2-6
『そんな、まさか……』
タブレットの動画を見せるなり、ゴイルは絶句した。大河内議員は険しい表情で問い詰める。
「本当に知らなかったとでも?」
ゴイルは首を振る。
『知らなかったとは言わぬ。可能性は考えておった。だが、これほど早く来るとは……。この場所は、ニホンのどこかなのですかな』
「ここからはかなり離れたところにあります。ただ、その気になれば明日にでも彼らがここに辿り着く可能性はある。日本政府としてできることは、現状ありません。
そして、一つお聞きしたい。本当に、これほど早く追っ手が来ることを想定していなかったのですか」
『……正直に言おう。数日内程度であれば、あり得ると思っていた。だからこそ、我々は庇護を求めた。
それをマチダに伝えなかったことは、心よりお詫びする。とはいえ、追っ手の襲来があるかどうかは不確かなことだ。このことを把握しておったのは、儂とシェイダのみだ』
ゴイルが同席していたエルフ風の女を見た。彼女は小さく頷く。
『一般に、大規模な転移の際には必ず大気の歪みが生じます。理論上では、次元転移の場合はその数日前から発生することも珍しくないようです。
ここに転移してきた2日前の時点で、ごくわずかですがそのような気配はあった。気のせいかと思いましたが、昨日夜の段階でそれは確信に変わりました』
『シェイダ、どうして黙ってたのよ!?』
憤るノアに、シェイダは目を伏せた。
『ノア、ごめん。本当に、確信が持てなかったのよ。第一、この世界は魔素が薄すぎる。私の『魔知』を使えるのは、極短時間だけだった』
「『魔知』とは?」
俺の問いに、エルフ風の女——シェイダは『魔力を持つ存在がどこにいるかを感じるための魔法よ』と答える。ノアが言うには、その範囲は相当に広いらしい。
シェイダが再び大河内議員の方を見て、頭を下げた。
『こちらも昨晩、私の魔法で彼ら――『ペルジュード』の存在を確認しました。どちらにせよ本日貴方たちにはお伝えするつもりだったのですが……ご気分を悪くされたなら、心よりお詫び申し上げますわ』
「いえ、やむを得ないことかとは思います。不確かな情報を伝えることで、誤った判断や拙速な行動を招くことはよくあることですから。
とはいえ、事態はより複雑になった。食糧供給に加え、ここの防衛体制まで構築せねばならなくなったのですから」
俺は大河内議員に「現状のままでも対応できるのでは?」と訊いた。今の所、俺は「大府集落周辺に致命的かつ流行性の疫病が発生したため、災害対策基本法の援用により徹底隔離を図る」というシナリオを描いていた。
この際に、自衛隊が大府集落一帯を完全封鎖する。それはとりもなおさず、大府集落をメディアなどから守るという意味合いも持っていたはずだ。
だが、大河内議員は「それだけでは足りない」と首を振った。
「町田君、君も認識していると思うが単にここを守るだけではダメだ。『追っ手の存在も秘匿しつつ、かつ彼らを隠密裏に確保する』、これがミッションだ。
そのためには、受け身の守りでは足りない。こちらから彼らを捜索しないといけない」
「捜索は、警察に任せればいいのでは?」
「いや、それだけで足りる相手とは思えない。……そうですね、ゴイルさん」
ゴイルが『その通りだ』と答えた。シェイダが話を続ける。
『『ペルジュード』はモリファスの中でも特に優れた魔力的資質を持つ人間で構成されておりますわ。その任務は偵察、破壊工作、情報収集といった諜報活動が主ですが、戦闘能力も高いと聞いております。私やノアも、そのうちの2人とは顔を合わせたことがありますわ』
ノアが少し怯えが混じった表情で頷いた。
『ペルジュードの隊長——ムルディオス・べルディアはその戦闘力だけで言えばメジアでも確実に3本の指に入る男です。母様でも戦って勝てるかどうか……
あたしも、2、3度会ったことがあります。そのうち1回は、戦場でしたが……イルシアの精鋭軍が、一瞬のうちに『消されて』壊滅したのを、今でも覚えてます』
「消された?」
俺の言葉に、ノアが『文字通りの意味よ』と返す。
『あの男は、多分転生者だと思う。あんな法外な魔法を使えるのは、転生者しかいないから。
全ての転生者は『恩寵』と呼ばれる特別な力を持って生まれてくるの。アザト神が転生者に何らかの理由で付与しているらしいけど、詳しくは知らない。そして、その恩寵のほとんどは、失われた古代魔法に近いとされてる。
べルディアがやったのも、多分それだと思う。一瞬のうちに百人以上殺せるなんて、そうでないと説明がつかない』
「一瞬に百人……!??無茶苦茶じゃないか……」
『この世界だとそうは行かないと思う。でも、さっき説明を受けたキャンプ場での事件は、確かにべルディアの仕業と考えたらしっくりくるわ。死体を『消す』なんて、彼からしたら余裕だもの』
大河内議員も睦月も表情が固まっている。これは想像以上にとんでもない相手なのかもしれない。俺は視線をノアに向けた。
「……もう一人、知ってる奴がいるって言ってたな」
『ええ。ペルジュード副隊長、エオラ・フェルティア。オルランドゥ魔術学院では同級生だったわ。彼女単体の戦闘力は大したことがないけど、『誘惑』の腕では右に出る者がなかった』
「誘惑?それも魔法か何かか」
『勿論。精神を隷属させてしまう魔法で、彼女は複数人を同時に操ることができた。それこそ、致命傷を負っていたとしても、痛みを無視して強引に動かせるぐらいには』
「……この世界でも使えるとしたら、厄介過ぎるな。気が付かないうちに、操作されている人間を通してこちらの状況が筒抜けになりかねない。その他の隊員の情報は」
『分からない。表舞台に出てきていたのは、その2人だけだったから。ただ、全員何かしらの魔法に長けていると思った方がいいわ』
ノアの言葉を聞いた大河内議員が天を仰いだ。流石にこの事態は予想外だったらしい。
「……イルシア側の誰かの協力を得て、捜査に加わらせるしかないですね。だが、貴方たちにとってこの世界は未知なる物が多すぎる。もし可能とすれば……」
彼の目線が俺とノアに向いた。
「俺たち、ですか」
「ああ。君たちに頼むのが一番早い気がする。ノアさんは、いち早くこちらの文明に触れていて適応が進んでいるはずだ。町田君が一緒なら、彼女も心強いだろう」
「それはいいんですが……イルシアの存在の隠蔽については」
「それは私と綿貫君でやっておく。行政との調整、並びに大府集落との交渉は山下さんにお願いしたい。特に水の確保は、明日にでもやってもらわないとまずそうだ。いいかな?」
睦月は一瞬考えた後、「はい」とはっきりと答えた。
「ありがとう。町田君はノアさんと共に、その『ペルジュード』とかいう連中の捜索に当たってくれ。勿論、無給とは言わない。私が然るべき額を払おう」
俺は緊張から思わず震えた。捜索と言っても、俺にできることがあるのだろうか。大分マシになったとはいえ、体力的にはそれほど自信がない。さらに、戦闘どころか喧嘩もしたことがないのだ。そんな無茶苦茶な連中とやり合うなんて、できそうもない。
それでも、大河内議員の言う通りやれるとしたら俺とノアしかいないのだ。ノアは恐らくかなり場数を踏んでいる。彼女が動きやすいよう、そして誰かから目を付けられないようにサポートするのが俺の役目ということか。
ノアがシェイダに『『魔知』、今使える?』と訊く。シェイダは『勿論』と頷き、目を閉じた。
十数秒後、彼女の全身から汗が噴き出すのが見えた。そしてそこからさらに10秒ほどして、シェイダは息を切らしながら『まずい、わね』と呟いた。
『強力な、魔力を持った人間が6人……東からこちらに向かってきてる。それも、猛スピードで。真っすぐにこっちに来てるわけじゃないけど……』
「バスか電車だ」と俺が言うと、大河内議員が「それだ」と返した。
「どういうルートかは分からないが、彼らはこっちに向かってきている可能性が高い。いよいよ、こちらからも動いた方がよさそうだな。
……この後、急ぎこの電話番号に連絡を入れておいてくれ。君たちのことは、少しだけだが話しておく。勿論、イルシアのことは言わないから安心してくれ」
大河内議員が差し出したスマホの連絡帳には「警察庁 岩倉」とある。
「これは」
「俺の長年の友人で、今警備局にいる。公安の元締めみたいな存在だ。口は堅いし、信頼もできる」
これはどうも、とんでもないことになってしまった。俺で何とかやっていけるのだろうか?
*
俺が「ペルジュード」が単なる追跡者でないことを知るのは、もう少ししてからのことだ。




