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ド田舎無職の俺の近所に異世界の国が引っ越してきた件  作者: 藤原湖南
第1章「衆議院議員 綿貫恭平」
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1-5


勉強をするには静かな所に限る。そして、逃避先がない所であればより望ましい。


僕が祖母の家に来たのは、そういう事情からだ。予備校に缶詰めで勉強するには、池袋はあまりに誘惑が多すぎる。自制心に自信がないわけじゃないけど、より確実なのは知り合いも遊ぶ先もない場所に行くことだ。

祖母が住むこの秩父は、それに最適な場所と言えた。そのはずだった。



しかし、まさかこんな形で集中が乱されることになるとは……



『アサト、何考えてるの?』


ニコニコとしながら、ベッドに座るその少女は訊いてくる。僕は大きな溜め息をついた。


「君をどうするか考えてるんだよ」


『ボク?君には迷惑かけてないよ?それに、他人には姿が見えないはずだし。君のおばあさんも、ボクに気付いてないじゃないか』


「でも、君の分の食事は必要だろ。昨日の晩御飯は僕のを分けてあげたけど、いつまでもそうするわけにはいかない」


現に腹はすいている。このままだと、遠からず限界が来るのは明白だった。腹が減ったままじゃ、勉強だってできやしない。


少女は『むう』と頬を膨らませた。


『ボクの分はそんなに必要ないんだけど』


「それでも食わなきゃ生きていけないだろ。……隣の白石さんが僕に差し入れを準備してるって話だから、今日はそれを分けてやるけど」


少女の顔が、ぱぁっと明るくなった。


『やったあ!!ここのお料理、イルシアとは全然違ってて美味しいから楽しみ!!』


僕はもう一度、彼女に気付かれないように溜め息をついた。全く、どうして僕は彼女をこうしてここにおいているんだろう。警察に通報するのが当たり前じゃないか。

ただ、不思議とそんな気になれなかった。理屈ではなく、「通報しない方が正しい」と思えたからだ。


彼女に一目惚れしたから?それは多分、ちょっとはある。生まれて17年、勉強ばかりで恋愛経験ゼロの僕に、こんなかわいい子に惹かれないというのは酷な話だ。

もっとも、本当に性別が女なのかは疑わしい。胸はないし、声もどっちにも聞こえる。中性的な顔立ちで、もし髪が長くなかったら男性と思っていたかもしれない。

ただ、もし男であっても僕は彼女を匿ってただろう。その理由は、本当に全く分からなかった。




彼女——ジュリ・オ・イルシアが市村家に来たのは、昨日の夕方のことだ。



その日、僕は勉強を小休止して庭に出ていた。ここの空気は美味い。暑さは東京とそんなには変わらないけど、空気の清浄さは全く比較にならない。

大きく息を吸って、吐く。それを何回か繰り返すだけで、結構リラックスできた。祖母の家に来て1週間ぐらいだけど、勉強の効率はかなり上がっていた。受験の勝負は高校2年の夏で決まる。とりあえずは、最高のスタートを切れた。そう思っていたのだ。


その日もいつも通り軽いストレッチをし、大きく手を広げて深呼吸をしていた。その時、いつの間にかすぐ前に彼女がいたのだ。一切の気配も、前触れもなく。


「……は?」


その少女は、妙な出で立ちだった。白を基調にした長いローブには、金の刺繍が多く施されていた。この真夏に着るような服ではない、というかそもそも日本の服じゃない。

変なのは服だけじゃない。目鼻立ちの整ったその顔は、明らかに日本人ではない。目は青く、白人なのは確かだ。そして、思わず息を飲むほど、彼女は美しかった。これが一目惚れというものなのか、と僕は思わず思った。


彼女は小首を傾げる。そして聞いたことのない言語を口にした。


『君、ボクのことが見えるの?』


見えるに決まってるじゃないか、と言おうとしてその不自然さに気付いた。どうして僕は、彼女が喋っている内容を理解できているんだ??

僕は、幻覚を見ているのかと思った。勉強のし過ぎで頭がおかしくなってしまったのか?いや、そんなはずはない。僕は至ってマトモだ。


思わず、「君は、何者だ」という言葉が口から出た。感じている感情は恐怖だ。明らかにこいつは、マトモな人間じゃない。


彼女はそれに答える代わりに、満面の笑みを浮かべた。


『やっぱり見えるんだね!!すごい!!』


「見えるのが当たり前じゃないか。だから君は何者なんだ」


『ボク?ジュリ・オ・イルシアって言うんだ!ジュリでいいよ』


まるでなろう系のファンタジー小説から抜け出たような名前だ。そもそも、僕は彼女の名前を聞いたわけじゃない。


「……警察を呼ぶか」


『待って!ボク、迷惑かけないからさ。ちょっとだけ、ここにおいてくれないかな』


「……は?」


『外の世界に出たの、生まれて初めてなんだ。母様とアムル以外の人と喋るのも、本当に久し振りで……ダメかな』


しょげた様子でジュリと名乗る少女は言う。年齢的には、僕より少し下くらいだろうか。こう心細そうな表情をされると、無下にするわけにもいかない。


「君を泊めていいか、婆ちゃんに言ってくる」


『本当!?嬉しいなあ……やっぱり、ボクの『嗅覚』は間違いじゃなかった』


「『嗅覚』?」


『うん。この世界って物凄く魔素が薄いから、魔力を供給してくれる人がいないと多分ボクがもたないと思って。

そうしたら、メジアでもまず見ないほどの魔力を持ってる人がこの近くにいるっぽいことが分かったんだ。そして、君に出会ったってわけ。君、魔法は使えるんだよね?』


「魔法?使えるわけがないじゃないか」


霊感は人よりちょっとはあると思ってたけど、魔法なんて使えるわけがない。そもそも、そんなものはそれこそRPGや漫画・アニメの中での世界の話だ。いよいよ変な子に絡まれてしまった。

ただ、ジュリの頭がおかしいとも思えなかった。というより、彼女を排除しようとする気が少しずつ失せているような気がした。これは、どういうことなんだ。


……「この世界」とか言ってたよな。まさか……


「君は、異世界から来た、とか言わないよな」


ジュリはさらに笑みを深めて、『うんっ!!』と頷く。


『昨日、この近くに転移してきたんだ。よろしくね!!』


僕は卒倒しそうになった。確実に言えるのは、僕の平穏は壊された、ということだ。



ひとまず彼女を僕の部屋に上げて、話を聞くことにした。彼女は「認識阻害」という魔法を自分にかけているらしく、普通の人間からは姿が見えないらしい。実際、祖母には全く見えていなかったらしく「勉強のし過ぎで疲れてるんじゃないかい?」と心配された。

ジュリは『余程の魔力の持ち主じゃないと看破できないんだ』と妙に自慢げだ。そんなものを僕が看破できたこと自体、どうにも現実味がないのだけど。


「で、君は結局のところ何者なんだ」


ジュリは人差し指を唇に当てて、何か考えている。


『うーんと……イルシアって国の『御柱』やってる。まだ完全体じゃないらしいんだけど。昨日、イルシアの中枢部をこっちに転移させたんだ』


「御柱?……神様とかそういう意味?」


『あっ、そうそう。クト神様の代行者ってことらしいよ。僕はまだ生まれてそんな経ってないから、自分が何者なのかよく分かってないんだけど』


「生まれてそんな経ってないって……僕と同じぐらいに見えるけど」


『15歳、かな。母様が亡くなったのは200歳ぐらいだったし、本当なら300歳ぐらいまでは生きるはずだったらしいから、それと比べたら全然若いよ』


ジュリは明らかに非現実的なことを言っている。にもかかわらず、なぜか彼女の言っていることは本当のように思えた。まるで「本当だと思わされている」かのように。


僕は首を振った。こんなの、現実であるはずがない。しかし、ジュリは目の前にいるし、彼女の言うことを否定するものも何もない。

彼女が魔法の力を使っているのも、恐らくは確かなんだろう。そうでなければ、こうやって話ができるはずもない。


魔法と言えば、さっきのあの言葉も気になる。僕は話を変えることにした。


「……そういや、魔力供給がなんだとかって言ってたよな」


『ああそうそう。魔力が必要なんだった。まだ『大転移』の反動で本調子じゃないんだよね』


「そんなもの、どうやって僕が供給すればいいんだ」


ジュリは『うーん』と唸った。


『ひとまず……血か何か、君の体液をもらえるといいかな。最初だし』


「……血?」


『うん。とりあえず、量はちょびっとでいいよ。慣れてきたら、別の方法でもらうことになるだろうけど』


「別の方法?」


『うーん……まあそれはその時になったら話すよ。魔力は少しずつ身体に慣らしていかないといけないし。母様もそうやってきたらしいし』


どうにも引っかかる。『君に迷惑はかけないから』というけど、この子は謎だらけだ。そもそも異世界から国ごと転移してきたって言うけど、バレないものなんだろうか。

ただ、とりあえず今日は彼女の言う通りにしてやろう。流石に明日も明後日も居座るわけじゃないだろう。その頃には誰かが通報して、この辺りは騒ぎになってるかもしれないけど。


僕は祖母に裁縫針を借りて、左の人差し指に刺す。軽い痛みと共に、ぷくっと赤い血の球が指にできた。


「これでいいのか?」


『うん、ありがと』


するとジュリはパクっと指をくわえた。ペロッと舌で舐められる感触がする。別にエロいことをしているわけでもないのに、妙に興奮した。

同時に、指先から物凄いエネルギーが入ってくるのが分かった。……何だこれは??


『ぷはっ』と口から指を離したジュリは、『美味しい!!』と恍惚の表情を浮かべた。


『やっぱり凄い!!アムルのも濃厚だったけど、君の方が断然美味しいよ!!』


「血が美味しいって……君は吸血鬼か何かか」


『きゅうけつき?何それ』


彼女は首を傾げた。やはり、こちらの単語でも意味の通じないものはあるらしい。


下から「朝人、ご飯だよ!」と祖母が呼ぶ声がする。流石に彼女を連れていくわけにもいかない。僕は「今日は部屋で食べるから」と、盆と共に夕食を持って行くことにした。


『うわあ、これ何!?美味しそう……』


「ただのカレイの煮付けだよ。全部やるわけにはいかないけど、半分あげる。少しは食べないとまずいだろ」


『うん、ありがと!でもそんな量は要らないよ。ボク、そんなに食事は必要としないんだ』


「……は?」


『とにかく食べようか。これ、どうやって使うの?』


箸も見たことがなかったらしい。試しに使ってみせると、ジュリは『こんな感じかな』とすぐに器用に真似してみせた。

余程味に感激したらしく、煮付けを食べては『美味しいっ!!』と言っている。ごく普通の煮付けのはずなんだけど。


そして、半分ほど食べたところで『急に眠くなっちゃった……』とベッドに倒れ込んだ。「おいっ」と言う間もなく、そのまま深い眠りに入ってしまったらしくすうすうと寝息を立てている。


「一体どこで寝ろって言うんだよ……」


僕は肩を落とした。ベッドは来客用のシングルベッドだ。2人で寝るにはあまりに狭い。何より、こんなかわいい子と一緒のベッドで寝るなんて……手を出さないにしても、自分が暴発しない自信がない。


「いや、本当に勘弁してくれよ……」


結局、ジュリはその日、目覚めることはなかった。そして僕は、硬い床の上で悶々としながら眠れぬ夜を過ごす羽目になったわけだ。



そして、現在に至る。睡眠不足と空腹と禁欲で、体調はベストからほど遠い。流石にもう一日彼女といたら、勉強も何もへったくれもなくなってしまう。

にも拘わらず、僕は警察に通報しようと考えなかった。そうするのが当たり前なのに、どうして「通報しない方が正しい」と思ってしまっているんだろう。


とりあえず、今は白石さんの家に向かうとしよう。祖母曰く「朝人のためにカレーを作ってくれた」らしい。田舎の人は外からの人に厳しいというけど、身内にはお節介なほど優しいことを、この一週間で知っていた。


「受験、頑張るんだよ!」


白石のばあちゃんが手を振る。僕はそれに会釈し、カレーの入ったタッパーを手に取った。まだ受験まで1年半はあるけど、頑張らなきゃ。東大に入って外交官になるというのが、僕の夢なのだ。


「ただいま」


玄関の敷居を跨ごうとした時、後ろに気配を感じた。


振り向くと、そこには背の高い切れ長の目の男性と、ピンク色の服を着た銀髪の少女がいる。……ばあちゃんの知り合い?こんな知り合いなんて、いるのだろうか。


「少し、時間いいか」




これが、町田さんとノアさんと初めて会った時のことだ。




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