遠い世界のプロローグ
天上で燦々と輝く満月が、闇に染まる夜を照らし出す。満天の星々が散りばめられた夜空は、何処か作り物のような芸術ささえ感じ取れた。
季節は、冬の終わりを迎えようとしていた。晩冬の深夜は、灼けるような寒気と煩いほどの静寂に包み込まれていた。
そんな寒空の下、満月に照らし出された地上の都市の中心部には、周りの建物よりも一際大きいドーム状の教会があった。区画ごとに整備された街並みの中心に立ち、他よりも特別感漂う圧倒的な存在感である。
ーー大聖堂エルンサード。深夜のこの時間には、参拝客や信徒は勿論、司祭や修道女でさえ女神の御前には居るはずがない。
しかし、今夜は不自然にも聖堂内に数人の人影があった。
「ーーやめろ……っ!」
少女の悲鳴にも似た声が響き渡る。
聖堂内に張り巡らされたステンドグラスから漏れる月明かりが照らす祭壇の前。空を走る流星のような白金麗の長髪を振り乱す少女は、赤に金の刺繍の入った絨毯に押さえつけられながらも必死に祭壇の方を睨んでいた。
少女を抑え込む大柄で浅黒い肌をした男が、暴れる少女の力の強さに、思わず喉を僅かに震わせて呻いた。
「貴様ら、自分達が一体何をしているのかわかっているのか!?」
尚も吠えて暴れ続ける少女に対して、大柄の男は堪らず側に立っていた細身の男に視線を向ける。
細身の男は、はぁと一つため息を吐くと、大柄の男と共に少女を絨毯へと押さえつけた。
「お願いですから、じっとしていて下さいよ……」
「ふざけるな!!」
聞き分けのない子供に言い聞かせるように言葉を発する細身の男であったが、少女が向けた射殺す程の視線に忽ち口を閉じた。
少女が再び祭壇へと視線を転じる。祭壇上には、魔力鋼糸により幾重にも縛られた少女と、それを下卑た笑みで見下ろすように立つ男の姿があった。
「そう怒りなさんな。我々は魔族の王を討ち、世界を救うだけだ」
少し離れた木製の長椅子の端に座っていた痩せぎすの男が、見た目にそぐわない良く通る声で、暴れる少女を嗜めにかかる。
尤も、その表情は実に冷めており、少女の意見や意思など微塵も考慮していないことが容易に見て取れた。
「世界を救うだと!?そもそも彼女が世界に仇なすような真似をしたか!?」
少女は、美貌を憎しみに歪ませ、静寂の聖堂内で吠える。食いしばった歯茎からは、血が滲み出し、細い線を描きながら顎先を伝っていた。
目の前の惨状がただひたすらに許せない少女は、己を止めようとする男共と、目の前の少女を害そうとする男、遠くで指示を出しながら見物している痩せぎすの男、そして聖堂入り口に背を預けて立ち、事の成り行きを黙って見ているだけの女に向かって吠え続けた。
「あのな、俺達人間がどれだけ魔族に殺られたと思ってんだ?お前だって納得していたじゃないか?」
少女を押さえつける大柄の男は、今尚この少女が自分達に反対する理由がわからずにいた。
ここにいる者は、みな同じく魔王討伐を志し、共に果てしない旅を超え、苦楽を共にし、その上で勝利を勝ち取った仲間だ。
つい先日まで背中を預け合い、共に立ち向かうことを誓った筈の魔王を相手に、何故今更になって少女は手のひらを返すような事を言うのだろうか。
それを察し得ないのは、単に大柄の男が他よりも少しだけ頭の回転が悪いだけのことであった。細身の男も、下卑た笑みを浮かべる悪人面の男も、痩せぎすで眼鏡の男も、事の行き先を見守る女騎士も、皆少女の想いには気づいている。
「勝手に勘違いをして、魔人族を害したのは私達だ!彼女が殺される道理があるはず無い!」
即ち、魔人族の長にして、魔王と呼ばれる貼り付けの少女に情が湧いたのだ。
古来より純人族と魔人族には争いが絶えなかった。それは、今日でも変わる事のない事実であり、誰もが知る常識である。
今回、魔王討伐に純人族が本腰を入れたのは、大陸北方に位置するアラ帝国が魔人族の手によって落とされたからであった。
それは、押さえつけられた少女もまた知る事実であり、己の家名に誓い、絶対悪を屠る気概を持って討伐作戦に参加した。
しかし、事実はどうか。確かにアラ帝国は滅んでいたが、それは純人族に攻め入られた魔人族の反抗によるものだったのだ。
過去30年程、純人族と魔人族の間には小さな小競り合いのみで、大規模な戦はなかった。お互いに不可侵を守り、平和を貫いていた世を乱したのは、あろうことか信じて疑わなかった純人族であったのだ。
魔人族の軍を押し返し、少数精鋭で魔王城へ突撃、魔王を捉えた後になってから、少女はアラ帝国から逃げおおせた皇帝と自国の国王の会話を耳に挟みその真実を知った。
平和を打ち壊しておきながら、その全ての責任を魔人族に押し付け、そして魔人族を滅ぼそうとする純人族の醜さに激怒し、魔王を逃がそうとした所で現在に至る。
己の正義を信じる少女にとって、これらは非道この上なかった。
「あのよぉ、この際今回の事の成り行きなんかどうでも良いんだよ」
「どうでも、良い……?」
下卑た笑みの悪人面をした男が、不意に少女の前に回り込み屈んで顔を覗いて来る。
ステンドグラスから漏れる光が、絶妙な角度で男の顔を世界に映し出し、人相がより一層悪に染まったかのような錯覚を覚えた。
「そうよ。大事なのはこいつが魔族で、かつ王である事だ。魔族は俺達純人族の敵だ。その王を討つ俺達は正義そのものであり、賞賛され敬われ、喝采を贈られ、崇められる事こそあれ、誰も咎めたりしねーよ」
「そんなの、勝手すぎる……!」
「勝手も勝手、勝手で結構だ。元来人間なんてのは自分のためだけに生きているようなものだろう?お前も考えてみろよ?ここでこいつを殺す。それだけで俺達は、名実共に真の意味で英雄だぜ?この先の人生、何も困ることはなくなるぞ!飯も、金も、女も!あ、お前の場合男か?とにかく人生薔薇色、選り取り見取りよ!」
「…………」
男の言葉を受けて、先程まで暴れて叫んでいた少女が、突如静かになる。目の前の男の言葉を理解し、そして信じられないようなものを見るように、目を見開いて震える紫水晶の瞳を向けた。
魔人族を魔族などと侮蔑の意味を含んだ差別用語で呼称するのは、歩み寄る意思がないことの表れだ。出会ってからずっと、この場にいる面子は皆一様に魔人族を魔族と呼び続けていた。
目の前の男も例外ではなく、魔王のことを同じ人として認識していない。ただ純人族に仇なす怨敵であり、自分が成り上がるための道具としてしか見ていないのだ。
漸く気づいた事で、その事実が更に少女を困惑させる。
「どうした?瞼の裏に描いた未来に目が眩んだか?」
「お前は……お前は、そんな事のために一人の人間を殺すのか?」
「ぁあ!?魔族を人として数えんじゃねぇ!!」
聖堂内に乾いた音が響いた。悪人面の男は、振り抜いた手をひらひらとさせながら立ち上がり、再び祭壇へと歩いて行く。
一方、頬をはられた少女は、勢いそのままに横を向いて大人しくなった。
徐々に赤みを帯び始める頬。しかし、少女は痛みなど気にもせず、この男達の異常性に絶望していた。
ーー何故だ。種族こそ違えど同じ人ではないか。純人族が手を出さなければ、お互い血を流す事なく幸せな日々を送れたじゃないか。自分達に家族がいるように貼り付けにされた魔王にも家族がいるはずじゃないか。
「なん、で……」
それをどうして平気で奪えるのだろうか。己の地位と名声、富と約束された未来。そんなもののために多くの命を散らせ、その上罪のない王まで殺そうと言うのか。
ここにはいないアラ帝国の帝王、自国ルクセントリアの王、そしてこの場にいる今代の英雄と呼ばれる人間達。これの一体どこが正義と呼べるのだろうか。
「……?」
ふと視線を感じて、少女は顔を上げる。そして、身体中に痣を作り、祭壇上で縛られた魔王と呼ばれる少女と目があった。
白桃色の緩いウェーブのかかった髪。頭からは一対の捻れた角が生えている。仰向けのため視認できないが、背には一対の黒翼と尻には滑らかな尻尾が存在する。
一眼で魔人族とわかる少女だ。しかし、空のように淡く澄み渡り、海のように深く染み渡る、青艶の瞳は、純真さを孕んだ人間のものであった。少なくとも、この場の誰よりもずっと人間らしい。
「あっ……」
視線を通わせた魔王は、少女にだけわかるように優しく微笑んだ。魔王の力無く、あまりにも悲痛な笑みが、少女の脳を激しく揺すった。
「もう、てめぇの同意なんていらねぇよな。そもそもが俺らとてめぇじゃ価値観に差があり過ぎる。道端の蟻んこに命の重みを感じるようなてめぇは、この先戦場から離れた方が良いと思うぜ?」
悪人面の男は、再び祭壇の前に立つと振り返らずに言い放った。
そして、脇に立てかけてあった大斧を手に取る。
「やめ、ろ……」
未だに魔王と視線を交わらせる少女は、目の端を赤く染めて呟く。
悪人面の男は、手にした大斧を上段に構えた。
「やめろ」
柔らかな魔王の笑みが怯えに染まり、魔王は強く目を閉じた。
少女は、目に溜めた涙が頬を伝う感覚を感じることもなく叫ぶ。
「やめろぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!!!」
男は、勢い良く大斧を振り下ろした。肉を断つ水質のある耳障りな音が聖堂内に響き渡る。血煙が月明かりの中で宙を舞い、神聖な聖堂内に赤黒い闇が広がった。
祭壇からは、途方も無い量の血が流れ落ち、赤の絨毯を忽ちに黒く染めていく。やがて、それが少女の胸元まで至ると、声にもならない叫びが喉から溢れた。
「ぁ、あぁ……っ!」
動かなくなった祭壇上の魔王を見つめながら、血を孕んで赤黒く染まる絨毯に涙を落とす少女。明らかに抵抗する意思のなくなった少女を解放すると、細身の男は深いため息をついた。
「ふぅ、終わりですね……全く、時間を掛けさせてくれる……」
「あ、あぁ……」
それに続いて、大柄の男も少女を解放し立ち上がる。
痩せぎすの男は、既に立ち上がり教会の入り口に向かって歩き出していた。
「行くぞ」
痩せぎすの男が短く呟いて聖堂から出て行く。
扉に背を預け佇んでいた女騎士は、未だに絨毯に伏す少女を一瞥すると、少しだけ目を伏せてから痩せぎすの男に続いた。
細身の男、大柄の男、悪人面の男もそれに続いて聖堂を後にする。
大斧を振るって以来、下卑た笑みを浮かべながら大笑いをしていた男の声が、やけに耳の奥で木霊していた。
誰もいなくなった聖堂内で、少女は虚脱したようによろよろと立ち上がる。生まれたての子鹿のような足取りでなんとか祭壇へと至ると、上半身と下半身を分かたれた少女を目にした。
「こんなのって……ないよ……っ!」
瞳いっぱいに含んだ涙をこぼして、魔王の胸元に抱き付いた。先程まで生きていたのが嘘のように冷え切った肌だった。
晩冬の深夜、服を全て剥がれ、長時間もの間貼り付けにされていたのだ。未だに流れ出る血液がやけに熱く感じた。
服が汚れるのも気にせずに、少女は魔王に抱きついて泣き噦る。不意に少女の頭が優しく撫でられた。
「へ……?」
顔を上げると、魔王と目があった。健康的な肌は青白くなり、口から溢れる血液で麗しい顔は汚れきっている。しかし、その瞳は確かに開いており少女のことを捉えていた。
「……な」
「ぇ?」
微かに口を動かした魔王。とても聞き取れるような声量ではなかった。
少女は、直ぐ様魔王の口元へと顔を寄せる。
「私のために、泣くな……」
「っ!?」
その言葉を聞いて、少女は身体が燃えるように熱くなったのを感じた。
「なんで!?どうして!?なんであなたはそんなに強いの!?私達の所為なのに!!あなたは民を護ろうとした立派な王なのに!!」
少女の言葉に目を見開く魔王。やがて力なく微笑むと、ごぽごぽと血を吐きながら呟いた。
「私のために、泣いた人間は……お前が初めてだよ、勇者……」
ーー勇者。その言葉に、少女は強く胸を打たれた。
そうだ、自分は勇者の家系に生まれ、勇者として今回の戦いに立ち上がったのだった。その結果がこれだ。
勇者とは、元来人々を救う英雄の中の英雄のことを示す名だ。対して自分はどうだろうか。知らず嗚咽が込み上げる。
自分が不必要に害した魔王は、まだ自分となんら変わらない年頃の少女だった。これから先、長く幸せな人生が望めた年だった。その魔王は盲目的な正義に囚われ、暴走の果てを尽くした自分を前にして、それでもなお勇者と呼ぶのだ。
「ごめん、なさい……」
謝ることが何になるかはわからなかった。それでも自分の非は、認めなければならないと思った。投げ出しては、逃げ出しては、いけないのだと。
「ごめんなさい、魔王!!」
最早焦点の合わなくなった瞳で、虚空を見つめながら薄く呼吸を繰り返すだけの魔王。少女は、そんな魔王に再び抱き付くと、謝罪の言葉を述べ続ける。
だが、時間が経つにつれてだんだんと少女を撫でる魔王の手が力を失っていった。
「もう、十分さ……」
最後に、そんな呟きが聞こえた気がした。
撫で続けてくれていた手が力なく落ち、祭壇の縁に当たって鈍い音を発する。
少女は、涙が枯れるまで泣き、声が枯れるまで叫び続けた。
月が薄れ、世界が青く白み始めた頃、大聖堂エルンサードの祈りの間に1人の少女が立っていた。
晩冬の早朝は、体力を奪う程冷え込み、少女がこんなところにいるのは全くもって不自然である。
少女は、俯いたまま大聖堂が祀る聖戦の勝利の女神、聖女神シルヴィア像の前に立っていた。
「……」
ーー全てが憎かった。
地形や天候、魔族の生態や戦術構成なら任せろと言ってきた痩せぎすの男、天才魔導学者セルディス•モルドレッド。
頭は良くないけどその分力仕事は頼ってくれと豪語した大柄の男、傭兵王バーンズ•グレイタリー。
聖騎士の誇りにかけて世界を悪から救うと正義を語った細身の男、聖騎士長エリオット•ウォールス。
義賊の流儀からしたら真の悪は許せないと喚いていた悪人面の男、大義賊ベクター•ド•ヴァイツェン。
困っている人達を見過ごせないと微笑んでいた女騎士、剣聖レイン•ロートリア。
平和な世を覆し、己がためだけにことの要因を作った暴王、アラ帝国帝王レイグランド•アラ•ヴィエルジュ。
戦を利用し己が名声を高めようとした汚王、ルクセントリア王国国王ヨルド•ルクセントリア。
そして何よりも、間違った正義を貫き通した少女、勇者ジークリット•エルレイン。
実に醜く、汚らしく、強欲で、盲信的で、罪深い生き物だ。
顔を上げると、神聖な女神シルヴィア像が柔らかな笑みを湛えて佇んでいた。
「貴女が、私達を引き合わせた……」
聖女神シルヴィア像には、神聖な結界が貼られており、傷は勿論のこと、埃やチリすら纏わりつく余地はない。
白み始めた世界の中で、ステンドグラスから射す光が、聖女神シルヴィア像を背景から切り離したようにはっきりと映し出す。それは、気持悪い程に優美な姿だった。
「運命も、正義も、実に無価値ね……」
物言わぬ聖女神シルヴィア像に、笑顔で語りかける少女。
しかし、次の瞬間には莫大な魔力が聖堂内で爆発し、荒れ狂う大気がステンドグラスを粉々に吹き飛ばして、極鋭の剣気が木製の長椅子や祭壇、パイプオルガンなどを粉砕した。
突如として現れた天災にも勝る暴力的な魔力の中、青銀に輝く剣を手にした少女が、先程と変わらぬ笑顔のまま聖女神シルヴィア像に語りかける。紫水晶の右眼には、複雑な紋様が輝いていた。
「ーー消え失せろ」
次の瞬間、少女は青銀の剣を真っ直ぐに繰り出した。聖女神シルヴィア像の胸を寸分違わず突き刺す閃光のような突きだ。
しかし、聖女神シルヴィア像を守る結界に直ぐ様剣先が打ち当たり、激しい気流と衝撃が聖堂内に轟いた。
歯茎が悲鳴をあげる程食い縛って、尚も腕を押し込む少女。結界と青銀の剣。拮抗したかに思えたそれらのぶつかりは、果たして数秒の後にガラスが砕けるような音と共に終わりを迎える。
長い歴史の間、聖女神シルヴィア像を守り続けた結界が、軽い音を立てて崩壊して行く。勢いそのまま、少女が放った青銀の剣の突きは、聖女神シルヴィア像の胸に綺麗な穴を穿った。
途端に聖堂内に溢れていた爆発的な魔力が収束していく。
剣を抜き取ると、少女は剣を虚空に放った。音もなく光の粒子となって消えていく青銀の剣。それを見届けると、少女は再び聖女神シルヴィア像を一瞥する。
気持悪い程に優美な姿だったそれは、幾分観れるものになった気がした。少女は振り返り、そのまま大聖堂を後にした。
もう、正義だの秩序だのは、懲り懲りだ。権力者や英傑達の欲に溺れた大事に関わるのは、二度とごめんだ。だから、勇者と呼ばれた少女は決意する。
私は、私はーー
「ーー私は冒険者になろうと思います!」
美術品や絵画をはじめとした調度品が一面を飾り、白を基調とした家具が一式揃った豪奢な部屋の中央で、天を指差し少女が言い放つ。
流星のような白金麗の長髪はばっさりと切られ、肩口で切り揃えられているが、襟足から伸びる一房だけが結われ、今もなお一筋の流星のように背を流れている。紫水晶のような瞳は幾何学的な複雑な色彩で輝き、新雪のように純白な肌の中で煌めいていた。
ジークリット•エルレイン。かつて勇者と謳われた英雄の家系の長女であり、魔王を打倒し真の勇者として崇められている齢18の少女である。
細長い手足ときゅっとくびれた腰からスレンダーな印象を受けるが、出るとこは出ており女性特有の滑らかな線と丸みを帯びている。そんな少女の突然の奇行に、同室にいた二人の存在が呆気に取られたのは言うまでもない。
「え、は……?姉上……?」
「姉様……?」
順に、エルレイン家長男にしてジークリットの弟であるヴェルガウス•エルレイン、エルレイン家次女にしてジークリットとヴェルガウスの妹であるスフィア•エルレインだ。
ヴェルガウスは、齢17の偉丈夫である。ジークリットと同じ白金麗の髪が癖でくるくるとしており、紅輝石の瞳とも相まって格好良さの中に可愛さを孕んだ中性的な顔立ちをしている。細っそりとした見た目とは裏腹に筋肉質であり背丈も180㎝を超えている。まるで物語の中に出てくる英雄のような出で立ちだ。
一方スフィアは、齢15の貴族令嬢だ。これまたジークリットと同じ白金麗の髪をツインテールにし、ゴシック調の服を着込んだ可愛らしい姿である。黒曜石の瞳はぱっちりとしており、白菊のような純白の肌に映える。身長は155㎝程だが、胸のサイズや女性らしさは既にジークリットにも匹敵するものを持っている。
「冒険者、ですか?」
ヴェルガウスは、ジークリットの口にしたことを頭の中でゆっくり整理してから、その理由を問う。
「そ、冒険者。ぶっちゃけ私はもう、お歴々と関わるのはごめんなの。それに、毎日毎日飽きもせず舞い込んでくる婚姻の見合い話。もう、うんざりだよ」
「姉様、また居なくなるの?」
「うっ……」
愛する妹の悲しみに揺れる瞳が、ジークリットの視線を捕らえて離さない。スフィアという少女は、とても甘えたがりなエルレイン家の末っ子だ。ヴェルガウスにもべったりなのだが、特にジークリットに対する甘えっぷりは常軌を逸している。
ジークリットが、魔王討伐のために1年半もの間家を空けたことも相まって、最近は暇さえあれば常に一緒に行動していた。
そんな、可愛い妹の訴えかけるような瞳を見るに耐え兼ね、助けを求めるようにヴェルガウスの方へと視線を転じる。
「いや、そんな目で見られましても……」
ーー駄目だった。それもその筈、当のヴェルガウスも未だ状況を把握しきれていないのだ。
「どうしてよ?」
「いやいや、そもそもなんで冒険者に?俺としては姉上にはこのまま家にいて、然るべき家系の血筋で、武勲に溢れ頼り甲斐のある殿方と結ばれてもらいたいのですが」
「だーかーらー!結婚とか何?私まだ18なんですけど?18で一生が決まるようなことしたくないんですけど?もっと自由に楽しみたいの!」
「姉様、18はそろそろ厳しい年頃です」
「ぐっ……」
そもそもが魔物や魔獣なんかが平然と存在している世界だ。危険は常に身近にあって、日本とは比べものにならない程に死がありふれている。それに準じて純人族の寿命は平均が60とされていた。
そんな世界では、人々は15を過ぎ、子を成す身体が出来る頃には結ばれる傾向にある。特に由緒ある家系の長女であるジークリットは、既に結婚していて然るべき年齢であった。
その紛れも無い事実をジークリットに言い放ったスフィアも既に婚約者は決まっており、火精霊の季節ーー夏に嫁ぐことが決定している。ヴェルガウスもまた、妻のルナをエルレイン家に迎え入れてそろそろ一年が経過しようとしていた。
「兎に角!私は、冒険者になる!ついでに言うとこの国ともおさらば!エルレイン家ともおさらば!私は新しく生まれ変わるの!」
「貴女って人は……」
溜息を吐き出しながら、頭を抱えるヴェルガウス。自分の姉は、一度言い出したら自分の意見を曲げることはない。それを知っているからこそ、目の前のどうしようもない事態に頭を抱えた。
「姉上はーー勇者は、人々に必要ですよ?」
「っ……」
ヴェルガウスの本心からの言葉である。何も勇者とは攻め寄せる敵を打ち払うだけの英傑の名ではない。常に人々の希望となり、先を照らし続ける存在なのだ。
魔人族を倒したところで、純人族の平和が約束されたわけではない。不安を抱える民衆には、絶対的な光が心の安寧のために必須なのだ。それにはスフィアも同意見だったのか、黙ってジークリットを見つめている。
「勇者なんて、元々いないわ」
「へ……?」
勇者と呼ばれた自慢の姉が発した一言に、自然と漏れた疑問。それはヴェルガウスのものだったか、スフィアのものだったか、はたまた両方であったのか。春先の晴天が包むエルレイン邸の一室を、奇妙な沈黙が支配する。
「勇者は、絵物語の中だけの存在よ。そんな者は存在しない。そんな人間は、居ないんだよ」
姉のやたらと重い言葉に喉が詰まる弟と妹。ジークリットという存在は、自分達の知らないところで一体どんな経験をして来たというのだろうか。
しかし、次の瞬間には、それまでの重い空気を打ち払うように屈託のない笑顔でジークリットは笑った。
「だから、気にしなーい!」
「は?」
「私は、私のやりたいことして、私の生きたいように生きるの!二人がいればエルレイン家は安泰でしょう?私一人いなくなったところで無問題よ!」
「姉様!?」
突如としていつもの調子に戻ったジークリットに、尚も困惑するヴェルガウス。そんな彼を置き去りに進み続ける場の展開に、スフィアは驚きの声をあげた。勝手な言い分を多分に含んだ意見を言い放ち、ジークリットが部屋を出て行ったのだ。
スフィアは、直ぐ様呆けているヴェルガウスの頬をはたき、ジークリットを追おうとする。しかし、数秒の後外から大きな物音が聞こえて来てぎょっとした。
思わず窓辺に寄って、豪快に窓を押し開くスフィア。それに続くように窓辺に寄ったヴェルガウスは、先に外を見下ろしていたスフィアと共に目を見開いた。
「お嬢様、お辞めください!」
「うるさいよ爺や!退きなさい!」
そこには、馬小屋から引いて来た白馬に跨り、十数人の使用人に囲まれるジークリットの姿があった。囲んでいると言っても殆どは侍女であり、男手は執事長とたまたま屋敷に寄っていた衛兵長の二人だけであった。
そんなものでジークリットを止められるはずがない。
「ヴェルガウス、スフィア!」
窓からこちらを見下ろす二人に気付き、手を振るジークリット。あまりにも自然な動作に、知らず手を振り返すヴェルガウスとスフィア。
そして、
「後はよろしくね!またいつか会いに来るから!」
晴天の空の中でやたらと存在を主張する太陽が照らすエルレイン領へ、ジークリットの跨った馬は颯爽と走り去って行った。
ちょっとコンビニに行って来る、とでも言うような軽さで、勇者の家系の長女は、己の運命と俗世間の表舞台から逃亡を果たしたのだったーー。
はじめまして、十我むつきです。この度は、当作品を読んで下さりありがとうございます。大分見切り発車なので、上手く書いていけるかわかりませんが、気長に頑張っていこうと思います。工業系の学校卒業という事を理由にはしたくないのですが、例に漏れず語彙力や文章力は乏しいです。誤字脱字、不適切表現、意味間違いなど有りましたら、その都度指摘いただけると助かります。最後になりますが、平成が終わり令和という新時代が始まりました。この新しい時代をこの作品と共に歩んで行きたいと思ってますので、どうぞ興味のある方は是非お付き合い下さい。