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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第7章 薫香
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7-14

 桜子たち三人が食事を終えて店を出ると、すぐにスズメが桜子の肩に留まった。雲林院へむかう道すがら、速仁はなんどもスズメにちいさく手を振ったが、そのたびにスズメは脚で首を掻くのだった。

 そして、三人が雲林院の山門をくぐろうとしたとき、スズメは桜子の肩から飛びさり、道路を挟んでむかいの建物の屋根に留まった。大陰は、道満が現れないか、ここで見張るつもりでいた。

 三人は、飛んでいくスズメを見送った。桜子と悠斗は、立ったまま目で追うだけだったが、速仁はかがみこみ、両手を頬に当ててジッーとスズメを見やった。

 ――いいなぁぁ、トリさんは……。


「宮ちゃーん」

とよびかける桜子の声で、速仁はようやく立ちあがり、すでに門をくぐっていた桜子と悠斗を追った。

 狭い境内だった。人影も、まったくない。だが、打ち水がされ、手入れがゆき届いている境内は、すがすがしかった。

 観音堂のまえで桜子が目を閉じると、すぐに、二四歳の光源氏が現れた。

『はーい、孫姫。それに悠斗殿もお元気そうで、なによりです。――おっ、少年もおるのだな』

 光源氏はそう言うと、また「少年」と呼ばれてますます不機嫌になった速仁を尻目に、あたりをグルッと見渡した。

『夕霧はいないのですね。それはよかった、……アハハ』

 声は笑っているが、顔は寂しげだ。桜子は、それにすぐ気づいた。会えば口げんかの源氏親子だが、おたがいを思いやっていることはたしかだと、桜子はあらためて感じた。


 悠斗が光源氏に、

「ここがどこか、おわかりですか?」

と、からかい顔でたずねた。

『京の都でしょ?……。ちがうのですか?』

 紫式部の墓所で速仁が答えたと同じ言葉が返ってきたので、桜子と悠斗は、顔を見あわせて笑った。

 光源氏は肩をすぼめたが、すぐに、楽しげなふたりのようすに頬をゆるめた。

 ――孫姫と悠斗殿は、もう恋人気分ですな。わたしは、恋を取りもつれ者で結構ですよ、アハハ。


 桜子と悠斗は、ひとしきり笑ったあと、ここが雲林院であることを光源氏に告げた。光源氏は、わざと大袈裟に驚いた顔をしてふたりを喜ばせたあと、かつて紫式部といっしょに当寺を参詣したことを告げた。

『ですから式部殿は、新帖につながる品を、こちらの観音さまに奉納されたのではないでしょうか。きっとそうです。なにせ、わたしが物語のなかで参籠した寺社のうち、名を挙げて語られているのは、石山寺と住吉大社、そしてこの雲林院の三つだけです。物語の主人たるわたしに縁ある実在の寺社に、式部殿は新帖の秘密を託されたにちがいありません。しかも、都のなかにあるのは、雲林院だけです』

 光源氏が自信満々に語ると、桜子と悠斗の目が輝いた。ずっと気がめいっていた速仁も、右手でソッと拳をつくった。


 桜子と悠斗は賽銭箱に千円札を入れた。だが、それを見ていた光源氏が眉をひそめたので、悠斗は、五百円硬貨も取りだし、光源氏にそれをかざしてから投げ入れた。光源氏は、満足げに首を縦に振った。

 ついで速仁が、舞を奉納しようと、観音堂のまえへすすみでた。速仁は、舞の名手である光源氏のまえで舞うのは、いやだった。下手なのをあざ笑われるにきまっている。だが、速仁が自身の力で奉納できるのは、舞しかなかった。

 懸命に秋風楽を舞いおわると、はたして光源氏が、からかい顔を速仁にむけた。

「ほぉぉ、少年よ、それはいったい……」

 だが言いおわるまえに、桜子が光源氏をギロリとにらんだ。光源氏がタジタジとなって口を閉じると、桜子が速仁に声をかけた。

「昨日も上手だったけれど、今日は一段と立派だったわ」

 桜子からほめられ、速仁は素直にうれしかった。光源氏のからかい顔など、気にならなかった。

「エヘッ。おれね、昨晩も、父上から束帯を拝領したお礼に秋風楽を舞ったんだ。桜ちゃんを手伝うための練習のつもりだったのだけど、父上からほめられてうれしかった、エヘッ。こんどは、落蹲(らくそん)も練習するつもりだ」

 速仁は、すっかり明るい気分になっていた。


 四人は目をつむり、観音堂のまえで手を合わせた。光源氏は、

『釈迦牟尼仏弟子』

と名乗り、艶やかな声で法華経を唱えだした。

 誦経を終え、光源氏は目を開けた。つづいて悠斗と速仁も目を開けた。だが、観音堂には、なんの変化も現れていなかった。

 光源氏は、悪びれたようすもなく、

『さて、参詣をすませましたから、少し散歩でもいたしましょうか』と、

あいかわらず艶やかな声で、まだ目を閉じている桜子に話しかけた。

 すると桜子は、目を開き、頭を左右に振った。そして、

「散歩はしません!」

と、珍しく大きな声で叫んだ。

 男たち三人は、そろって驚いた。

 きっと桜子は光源氏に腹を立てているのだ。悠斗と速仁はそう思った。

 ――やっぱり、光る君はダメだなぁぁ。夕霧さんに来てもらえばよかったよ。

 ――桜ちゃんは、怒ると恐いんだぞぉぉ。頭をたたいたりするんだぞぉぉ。

 悠斗と速仁から責めるような目でにらまれた光源氏は、右手を体のまえで左右に振った。

 ――わ、わたしが悪いのではありませんよ!

 光源氏がドギマギしていると、桜子がまっすぐ光源氏の顔を見すえた。


『もうしわけありません!』

「ありがとうございます!」

 光源氏と桜子の声が、同時にあがった。


 男たち三人は、桜子の言葉に目をまるくした。どういうことなのだろうと、たがいの目のなかに答えをさぐった。

 桜子は、そんな三人に、

「観音さまのお告げがありました!」と、

ニッコリしながら叫んだ。そして、観音堂の本尊である十一面千手観音が心のなかへ語りかけてくれた言葉を、悠斗たちに伝えた。――

 一月の六日の朝、まだ菩提講が始まらず参詣者も少ない本堂に、紫式部はひとりで現れた。そして、源氏の新帖を探し求める者が物語の縁をたどり雲林院に現れれば、その者に、雲林院と斎院御所の境に祀られている春日神の祠に詣でるよう伝えて欲しい、と本尊に祈願した。本尊の観音像は応仁の乱で焼亡したが、式部の祈願は、同じ地に再建された観音堂の新像である十一面千手観音が引きついだのである。

「観音さまは、そうお告げになったあと、春日神の祠も戦乱でうしなわれたが、春日神そのものは、この近くの、檪谷七野(いちいだにななの)神社にいまでも祀られていると、教えてくださいました」

 桜子はそう言ったあと、光源氏にむかって、笑いながら言葉をついだ。

「ですから、その神社へ、散歩ではなく、お詣りいたしましょうね」

『はい、孫姫。わたしも、最初からそのつもりで散歩ともうしたのですよ、ハハハ』


 ――あいかわらず光る君は調子がいいよなぁぁ、

と苦笑いしながら、悠斗はポケットからスマートフォンを取りだした。名前を初めて耳にした〈いちいだにななの〉神社を、地図アプリで探そうとしたのだ。

 桜子も速仁も神社の場所を知らない。悠斗の手元を興味深げにのぞいている。だが、漢字がわからず悠斗が手間取っているうちに、

『さっ、まいりますよ。悠斗殿、案内してください』

と言い残し、光源氏がサッサと山門へむかった。

 三人は、神社の位置がわからないまま、しかたなく、光源氏のあとを追った。


「わぁぁ、どうしよう!?」

 雲林院の境内を出たとたん、悠斗が、困った顔で声をあげた。スマートフォンの画面が、とつぜん、まっ暗になったのだ。

 ――昨日の夜、充電しておいたのに……。

 悠斗が不思議に思っていると、横で桜子が悲鳴をあげた。

「きゃぁぁ、シロちゃんが!」

 境内を出た桜子にむかって飛んできたスズメが、途中でスッと消えてしまったのだ。

 すると、まわりの建物も、つぎからつぎへ淡黄色の砂の塊に変わり、そして時をおかずして崩れ落ちていった。雲林院の建物だけが姿をとどめている。

 ――仁和寺と六道珍皇寺のときと同じだ。おれたち、異次元に入ったんだ!

 そう確信した悠斗は、いまにも泣きそうな顔の桜子に、力強く声をかけた。

「きっとシロはだいじょうぶだ。おれたちが第三の品を見つけたら、またシロに会えるよ」

 桜子は、スズメを探して遠くを見やりながらも、小さくうなずいた。速仁もホッとした顔だ。


 ――シロ!? 孫姫は犬でもお飼いになったのだろうか?

 光源氏が首をかしげたとき、桜子が、南西の方向を指さし、うれしそうに叫んだ。

「観音さまと春日神さまのお力で、神社の場所がわかりました」

 桜子が指さした先には、石の鳥居と階段、そして拝殿らしき建物の屋根が、黄色い砂塵に覆われ、ボンヤリと小さく見えていた。雲林院と檪谷七野神社だけが堂宇をとどめ、あたり一面は、淡黄色の砂地が広がっていた。

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