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『ふう、やっと着いたあ』
車から降りるなり、ノアがうーんと伸びをした。時計は14時45分になろうとしている。
「体調は大丈夫か?」
『うん、ちょっとお腹が空いたくらい。特に問題はないわ』
彼女の顔色はここに来た時に比べると大分よくなった。少しずつだが、この世界にも慣れてきたのだろうか。
それにしても、ノアの大食ぶりには驚かされた。川越市場近くの「まるよし」でラーメンを食べたのだが、彼女は『美味しい!』と終始口にしながら1kg近いドカ盛りを平然と平らげたのだった。
流石に店内が騒然としたので、逃げるように店を後にした。小柄な少女が食べる量にしてはあまりに多かったので当然だろう。これ以上目立ちすぎるのは、流石に良くない。
市場での交渉自体はまずまず上手く行った。明日には要求した分量の半分をトラックで運ぶとのことだ。もう半分は明後日になるらしい。やはり一気に調達するのは難しいらしいが、「家庭の財布の紐が固くなってきただけに助かる」とのことだ。
綿貫に伝えると、「こちらも第一陣を明日向かわせる」と返ってきた。ひとまず、食糧の方には一定のメドは付いた格好だ。
とはいえ、ノアを含めイルシアの人々は想定よりも大量の食糧を必要するようだった。政府を動かして、大府集落付近に対する封鎖と災害対策基本法の適用を一刻も早くしてもらわないといけない。
そしてそれは綿貫の仕事になる。今日の大河内議員の視察を経てからの相談になるとのことだが、それを首尾よく進めるためにはこれからの面談が重要になりそうだった。
エンジン音を背後に感じ振り向くと、黒のレクサスが駐車場に停まる所だった。後部座席から白髪交じりの中年男性が降りてくる。それに続いて、見覚えがあるポニーテールの女性が現れた。
「……睦月?」
何故彼女が一緒に?ただ、男性の顔は緊張感に満ちている。ここに来る前に何かあったのだと、俺は察した。
「貴方が町田智弘さんですね。初めまして、大河内尊です」
差し出された右手を握り、俺は「こちらこそご足労ありがとうございます」と告げた。
ノアの方を見ると、少し怪訝そうな表情を浮かべている。大河内議員は「ノア・アルシエルさんですね。よろしくお願いします」と僅かに微笑んだ。
『ええ……あなたがオオコウチさんですね』
大河内議員は少し驚いた様子を見せたが、すぐに小さく頷く。
「はい。貴女のことは綿貫君から聞いています。すぐにお伝えしなければいけないことがあります。一度、部屋に入りましょうか」
明らかに緊急事態が起きている。俺は玄関のドアの鍵を開けながら、大河内議員に訊いた。
「何かあったのですか?まさか、イルシアの存在が誰かに勘付かれたとか」
「それよりもある意味でもっと厄介なことかもしれません。それに山下さんが気付かせてくれた」
「……睦月が?」
睦月は目を伏せて首を縦に振る。
「まだ可能性の問題だけど……大河内さんは何か知ってる」
大河内議員は無言のままだ。テーブルに彼らをつかせ、マグカップに麦茶を注ぐ。異様なほどに重たい空気が部屋に漂っていた。
席に着くと、ふうと一呼吸置いて大河内議員が切り出した。
「結論から先に申し上げましょう。イルシアは狙われている可能性がかなり高い。異世界からの追っ手が、既に日本に来ていると思われます」
ノアの顔色がさっと変わった。
『何ですって??』
大河内議員が取り出したのはタブレットだ。彼はそれを操作し、薄ぼんやりとした短い動画を俺たちに見せる。
何人かが暗い中を歩いているような感じだ。ほとんど顔も分からないが、服装が少し変わっているのは何となく分かった。
「これは……何ですか?」
「昨晩22時頃、福島県猪苗代町の県道に設置されていた監視カメラに映っていた動画です。映っているのは計6人。髪の長さから判断し、男4人、女2人のグループでしょう」
「猪苗代?そんなものを、何故私たちに」
「昨日、同町のキャンプ場から男女5人が失踪しました。車とテント、バーベキュー道具だけを残して。
死体は現在見つかっていません。争った後もほとんどありませんが、現場からは僅かな量の血痕があったと福島県警から報告を受けています。そしてこの動画は、公安の友人から超極秘という条件の元で入手したものです」
「まさか、この6人が犯人とでも?」
「私はそう思っています。そして、彼らこそ異世界人である可能性が高いと踏んでいます」
俺は首を捻った。確かにその事件はXでもそこそこ話題になっていた。ただ、そんな可能性など思いつきもしなかった。
そもそも、この動画だけでそのように判断するには材料不足過ぎる。何故、そこまで大河内議員は自信を持って話しているのだ?
その時、動画を見ていたノアの顔が凍り付いた。
『こいつら……まさか『ペルジュード』??』
その驚きようと怯えは、俺にもすぐ分かった。明らかに、彼女にしか分からない何かがこの動画にあったのだ。
「何だよ、その『ペルジュード』というのは」
『モリファス帝国隠密特務部隊……あたしも奴らと遭遇したことはあるわ。そして、この男。この顔は、間違いなく『ムルディオス・べルディア』。ペルジュード隊長で、モリファス……いえメジアでも3本の指に入るであろう『怪物』よ』
彼女が指さしたのは、頬に傷のある男だ。確かに一瞬だけその顔が見えた。着ているのは、ラノベとかに出てくるような皮鎧のように見える。
「大河内先生、どうして彼らを異世界人と?」
「まず、そもそも腑に落ちない点が最初からあった。まず貴方に求めたのは『イルシアの庇護』だった、そうですね」
「ええ。ただ、食糧の支援などを意味しているのかと……」
「勿論それも含まれてはいたでしょう。ただ、それには文字通り外敵から保護して欲しいという意味も込められていると踏んだ。そうではないですか、ノアさん」
話を振られたノアは一瞬躊躇し、小さく頷く。
『……え、ええ。確かにそういう意味もありました。そして、モリファスがこっちに追っ手を送り込んでくる可能性を考えなかったわけじゃない。
ただ、それは大分先になると思っていました。まさか、こんな早くに来るなんて……』
「貴女にとっては計算外かもしれない。ただ、他の人物はそう思っていなかった可能性がある。イルシアをここに送り込んだ首謀者は、どなたですか」
『御柱様……いえ、あの方は正直に伝えるはず。……まさか、ゴイル様??』
「やはり。その人物は、庇護体制の構築を急かせていたはずです。多分、何らかの手段で彼らの到来を察していた。確証は持ってなかったかもしれませんが」
ゴイルが?確かに昨日綿貫や睦月にイルシアの概要を説明していたゴイルは、どこか心あらずという感じではあった。
ただ、綿貫も大河内議員と会う予定があったし、こちらも早めに切り上げないといけないとは告げていた。彼の説明がやや表層的になっていても、俺は不自然に感じなかったのだ。だが、まさかこんな事情があったとは……
睦月が大河内議員の方を見る。
「そこまでは私も分かっています。しかし、これだけで彼らが異世界人だと思うには、根拠が薄くないですか?」
「ええ。確かにこの動画に映っている人物たちは、いずれも現在世界を生きる人間の服装ではない。人種も日本人とは違う。それだけでは疑う理由にならない。
ただ、おかしな点も多々あるのですよ。まず、キャンプ場で死体が見つからなかった点。そして、これだけの不審人物が6人もいるのに未だに姿が発見されていない点。潜伏していたと思われたホテルからは既に姿が消えていたという報告も先ほど入りました」
「だから、この動画をノアさんに見せて反応を確かめたかった、そういうことですか」
「そういうことです。そして、やはりビンゴだった」
ノアは依然青ざめた表情でタブレットを見ている。俺はそれを見やってから、視線を大河内議員へと向ける。
「しかし、彼らがここに辿り着くにはまだ時間があるのでは?」
「そうかもしれません。ですが、その間に彼らが次の殺人を犯さないとも言えない。そして、犯人が『異世界人』であることが何かの拍子に発覚したならば?その時は、貴方たちの努力は全て無に帰すことになる」
ゴクリ、と俺は唾を飲み込んだ。事態が切迫しているというのは、こういう理由か。
「警察には、このことを連絡したのですか」
「……いえ。異世界についての情報は、私は漏らしていません。ただ、公安が超極秘案件とした話は友人経由で知っています。彼らも何か感付いたということでしょう」
答えるまでの間に、僅かな違和感をおぼえた。大河内議員は、何か隠している。
そもそも、捜査情報の一部を外部に漏らすなどということは、本来警察からしたらご法度もご法度のはずだ。それを一民間人たる俺や睦月に見せるなど、それ自体が大スキャンダルになってもおかしくはない。俺にもそのぐらいは理解できる。
逆に言えば、その公安の友人というのはそれを承知したということだ。大河内議員は総務省出身の元官僚ということだが、その繋がりなのだろうか。
確実に言えるのは、大河内議員を100%信用することはできないということだ。味方ではあるが、腹に一物はある。それが何か分かるまでは、全ての情報を彼に渡すことはできない。
ノアが顔を上げた。
『状況は分かったわ。ひとまず、ゴイル様に会わないといけない』
それもその通りだ。俺は立ち上がり、フィットのキーを手に取った。彼が何を知っていて、今何を考えているのか質さなければ。




