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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第7章 薫香
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7-16

悠斗と夕霧は、だれなのかと(いぶか)しみながら老女を連れ、大木の反対側にいる桜子たちのところへもどった。

 すると光源氏が、老女を一目見るなり背をむけた。

 夕霧は光源氏に、

『父上を、よく知っておられる方のようですよ』

と声をかけた。だが光源氏は、ふり返ろうとさえしない。

 ――ははーん、父上にとって、そうとう苦手な人らしい、クククッ。

 夕霧がニタリとしたとき、桜子が老女に辞儀をした。

源典侍(げんのないしのすけ)さま、おひさしぶりです」


 源典侍は、紫式部が死の直前に、物語世界から呼びだし桜子に引きあわせた人物のひとりだった。桜子にとって、これが五年ぶりの出会いである。だが、その姿と振る舞いが、桜子の記憶につよく残っていた。源氏物語中の、もっとも個性的な女君のひとりだからだ。

 典侍とは、天皇の身のまわりの世話などをする内侍司(ないしのつかさ)の次官職である。源典侍は、光源氏の父である桐壺帝にながく仕え、琵琶に秀で古歌にも通じた教養深い老女官だった。だが、言葉づかいや持ち物が若作りなうえに、年がいもなく、みずから進んで色恋を求めるような女君だった。

 光源氏は、そんな源典侍に興味を抱き、宮中で夜を共にする。光源氏十九歳、源典侍五八歳の逢瀬だった。だが、かさねて密会をもとめてくる源典侍に、光源氏はすぐに辟易(へきえき)してしまう。

 その後、源典侍は出家し、光源氏の叔母である女五の宮と、斎院職を辞した朝顔の姫君とがいっしょに暮らしていた屋敷に、老いた身をよせる。光源氏は、朝顔の姫君に会うためにその屋敷を訪れたおり、女五の宮の部屋で十数年ぶりに源典侍と出会い仰天する。しかも、このとき七十歳ほどの源典侍は、まるで恋人のように光源氏に言いより、ますます疎まれるのだった。


 老女が源典侍だと知った悠斗は、この人物が現れた理由に思いあたった。

「桜ちゃんのお祖母さんは、春日神にお詣りされたとき、朝顔の姫君を連れておられ、源典侍さんも、そのお供でいっしょだったのではありませんか?」

 悠斗からそうたずねられた源典侍は、老人特有のくぐもった咳をしながらも、若ぶった作り笑いで答えた。

『まぁぁ、孫姫さまのお友だちは、お顔だけでなく、ゴホゴホ、頭もよろしいこと、ほほほ』

 そして、悠斗と夕霧へ流し目をしたあと、言葉をついだ。

『式部さまが、たくさんの品を姫さまに託されましてね、ほほほ、姫さまだけでは持ちきれないのです、ゴホゴホ。――姫さまも、準備が整いしだい、お越しになります』

 源典侍はそう言うと、だいじそうに抱えていた手箱を、カシの大木の根元に広がる苔のうえに置いた。


『姫さま、ご準備はできましたか?』

 源典侍はそう言いながら、カシの木の反対側へヨロヨロと歩いていった。光源氏は、ようやくふりむき、ホッとした顔で、その背中を見送った。

 ほどなくして、朝顔の姫君が、源典侍につきそわれ、桜子たちのまえに姿を現した。源典侍は、新たな手箱を抱えていた。

 桜子たちは、あいさつもそこそこに、朝顔の姫君からの質問を待った。

『まずは、この苔のうえにでも、みなさま、ゴホゴホ、お座りなさいませ』

 源典侍にうながされ、桜子たちは円座を組んだ。速仁と悠斗は桜子の左右に座り、光源氏と夕霧は、朝顔の姫君をはさんで座った。

 そして源典侍は、手箱をふたつ、朝顔の姫君のまえに置いたあと、

『わたしはどこに座らせていただきましょうか……』

と言いながら、源氏親子と悠斗の顔を、なめるようにみつめた。

 ――夕霧、おまえが横に呼べばよいではないか!

 ――父上が相手をすべきです!

 源氏親子はにらみあい、悠斗も身を小さくしていた。

 ――まさか、おれのよこに座ったりしないよな……、

と悠斗が心配していると、桜子が源典侍に声をかけた。

「どうぞ、わたしと悠斗さんとのあいだにお座りください」

 ――そ、そんなぁぁ!

 悠斗は桜子の顔を、おもわず恨めしそうに見た。だが、第三の品を得るまでの我慢だと思いなおした。桜子が、真剣な眼差しで朝顔の姫君をみつめていたのだ。


「だったら、おれと桜ちゃんのあいだにおいでよ」

 源典侍にそう声をかけたのは、速仁だった。

『まぁぁ、ありがとうございます。こちらの宮さまも、元服されたら女房たちが放ってはおかない、かわいいお顔ですこと、ほほほ。出家していなければ、わたしがお相手ができましたのに、残念ですわ、ゴホゴホ』

 老女は咳きこみながら、速仁と桜子のあいだの後方に座った。


 悠斗と源氏親子は、キョトンとした顔を速仁にむけていた。

 ――まあ、助かったが、……物好きなヤツ!

 三人がそろってそう思っているよこで、速仁が桜子に話しかけた。

「昨晩ね、父上が、人びとの暮らしむきに心を配るのはもちろん、家臣や女官にもやさしくするようにと、仰ったのだ。だからね、エヘッ」

 速仁は、そう言いおわると、照れ隠しに笑った。だが、そのとたん、両目をギョッと見ひらいた。源典侍が、皮と骨ばかりのザラザラした手で、速仁の右手を、だれにも見えないようにうしろから握ってきたのだ。

 そばに座ってもらうんじゃなかったと、速仁は涙目になった。

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