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スリル、ショック、サスペンス編⑧

 「貴女は神を信じますか?」


 天野は出勤し、(むすめ)はようやく寝かしつけた。

 赤ん坊の母親というのは『赤ん坊が寝た隙』を見計らって自分の食事をしたり、仮眠を取ったりしなくてはいけない男には想像もつかないブラックな環境だ。


 (むすめ)がようやく寝た。

 (むすめ)は本当に手がかからない。

 夜泣きもほとんどしない。

 『何でも取り敢えず口の中に入れる』なんて事もない。

 言葉がわかっているようにものわかりが良い。

 でも一つだけ厄介な事がある。

 とにかく寝ないのだ。

 睡眠時間は他の赤ん坊の半分程度だろうか?

 赤ん坊が寝ている時が『母親の唯一の自由時間』だとすると、春枝にとってはたまったモノじゃない。

 「ようやく寝てくれた!

 さぁ、寝るぞ!」と春枝が伸びをした瞬間にインターフォンが鳴った。

 「無視しようか?」

 そう一瞬思ったが、無視すると何度もインターフォンを連打するつもりらしい。

 せっかく寝た(むすめ)が起きてしまう。

 しょうがなく春枝はインターフォンに付いたカメラを見る。

 元々住んでいたボロアパートに毛がはえた程度のボロワンルームマンションにカメラ付きのインターフォンなんてある訳がない。

 カメラは妻と娘を心配する天野が『空き巣強盗』のニュースを見て、衝動的に作って取り付けたのだ。

 「貴方、発明家としても食べていけるわよ」春枝は半分本音、半分呆れて天野に言った。

 『そうだろうか?』

 天野は春枝の言葉をそのまま受け取った。

 その日から『発明家』として天野は副業を始める。

 始めた頃、天野は本業より遥かに高い収入を副業で得られるのにビックリしていたが春枝はそれを当然だ、と思っていた。

 天野は自分が認めた天才で、私が惚れた男だ。

 「この男の子供を産み育てるためなら、研究の道を捨てても構わない」とまで私に思わせた男だ。

 今の自動車メーカーでの給料が不当に低いのだ。

 

 話は脱線したが、天野の取り付けたカメラモニターには普通の中年女性らしき人物が映っている。

 「回覧板だろうか?」

 このワンルームマンションに引っ越して来てから近所付き合いはない。

 元々積極的に近所付き合いをするタイプではないが、天野が最低限の近所付き合いをするタイプのようなので自分もそれに倣う事にした。

 余談だが、天野も積極的に近所付き合いをするタイプじゃない。

 後に倉庫を借りた時に、挨拶に来ない天野に痺れを切らせた隣人が逆に挨拶に来る程酷い。

 春枝が酷すぎるのだ。

 回覧板などは独り暮らしだった春枝の部屋で止まってしまうから、春枝の部屋は回覧板のルートから外されていた。

 春枝自身も自分が町内会に入れていない事に何の不便も感じていなかったし、ゴミは毎朝駅前のコンビニに捨てていた。

 でも天野と結婚してからの春枝は違う。

 「は~い、どなたですか~?」

 ドアを開ける。

 中年女性は驚く。

 芸能人以上の美人が出迎えたのだから。

 言ったら失礼だが、こんな築20年以上のボロワンルームマンションにこんなゴージャスな美女がいて良い訳がない。

 「どなたですか?」

 何の返事も返さない中年女性に春枝が再度尋ねる。

 「私は九天玄女様のありがたい教えを広めて回っているのです!」と中年女性。

 しまった。

 宗教の勧誘だった。

 「貴女は今『胡散臭い宗教の勧誘が来た』と思ってますよね?

 九天玄女様はそんな胡散臭い新興宗教団体が崇める、出所が怪しい神様じゃないんです!

 九天玄女様は・・・」

 「道教の神ですよね?

 ・・・で貴女達は新興宗教団体じゃなくて道教なんですか?」私は睡眠の邪魔をされて多少イライラしながら、それでも「天野の表札が出てるんだから、変な噂が立つような事があったら亭主に迷惑がかかる」と努めて冷静に対処した。


 元々読書量は並外れている。

 そこに持ってきて自分以上に文字の虫だった天野が持っている本を妊娠して自由に身体が動かせなくなってから、片っ端から読破した。

 宗教関連の話にはあまり興味がなかったが、天野の蔵書には宗教関連の本が意外にも多い。

 かつて春枝は天野に質問した。

 「ねえ宗教の本が多いけど、宗教に興味があるの?」と。

 『全然。

 ただ"魂"とか"霊魂"ってモノに対する考え方の宗教毎、国毎の考え方に興味があるんだよ』と天野。

 「それは何で?」

 『あくまでロボット工学じゃ、身体は"ハード"、中身は"ソフト"なんだよ。

 ロボット工学じゃハードが優先される訳。

 "ハードの性能、容量がないとソフトは詰め込めない。ハードさえ充分なら、後からソフトはいくらでも詰め込める"って』

 「極端な話だけど、言わんとする事はわかるわ。

 それで?」

 『でも宗教の世界じゃ逆だったりするんだよ。

 "身体は単なる器。中身の入っていない器など何の価値もない"って考え方をする宗教もあるんだよ。

 例えば事故での轢死体を平気でお茶の間のテレビで流す。

 日本じゃ有り得ない感覚だけど、宗教によっては"魂が抜けた器"をテレビで映す事に何の罪悪感もなかったりするんだよ。

 春枝ちゃんはどう思う?

 身体を"ハード"、中身を"ソフト"だと言いきってしまう私を非人道的だと思う?

 それともスピリチュアルな世界を信じている上で"身体は単なる器だ"と扱いがいい加減な事が非人道的だと思う?』

 「わかんないよ、そんなの・・・」

 『うん、私もわからない。

 わからないから興味があるんだ』そう綺麗な瞳で語る天野も自分に負けず劣らず"マッド"である、と再認識した春枝だった。

 話は脱線したが、春枝は妊娠期間中に天野の蔵書である宗教の本を片っ端から読んだ。

 だから『道教』の知識も『九天玄女』の知識も多少はあった。

 「九天玄女様はあらゆる災害から私達を守って下さるんですよ?

 九天玄女様は二年前の大地震も予言されているんですよ?」いつの間にか中年女性はこちらを無視して捲し立てていた。

 「地震を予言って・・・。

 どこまでの精度の予言なんです?」と呆れながらも、取り敢えず春枝は中年女性の話にのる。

 「十数年前に『導主様』が九天玄女様のお告げをまとめた『導典』では、これから30年の間に大災害がある、と・・・」と中年女性。

 やっぱり教祖がいたか。

 大体中国の神が日本の、しかも現代の災害を予言するなんておかしいと思ったんだよ。

 しかも30年て・・・。

 五年に一回ペースで全国どこかで大きめの地震や災害が起きてる。

 『30年先までに間違いなく災害が起こる』なんてモノで良いなら、私でも予言者になれる。

 少しは面白い宗教の話を聞けるかも、と考えた私がバカだった。

 安眠を妨害する中年女性(あくま)にはお帰り願おう。


 「すいません、これから用事があるんですよ。

 お引き取り願えませんか?」と春枝。

 しかし中年女性は引き下がらない。

 きっと勧誘のノルマがあるのだろう。

 「これを持っておくだけで貴女や大切な人達が大災害を免れるんですよ!」

 中年女性は辞書のような一見豪華な分厚い本を取り出す。

 「これが『導典』ですね?」と春枝。

 「話が早い!

 これを持っておくだけで・・・」

 「いりません」春枝は中年女性が何かを言おうとする前に拒絶した。

 「貴女は旦那さんや純くんがどうなっても構わないんですか!?」

 コイツ、表札に書かれてる名前を読みやがったな!

 『家族がどうなっても良いのか?』良い訳ないだろうが!

 私にとっては何よりも大事にしていた『研究』すら躊躇なく投げ捨ててでも大事にしたかった宝物だ!

 しかしこんな鼻紙にすらならないような本を手に入れる事が家族のためになる訳がない。

 「純は娘です。

 息子じゃありません」怒りを抑えた低い声で春枝は言う。

 「"亭主と娘がどうなっても良いのか"でしたっけ?

 大丈夫です。

 心配御無用です。

 亭主も娘も私が護ります。

 お引き取り下さい」と春枝。

 「どうやって貴女が大災害を防ぐんですか?

 災害を防げるのは神である九天玄女様だけなんですよ?」と中年女性。

 「おかしな事を言いますね。

 神様が災害を防いだら、救われるのは信者だけじゃないはずですよね?

 ・・・それはどうでも良いんですよ。

 "もし家族が災害の犠牲になったら?"

 "もし家族が災害で命を落としたら?"

 私が絶対に生き返らせます!」春枝は近年にない程怒っていた。

 "家族が死ぬ"

 それをこの愚かな宗教勧誘の中年女性が口にする事が許せなかったのだ。


 様子が一変した春枝を見て、中年女性は狼狽えた。

 「く、狂っている・・・」

 中年女性は自分の事を棚に上げて失礼な事を呟くと逃げ帰った。

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