スリル、ショック、サスペンス編⑥
「純は本当に手がかからない子ね。
心配なのは"手がかからなすぎ"という事ぐらいだわ」と春枝。
『それの何が問題なんだい?』と天野。
「問題というか"赤ん坊らしくない"のよ。
赤ん坊なのにまるで"良い子を演じている"みたいにも見えるわ」
『考え過ぎだよ。
ホラ、私達の子供だから純はきっととても賢いんだよ』
「本当に・・・楽天的で親バカなんだから!」春枝と天野はベビーベッドで眠る娘を見ながら顔を見合わせてクスクスと笑う。
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男は勤めている自動車整備工場の経理を解雇になった。
仕事に愛着があった訳でもない。
仕事などまともにしていなかった。
いつ辞めても構わない。
ただ辞めた後、会社の金を使い込んだ事がバレるのだけが怖かった。
しかし男の勤務態度なら、解雇になるのは時間の問題だった。
どうしようか?
発覚する前にどこかへ逃げようか?
しかしどこへ?
勤務先は母親の兄弟が経営する自動車整備工場だ。
逃げて親戚筋を頼る訳にはいかない。
自分が使い込んだ金こそ、親戚が経営する会社の金なのだ。
自分が裏切ったのが親戚なのに、親戚を頼る訳にはいなかい。
知り合いも頼れない。
既に知り合い全てに金の無心はしている。
金を貸してくれた知り合いからは額の差はあれど、借金している。
遊興で使う額と利子で更に借金は膨らむ。
その返済を知り合いから更に借金する事で自転車操業していたのだ。
借金の全てを否定する訳じゃない。
『返すあてさえあれば』借金は税金対策にすらなる。
男がしていた借金は『返すあてがない、返す気がない』借金だ。
借金を返す気がないのだから、知り合いから見限られていく。
「貸してる金は餞別代わりにくれてやるよ。絶縁だ。二度と関わるな!」知り合いから言われた男は悲しむどころか喜んだ。
「借金が消えた」と。
借金を返済するために、さらに他人から借金する。
そしてどんどん友達も知り合いも親戚付き合いも消えていく。
にっちもさっちもいかなくなった男は、遂に『会社の金を横領』というパンドラの箱を開けたのだった。
会社を解雇された男は『次に頼る先』が全くなかった。
それどころか、男が行っていた不正経理が発覚する前に身を隠さなきゃいけない。
「何でこんな事になっちまったんだ!」
男は『自業自得』という言葉を棚に上げて毒づいた。
現状を正しく分析出来る人間なら、社会的にも金銭的にもここまで追い込まれていない。
場当たり的で現実逃避ばかりしてるから、男は自分で勝手に追い込まれているのだ。
正に『自爆』という言葉がしっくりくる。
追い込まれた男はどうするのか?
取り敢えず『飲む』のだ。
深酒して現状の苦しさを忘れるのだ。
貧困国で酒や薬物、シンナーなどが蔓延すると言うが『明日の光が見えない』者が自暴自棄になるのは普通の事なのかも知れない。
酒を飲んで泥酔していると、住んでいるワンルームマンションの固定電話が鳴る。
無視する。
電話など、まともに出た事がない。
どうせ借金の督促だ。
出たところで何を言えば良い?
電話は留守番電話に切り替わる。
スピーカーに切り替わり、電話をかけてきたヤツががなりたてる。
電話をかけてきたのはついさっき俺に解雇を言い渡した自動車整備工場の社長だ。
「金庫の中にあるはずの会社の運転資金はどこにある?
もしかして猫ババしたのか!?
あと、これから今月貰えるはずの受取手形料金が、既に割り引かれて支払われてる事になってるんだが・・・。
とにかくお前に聞きたい事が山ほどある!
そこを動くなよ!」社長は捲し立てると受話器をガチャ切りした。
思ったより早く発覚したな。
取り敢えず逃げなくては。
どこへ?
そんな計画が練れるなら無計画に金を使って仕舞いには会社の運転資金に手を付けるような事はしない。
『ここではないどこかへ』逃げるだけだ。
俺は酔ったまま、ハンドルを握った。
今、考えると専門学校時代に両親に買って貰ったこの車が唯一俺に残された財産になっちまったな。
まあ、この車も査定したら10万円も値段がついたらまだマシな方なんだろうが。
車の揺れで更に酔いが激しく回る。
酷い酩酊状態だ。
矛盾しているだろうが、最悪の気分だが気分が良い。
30キロ制限区域の市街地の道路を120キロ出して疾走する。曲がり角から一台の乗用車が出て来る。
信号無視しているのはこちらなのにキッチリ急ブレーキを踏んで危機回避しようとしている。
よほど運転技術が優れているのか?
サポートブレーキシステムってここまで優れてなかったよな?
事故の瞬間ってスローモーションに感じるって本当なんだな。
頭はクリアだ。
でも身体は泥酔で思うように動かない。
俺はブレーキとアクセルを踏み間違えた。
そして猛スピードでブレーキをかけた車方面にハンドルを切った。
どうして?
酔って判断力、反射神経が衰えているのだ。
理由なんか他にない。
相手の車に乗っている女性が見える。
運転している女性は助手席に乗っていた女の子を抱き抱えて守ろうとしている。
だがもう遅い。
俺の車は事故相手の車の助手席側に激突する。
女の子も俺も即死だ。
痛みを感じる時間すらなかった。
しかし、運転していた女性は幸か不幸かほぼ無傷だった。
女性はほぼ無傷で助手席で即死した女の子を見ていた。
女性は取り乱す事なく、一人で何かを話していた。
漏れ出したガソリンに引火して、事故現場は業火に包まれる。
だが女性は何かに向かって懸命に語りかけている。
やがて事故現場で爆発が起きる。
2台の事故車の周辺では焼死体が三つ見つかった。
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「天野がAIメモリーを組み込んだと予想されている車が先程、炎上したようです」
「なんだと!?
天野が開発していたAIは私が社長になる切り札なのだぞ!」
日仏自動車の専務取締役は、今まさに現社長から専務取締役という肩書きを取り上げられそうになっている。
ほとんどの専務派が社長派に寝返った。
余程の逆転満塁ホームランを放たないと専務に勝ち目はない。
日仏自動車は海外の電気自動車に圧されて世界シェア第九位まで下落している。
一時期日仏自動車は世界シェア二位まで上り詰めた事がある。
その地位を回復させたら、誰もが専務の実力を認めざるを得ないだろう。
そのための鍵が『天野が開発したAI』だと専務は考えているのだ。
「AIは無事なのか!?」と専務。
「わかりません。
でも無事の可能性も高いです」
「天野さんは『AIメモリーの入れ物は航空機のフライトレコーダーが収納されている箱を参考にした』と言っていました。
つまり理屈上では余程の大事故でない限りAIメモリーは無事なはずです」
「今すぐその事故車両を確保せよ!」
「え?でも事故の捜査諸々が有りますし、しばらくは警察の管理下では?」
「そんな話は知った事か!
走り屋だった警視総監の馬鹿息子が起こした事故の車両データの偽造をしてやった"貸し"が一つこちらにはあるのだ!
"無理"の一つぐらい通せるだろうが!」
かつて一台の事故車が自動車メーカーに『原因解明』と称して持ち込まれた。
「何でメーカーなの?それは警察の仕事だろ?」という疑問は尤もだ、メーカーの人間だってその疑問を抱いたのだ。
理由は簡単。
『警察が"自分らのトップの息子を裁けなくて責任をメーカーにたらい回しにしてきたから"』だ。
その事故車は警視総監の息子が走り屋として違法改造しまくった車だ。
事故を起こしたのは峠道、理由は明白だった。
警視総監の息子は『違法競争型暴走族』として取り締まられるだけではなく、暴走の末に事故を起こした。
そこで警視総監は息子の起こした犯罪を揉み消そうとしたのだ。
事故理由なんて火を見るより明らかなのに、メーカーに警察から「この車おかしくない?事故起こしたんだけど?」と不自然に持ち込まれたのだ。
「事故起こした理由?
わけわからん。
タイヤ『ハの字』についてるやん。
エンジンだってマフラーだって無茶苦茶いじってる。
メーカーが『安全のために』付けてる色々を悉く改造してるよね?
しかも峠を暴走行為してたら、そりゃ高確率で事故るよ。
メーカーのせいじゃない」という結論が出そうになった。
しかし警視総監から専務に圧力がかかったのだ。
『一つ借りだ』と。
結局車はどノーマルで、ブレーキに不具合が見つかった事になった。
専務は警視総監に一つ貸しを作ったのだ。
警察に貸しがある日仏自動車の専務が、警察に何を指示したかと言うと・・・。
「事故車は『吉田整備工場』に運び込んでくれ」と。
『吉田整備工場』は日仏自動車指定の自動車整備工場であり、しかも数少ない専務派だ。
専務派の自動車整備工場なら自分の思い通り動かせるだろう。
動かせるだろうと思っていた。
事故を起こしたもう一台の車を運転していた男が吉田整備工場を解雇になった男だとは専務は知らない。
吉田整備工場を解雇になった男が会社の金を使い込んでいたせいで、吉田整備工場が破滅寸前だという事も専務は知らない。
一週間もしないで吉田整備工場の社長が夜逃げする事も専務は知らない。
AIの事を知らない人々は焼損の激しい事故車がゴミにしか見えない。
それは日仏自動車の者とて同じだ。
その事故車が『事故現場から持ち込まれた車だ』とわかっているのは吉田社長だけだ。
警察内部には徹底した箝口令が敷かれていて事故車を知っていたとしても『知らない』と言わなくちゃいけない。
しかし肝腎の吉田社長は夜逃げしてしまって所在は不明になる。
専務は霧のように消えてしまったAIを必死で探そうとする。
しかしそのタイミングで専務だった男は日仏自動車内の権力争いに負けて、専務取締役から執行役員に格下げになる。
取締役じゃない、言ってみれば経営陣から引摺り下ろされた形だ。
こうして事故車は元整備工場の廃車置き場で十数年の眠りにつく。
天野が事故車を発見するまでは。




