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生まれてから172年。そろそろ、頃合いであろうと思っていた。
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私が生まれたのはメジアの南方、「暗黒山脈」にほど近い小さな集落だった。自分が「ドゥナダン」と呼ばれる長寿の少数種族の一人であることを知ったのは、物心ついてすぐだった。
父も母も記憶にはない。ただ、自分が「神の御使い」として崇められていた記憶はある。後で知ったことだが、「ドゥナダン」の一族の多くは暗黒山脈の向こうに旅に出たらしい。理由は未だに分からないし、知ろうとも思わなかった。
15になった時、集落を訪れる一行があった。全員白い法服を着ていて、この人たちこそ神の使いなのではないかと思ったのをよく覚えている。
そして、その先頭には年端も行かない少女がいた。太陽のように明るいその笑顔に、彼女が随分年下であろうにも拘わらず私は心惹かれたのだ。
『貴方がゴイルさんね。迎えに来たわよ』
彼女こそが「先代御柱」イリア・オ・イルシアだった。
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彼女が集落を訪れた理由は、私を「御柱付き」として迎え入れるためだった。その時は知らなかったが、当時の御柱が「神の頭脳」で選定した結果であったらしい。
何も知らない私たちは最初は兄妹のように育った。そしてイリアが育ってくるに従いその関係は恋人へと変わった。イリアは明るい笑顔を絶やさない少女だった。それが孤独だった私にとってどれだけ救いだったか。
もっとも、今はその笑顔の裏に底深い諦観と絶望があったのを知っている。彼女は、自分の「寿命」が少ないことを知っていたのだ。
蜜月の日々は突然終わりを告げた。イリアが15になろうとする数日前、彼女は「継承の儀」を受けることになったと私の元にやって来た。その時の笑顔が、露骨な作り笑いであることを私はすぐに悟った。
どうしたのだと聞き出すと、彼女はぽつり、ぽつりと話し始めた。「継承の儀」を行うと、今の人格は全て消去されてしまうという。勿論、私に対する感情も全て。
号泣する彼女を宥め、抱きながら私は何とかする手段がないかと訊いた。ないわけではないらしかった。「同化の儀」。それはこれまでのイルシアの歴史上2回ほどしか発動されていない禁術という。
生命と精神の根源たる「魂」を結び付け同化させることで、「継承の儀」の後でも自我を保つことができる――そういう理屈であるらしい。
だが、問題があった。私の魔力とイリアの魔力は釣り合っていない。私の魔力も相当なものだという自負はあったが、イリアのそれとは全く桁が違っていた。仮にこの状態で「同化の儀」を行うと、私の自我が失われてしまう可能性が高いとすぐに分かった。
そしてもう一つ。「同化の儀」を行うには発動に必要な魔力を供給する協力者が必要だった。しかも、その協力者は儀式に必要な莫大な魔力を持っていなければならない。そんな協力者など、私には全く思いもつかなかった。
結局、私たちが選んだのは――別れだった。それも、永久の。
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「継承の儀」の後のイリアは、イリアであってイリアではなかった。あの笑顔はもはやなく、無感動で無機質な存在と成り果てていた。
下す決断は常に間違いがなく、イルシアが長年平穏だったのは彼女によるものが大きいのは確かだった。ただ、「御柱付き」として身の回りの世話をしつつ、私の心にはぽっかりと空洞が開いたままだった。もう、あの時のイリアは戻ってこないのだ。
そして3年前。突然、イリアは逝った。何の前触れもなく、突然に。
何が起きたのかは全く分からなかった。ただ、「儂」の心には何故か悲しみなどなかった。やっと終わったかという想いしかなかった。そして、残された「御柱様」を、イリアのようにしてはならないと強く思ったのだ。
「継承の儀」が国のために必要なことだとは知っていた。そして、「神の頭脳」を使えば「先代様」なしでもそれは遂行できるとも聞いていた。
だが、儂はそれを引き延ばしに引き延ばし続けてきた。部分的に御柱様に過去の御柱の知識や記憶を「繭の間」で徐々に移してはいた。だが、根幹部分である精神性の移転だけは、注意深く避けてきた。
それがいつまでも続けられることではないとも認識していた。未完成な御柱の寿命は短い。どこかで「完成」させねば、永くは生きられない。そして、御柱様が今死ねば――イルシアという国家は滅ぶ。決断までに残された時間は、ほとんどなくなっていた。
だから、イチカワという青年が現れ、御柱様との交流が始まった時に儂は狂喜したのだ。これで、全ては成せると。
御柱様もまた、自我が消えることを恐れていた。異世界への「大転移」の目標の一つが、同化の儀の対象となる人物を探すことにあったのは言を待たない。
だからこそ、御柱様とランカ・アルシエルは時間をかけてイルシアを「本来転移する場所ではない」このニホンに転移させたのだ。そして、その狙いは当たった。
誤算はあった。ペルジュードの来襲がこれほどまでに早いとは想像していなかった。それに伴う混乱も生じてしまった。
だが、計画の根幹部分は揺らいではいない。後は、実行に移すだけだ。
儂の命を使って、「同化の儀」を遂行する。それでいい。
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「何を馬鹿なことを言っているんですか!!!」
イチカワが叫ぶ。儂は首を横に振り微笑んだ。
『いや、それでよい。何より、儂の寿命はもうそう永くはない。頃合いなのだ』
嘘ではない。自分のことだ、残りの寿命は凡そ分かっている。何よりこの世界の魔素の薄さは、間違いなく寿命を削っている。よく分からぬ器具を首に刺したりして騙し騙しやってはいるが、それでも多分数カ月はもつまい。
イチカワが唇を噛んだ。
「それでも……まだあなたのことを必要としている人はいます。特に、イルシアがこっちに来て1週間ちょっと、バラバラにならずに何とかやって来れたのは……あなたのおかげのはずです」
『そうかもしれぬ。だが、その役目はお主と御柱様に引き継ぐ。御柱様は聡明な方だ、きっとイルシアを正しい方向に導く。お主も分かっているだろう』
「だとしてもです!!僕のエゴのために、あなたが死ぬなんて……僕には耐えられない……」
青いな、と儂は思った。まるで150年前の自分を見ているようだ。
儂はイチカワの肩に手を置いて、小さく首を横に振った。
『違う。これは儂がやりたいからやるだけのことだ。その理由は知らぬともよい』
「……他に……手段はないんですか」
『ない。ただ、儂の死はしばらく伏せてほしい。落ち着いてからの方がよいだろう』
イチカワは黙り、静かに涙を流した。そして「どうして……そこまで冷静になれるんですか」と絞り出すように言う。
どうしてだろうか。多分、儂の人生は150年前で終わっていたのだ。イリアの「死」と共に。
そこから先は、「先代様」と一緒に機械的に執務をこなしていたにすぎない。だから、せめて死ぬ時ぐらいは何かを残したいのだろう。
「私」は微笑んだ。
『『私』の人生は、このためにあったと悟ったからだ。君が自分を責めることはない。後は、若い力に任せる』
150年前の貸しを、ようやく返せるな。私は、イリアに向けてそう心の中で呟いた。




