『うふふ』とアムルが僕の方を見て微笑んだ。背筋にゾクリと冷たいものが走る。興奮よりも恐怖の方が先に来た。
ゴイルの発言内容からして、この女は僕の何かを狙っている。そして、それは僕の命に等しい――あるいはそのものだ。
だが、彼女の申し出にも理はある。ガラルドは見た目があまりに人間と違い過ぎる。シェイダも尖った耳を隠すのが難しいだろう。この中で一番人間に近い見た目なのは、アムルだ。
そして、僕単独で行くより魔法を使える人物と一緒の方が確かにリスクは小さいと言えた。……どうする。
目を閉じて考えた。アムルの真意は分からない。ただ、正直に言って彼女のルックスはストライクゾーンのど真ん中ではある。それに、本当の性格は分からないが理屈抜きで惹かれる何かもあった。
ひとまず「魔女」の所までは同行してもらい、その後身の危険を感じたらその時考えればいい。まず、交渉を成立させることが第一だ。
「分かった、乗ろう」
『本当ですか!』
アムルが喜色満面といった体で言う。ゴイルとガラルドが渋い顔になった。
『お主、この女が『魔族』であることは承知の上か』
「魔族?」
『左様。『御柱様』にもその傾向があるが……『魔族』は相手の魔力を吸うことで生き延びてきた種族じゃ。元はエネフの種族らしいがの。
その際に命を落とすことも少なくない。少なくとも、アムルをこれまでに抱いた男はすべからく命を落としておる。それでも良いのか?』
「抱かなければよいだけでは?」
『それができればよいのじゃがの……本当に後悔せんのじゃな』
僕は「はい」と頷いた。これが今できる最善の選択だと、僕は信じていたのだ。
*
結論から言えば、僕が命を落とすことはなかった。
その代わり、数多くの厄介事に数十年も関わることになってしまったのだが。




