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私は腕時計を見た。時刻は午後12時50分。そろそろ来てもおかしくない頃だ。
デートというわけではないのだけど、妙に緊張する。相手が国会議員だからだろうか。昨日も緊張するにはしたけれど、トモがいるという安心感があった。今回はそうではない。1対1だ。
何を訊かれるのだろうか。本当に、私の率直なイルシアに対する見方を伝えるだけでいいのだろうか。
まさか、下心があって会おうとしてくるわけじゃないだろう。初対面の異性を口説こうとする人なら、こちらから願い下げだ。彼を紹介した綿貫議員も信頼できなくなる。
カランと鐘の鳴る音が聞こえ、マスターが「いらっしゃい」と告げた。入口の方を見ると、少し白髪交じりの髪をした中年の男と、がっしりとした眼鏡の男性がいた。
中年の男性は私を見るなりニコリと笑いかけた。この人が、大河内尊議員だろうか。
「あの、大河内先生、ですか」
「ええ。貴女が山下睦月さんですね。本日はどうぞよろしく」
大河内議員が右手を差し出す。握手を求められているのだと気付くのに、少しだけ時間がかかった。
おずおずと手を差し出すと、彼は柔らかく手を握る。
「失礼、警戒させてしまっているようですね。取って食いはしません、安心してください」
「え、ええ」
「こちらが秘書の松下です。心配要りません、口は堅い男です。会話の際には、外で待機してもらう方向です」
松下と紹介された男とも握手をする。彼はマスターの所に行き金を手渡すと、一緒に外へと出てしまった。
「これで会話が外に漏れることはありません。安心して喋っていただきたい」
「……どうして、私と会いたいなどと」
「理由は幾つかあります。まず、電話でもお話しした通り貴女の率直な意見を聞きたいということ。綿貫君から説明は受けていますし、町田氏とも後で話しますが……多分、貴女が一番本件ではニュートラルな立場だ。私も納得した上で本件に関わりたいのですよ」
「他にも理由がある、そうですよね」
「無論。2つ目の理由は、極めてシンプルです。貴女を口説きに来た」
頭に血が上るのが分かった。こんなにあけすけに下心を口にするなんて。
「こ、困ります!そんなことなら……」
フフフ、と大河内議員が笑う。
「綿貫君から事前に貴女のことは聞いていたのですよ。やはり実に美しい方だ。こんな町にいるのが勿体ないほどに。
そして、聡明でもある。事前に調べさせていただきました。貴女、アーコン・コンサルティングのアソシエイトだったそうですね。その知見、是非とも欲しい」
「何が、言いたいんです」
「ここに来た3つ目の理由、ヘッドハンティングです。私も政策スタッフを拡充しないといけない立場でしてね。有能な人材は喉から手が出るほど欲しい。特にアナリストは」
大河内議員の目を見る。嘘は言っていない顔だ。日に焼けた顔は精悍で、どこかの俳優と言っても通りそうではある。
もし、母がいなければ喜んで彼のスタッフに加わることを受け入れただろう。勿論、愛人は御免だが。しかし……私は母を裏切ることなど、できない。
「……お断りします」
「でしょうね」
大河内議員は微笑む。意外にあっさり引き下がられて、少々拍子抜けした。
「何故?と思っているでしょう。簡単な推測ですよ。貴女ほどの女性がこの町にいる理由は、家庭の事情以外にあり得ない。そして、貴女はそれを放棄できない程度の責任感も持ち合わせている。
勿論、私が貴女を金銭面でサポートすると口にするのは簡単です。しかし、それも応じないでしょう。というか、そんなオファーに簡単に飛びつくような、薄情で打算的な女性は妻にもスタッフにも相応しくない」
「……独身、なんですか」
「ええ。随分独身貴族を謳歌してきましたが、そろそろ身を固めないと世間体もよろしくないのでね。絶賛婚活中、というわけですよ」
バツが悪そうに頭を掻く大河内議員に、私は唖然とした。ここまで下心を隠そうとしない人間はそうそういない。
「どうして、そんな話を」
「これも簡単な話です。貴女に一目惚れした。それではダメですか」
大河内議員が少年のように歯を見せて笑う。どこまでが本心で、どこまでが演技なのか分からない。徹底して裏表がないトモとは、全く違うタイプの男なのは間違いないけど。
「……初対面の女性に、よくそんなことを言えますね」
「まあ、お気に召さなかったら結構。最初の目的だけ果たしておきますよ」
……何か引っかかる。本当に、こんなことを言うためだけにわざわざ時間を割いて私に会いに来たのだろうか。
この人も多忙なはずだ。まして、綿貫議員より大分立場は上らしい。そんな人がここに来る理由は、もっと別にある。
「……第4の理由があるんじゃないですか」
大河内議員が「ほう」と感嘆したように口にした。そしてさらに笑みを深める。
「やはり貴女は聡明だ。実に気に入った」
「誤魔化さないでください。一体それは何ですか?」
「それは言えない。『今はまだ』」
「どうして言えないんですか??これから一緒に動こうというのに、秘密があっては信頼も何も……」
「それはイルシア側にも同じことが言えないかな?」
ゴクリ、と私は唾を飲み込んだ。それはまさに、私が感じていたことと同じだったからだ。
その様子を見た彼が、初めて真顔になった。
「私が綿貫君から聞いてまず感じたのはそこだ。『イルシア側は何かを隠しているのではないか』ということだよ。
それが何かは私には全く分からない。綿貫君も薄々は感じているようだったが、それよりはまずイルシアの存在の隠匿と、自分の利権確保に目が向いている。
何故最初の理由を持ち出したのかと言えば、ずばりそれだ。君は比較的ニュートラルな立場だ。だから、同じ疑問を共有していて、かつより深く推察できているのではないかと踏んだ」
私は少し考える。そう、イルシアという国には何か秘密がある。昨日受けた説明は、比較的表面上のものに留まっていた。少なくとも、あのゴイルという男が全てを包み隠さず話しているとは思えなかった。
ノアという子は、多分そうではない。彼女とはほんの少しの時間しかいなかったが、見た目通りの年齢ではないにしても裏表はない人物に見えた。トモが拒絶しないというのは、そういうことなのだろう。
ただ、その他の人物は疑問だ。政府の庇護を求めている理由としては、食糧確保というだけでは足りない。まるで、誰かから襲われることを予期しているような……
「……まさか、異世界からの襲撃があり得る、ということ……??」
大河内議員がパン、と手を叩いた。そして私の方に身を乗り出す。
「素晴らしい……!!そう、多分それだ。そして、その追っ手は下手をしたら既にこちらに来ているかもしれない」
「まさか……!?」
「それを否定するものが現状ない。とすると、事態は相当切迫している可能性があるな。こちらとしても、イルシアへの支援体制を一刻も早く整えなければ……」
そう言うと大河内議員は席を立ち、私に聞こえない所でスマホを手にした。誰かと会話しているようだ。
そして10分ぐらいした後戻ってくると険しい表情になり「町田氏の所に向かった方がよさそうですね」と告げる。
「何か、あったんですね」
「かもしれない。嫌な予感は当たっているかもしれない」
大河内議員は外に出て松下秘書を呼ぶ。しばらくすると、黒のレクサスが喫茶店の前に来た。
「乗りましょう。ここから彼の家までは」
「確か、40分ぐらいは……」
「道は分かりますか」
「ええ。国道140号をずっと行っていただければ」
後部座席に大河内議員と乗り込む。その顔は、ここに来た時とは打って変わって緊張感に満ちたものになっていた。
……そう言えば、彼の隠している秘密とは一体何なのだろう。今はまだ言えないことらしいが……
ただ、この状況で聞くことはとてもできそうもなかった。そして、本当に脅威は迫りつつあったのだ。




