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3 亡霊たちの脱獄

 私は本屋を出て、ベルトランの屋敷へと向かった。

 ベルトランの屋敷は、商店街のメインストリートから五百メートルほど東に行ったところにある。この街ではもっとも大きな屋敷で、街の人たちからは城と呼ばれている。


 ベルトランに会うのは久しぶりだ。たしか、年始の挨拶に行ったきりだった気がする。元気にしているだろうか。


 屋敷が見えてきた。

 門の奥には、窓や柱がシンメトリーに配置された大豪邸がある。庭にはシンプルに芝生とオリーブの木が植えられている。

 屋敷の前まで来ると、守衛さんのほうから挨拶してきてくれた。


「これは、アリーヌ様。お待ちしておりました」


「こんにちは。お世話になってます」


 門をくぐり、庭を通って、石造りの階段を上がるとアラベスク模様が彫られた木の扉が中から開いた。

 屋敷の中に入ると、執事の一人が迎えてくれた。

 ベルトランは執務室にいるらしい。執事のあとをついて行き、部屋の前まで案内された。


「ベルトラン。アリスだよ」


「どうぞ」


 低く威厳のこもった声が部屋の中から響いてきた。

 部屋の中に入ると、ベルトランが机の上の書類に何かを書き込んでいる最中だった。今日のベルトランはブラウンの髪の毛をオールバックにまとめていた。執務モードのときのベルトランだ。

 魔法によって老化を遅らせているので、見た目は三十台前半ぐらいに見えるが、実年齢は五十台後半だ。


「そのへんに適当に座ってくれ」


 ベルトランは顔を上げずに言った。

 なんとも生意気だ。


「ちょっと。お師匠様に向かってその態度はなに?」


「あなたは師匠ではない。私の師匠はランベール様だ」


「そのランベールの師匠は誰だって話よ。それに、私もあなたの修行に付き合ってあげたこともあるでしょう」


「…………」


 そのままベルトランはかりかりとペンを走らせ、インクを紙に落としていた。

 ベルトランとは仲が悪いわけではないのだが、どうも彼はランベールのことを崇拝する気持ちが強すぎるようだ。ちなみにランベールとは、五年ほど前に他界した私の弟子だ。


「まあ、いいわ。元気にしてた?」


「……相変わらずだ。街の外壁の補修工事の指揮、エウース警ら隊の訓練指導、セルジ銀行の財政指南、魔術学校の非常勤講師、貴族との会食……。本来、半分はこの街の市長の役目のはずだ。まったくあの役立たずめ。おかげで私の負担が増える一方だ」


「そう、大変なのねぇ。くれぐれも体には気を付けてね」


「他人事みたいに言うな。あの市長を推薦したのはあなただろう」


「悪かったわよ。でも、しょうがないじゃない。市長は去年から心臓を悪くしているのよ」


「まったく、私はその市長の診察までしているのだぞ……」


 ブツブツと文句を言いながら、ひたすらにペンを走らせる。

 文句を言いながらも、ベルトランはしっかりと仕事をしてくれている。街の人たちからも尊敬されているし、市長も自分の孫娘をぜひ嫁にと言っているそうだ。

 今や細分化されたあらゆる学問の各分野に対しても明るいし、私やランベールと比べても、その多才な能力の伸び具合は異常なほどだ。

 ただ、ベルトランはちょっと真面目過ぎる。手を抜くということを知らない。あとで市長に言って、仕事の引継ぎができる人物を早急に手配させよう。私の大事な孫弟子が体を壊してしまってはよくない。


「それで、今日は何の用かしら? お忙しいようなら、居間で待たせてもらうけど……」


 ベルトランの持っていたペンがぴたりと止まって、顔を上げた。

 その顔は、これから重苦しい話をしなければならないことへの苛立ちが見てとれた。


「……五日前、デスルーアンの監獄から四人の受刑者が脱走したと報告が入った。いずれもあなたが牢獄にぶち込んだ連中だ。監獄にいた看守たちは二十名が殺されたそうだ。他国の事件であることに加えて、今はまだ情報規制がされていて世には出ていないが、あと三日もすれば、この街にもそのニュースが届くだろう」


「……四人。名前は?」


「オスカル・ゼーゼマン。ヴァルター・ヴォルフ。リトル・エルザ。ウィリアム・マッキノン。覚えているか? 七十年前、第四次魔法大戦を表と裏の両面で活躍していた連中だ。竜の血を浴びたあなたほどではないが、長寿の魔法で若さを保っている。まだまだ現役の悪党だ」


「デスルーアンの監獄は脱出不可能なはず。手引きした者がいるわね」


「手引きした者の正体は不明だ。……まったくとんでもないことになった」


 ベルトランはペンを机の上のペン置きに乗せ、立ち上がった。

 そして、壁に掛けられたこのあたり一帯が記された地図を指さした。


「そして、今日入った情報では、奴等の一味とおぼしき人間が昨日グルノブルで目撃されている」


「グ、グルノブル!? デスルーアンの監獄からだと汽車をうまく乗り継いでも六日以上はかかるでしょう!?」


「どんな手を使ったのかはわからんが、驚異的な移動速度だ。とにかく、奴等はデスルーアンを脱獄して、すでにこのエウースの街の近くまで来ているのだ」


「つまり狙いは……」


「あなたでしょうな。それ以外には考えられない。まったく迷惑な話だ」


「ごめんなさい。でも、私の住んでいる場所までバレているとはね」


「あなたの生存は、王国の一部の人間しか知らないはずだが……」


「人の口に戸は立てられないってことね」


「未だに七十年前の恨みを根に持っているとは驚きだがな。脱走の手引きをした奴らがあなたの生存を知っていながら手を出してこなかったのは、自分たちだけでは返り討ちにされてしまうと思ったからだろう。だから、四人の受刑者を脱獄させた。あの四人は、唯一あなたに対抗できる腕前をもった魔法使いだ。これからあなたに復讐するつもりなのでしょう。そして、奴らの最終的な目的は、かつての帝国が夢見た大陸の征服というところか……。普通に考えれば、たった四人の魔法使いが世に放たれたところで、そう心配することはないのだが、その四人があなたに近しい実力を持っているとするならば、これは間違いなく王国の、いや、世界の危機だ。……まったく頭が痛くなってくるな」


 ベルトランは深刻そうにつぶやいた。


「あの人たち、まだ諦めていなかったのね。いまだに旧帝国の野心を受け継いでいる者たちがいたなんて……。でも、帝国にとっても迷惑よね。あれ以来、帝国も宥和政策を推し進めてきて、やっと諸外国も認めだしたところだったのに」


「今の首相が変われば、今後の帝国の方針がどうなるかわからんぞ。かつての強国リンベルを取り戻したいと思っている政治家どもが動き出すやもしれん。そもそも、今回の脱走劇もそいつらの差し金である可能性が高い」


「……はあ。もう戦争が起きないように、あれだけコテンパンにしてあげたのに。七十年も経つと、ダメね。喉元過ぎればなんとやら……」


「おい。そんなにのほほんと構えられても困るぞ。今回の件、半分はあなたの責任でもあるんだ」


「……そうね。わかったわ。とにかく知らせてくれて有り難う。私は今日中にこの街を離れるとするわ。みんなに迷惑が掛かる前に……」


「……迷惑が掛かる前に? 冗談じゃない。奴らがこの街にやってきて、あなたがいないからといって何もせずに帰ってくれる保証なんてどこにもない! あなたのせいで、この街の人間の全員が死ぬかもしれないんだ! あなたが、変な情けなどかけずに七十年前に奴らにとどめを刺していれば、こんなことにはならなかった!」


 私は何も言葉を返せなかった。

 ベルトランの言うとおりだ。


「……もはや戦いは避けられない。あなたにできることは、奴らと戦い、街の人間に犠牲を出すことなく、今回の騒動を終わらせることだ」


 ベルトランはそう言って、窓の外を見た。

 執務室の窓からは、この邸宅の広い庭と、街の東側を一望できる。


「このエウースの街は、よくも悪くも外界から遮断されている。この街で戦いが起きれば、誰も逃げられず、多くの犠牲者が出るだろう。……だが、そんなことは私がさせない。……今は、ベルヒニャンから応援部隊を呼び寄せているところだ。警ら隊の巡回もふだんの倍に増やした。……あなたには敵の主力部隊と戦ってもらう。今日から、この屋敷で寝泊まりしてくれ。何があってもすぐに街に駆けつけられるようにな」


「わかったわ」


「ふう。話はそれだけだ。一度、家に帰ってもいいぞ。準備が必要だろう。その間に客室の準備をしておく」


「そう。三時間で戻るわ」


「承知した。馬車を用意させる。護衛もな。……そうだ。これを」


 そう言って、ベルトランは私に一本の杖を手渡した。

 それは、光沢のある重い金属の杖だった。部屋の照明に照らされて鈍く光っている。


「これは……」


「宝杖ヨルムンガンド。あなたの杖だ。昔、処分しておけと言ってランベール様に渡しただろう。奴らと戦うなら、この杖が必要なはずだ」


「この杖は呪われているから捨てろと言ったのに……」


「呪われてなどいない。かつて、その杖でリイヨン王国の危機を救い、第四次世界大戦を終結させた。この国では宝剣ジョワユーズと同等の価値があると言われていることは知っていよう。博物館に寄贈しろという王都の役人を突っぱねて、ランベール様が大事に保管されていたのだ。今、元の持ち主に返そう」


 私は杖を見つめた。

 この杖で、いったい何人の人を殺したか。思い出しただけでも身の毛がよだつ。

 もちろん、杖はただの道具でしかなく、実際に手を下してきたのは私なのだが……。それでも、この杖がなければ、あれだけの犠牲者を出すことは出来なかっただろう。

 逆に、この杖がなければ、王国があのときに滅びていたのは間違いない。


 私は複雑な思いを胸に、宝杖ヨルムンガンドを服の中にしまった。



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