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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第7章 薫香
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7-10

 三田が高級ワインをボトル二本飲みほし、高田が勘定書を見てまっ青になった翌日、京都は、昨日の猛暑が嘘のような、強い寒気におおわれて夜が明けた。月が替わり九月に入ったとはいえ、天候の異常なほどの急変だった。


 そんな寒さもいとわず、大陰は、朝早くから鞍馬堂に来ていた。白いスズメに変化し、窓手すりの上に留まって、カーテンの狭い隙間から桜子の部屋をうかがっている。桜子が無事でいることは、気配でわかっていた。だが、それでも心配だったのだ。というのも、一昨日、晴明神社に突如、芦屋道満が現れたからだった。


 道満が境内に入ってきたとき、真下の大洞窟にいる晴明は、それが道満であることに、すぐには気づかなかった。道満がマルセルの体のなかに潜んでいたからである。だが、その人物が拝礼もせず、憎しみに溢れた眼差しで境内を歩いているのが奇妙に思われた。気を集中させて探り、ようやく道満の魂魄を透視した。そしてその直後に、晴明像が道満によって破壊されたのである。

 晴明は驚いた。あの道満が、これほどの破壊力を身につけたとは……。いったい、道満になにが起きたというのか。そして、いまなぜここに姿を現したのか。内裏での呪術くらべに敗れた恨みを晴らそうとしていることは、容易に想像できた。だが、ほかにも目的があるのではないか。それに、どのような手を使って、道満はこの時代によみがえることができたのか。疑問がつぎつぎに湧いた。だが晴明には、まだハッキリとは真相がつかめなかった。


 晴明は、閉門まで境内に居つづける道満の動向を、洞窟のなかから慎重に監視した。下手に式神を動かせば、こちらの居所が知られるかもしれない。洞窟の外周には結界がめぐらされており、妖力を増した道満といえども入ってくることはできないはずだ。ジッとしているに越したことはない。晴明はそう考えた。

 そのうえ晴明には、道満と争う理由がひとつもなかった。むこうが一方的に恨んでいるだけだ。像など、いくら壊されても、どうでもよい。人の命や暮らしを道満が脅かそうとしないかぎりは、こちらから手出しはすまい。晴明は、そう思いさだめていた。


 道満の魂魄がマルセルの体とともに晴明神社を立ち去り、やがて境内が深い闇につつまれると、晴明は大陰たち天将を境内に放った。そして、天将らの妖力で、またたくまに晴明像がもとにもどった。

 そのあと晴明は、天将たちを洞窟内に呼びもどした。だが、ひとり大陰だけは、その夜のうちに、鞍馬に住む桜子のもとへ飛んだ。晴明は、桜子のことが気がかりだったのだ。晴明と道満がともに生きていたのは千年まえ。その時代とかかわりを持ち、かつ現世に生きている人間といえば、桜子だけである。晴明は、道満がこの世によみがえったのには、源氏の新帖や桜子と、なんらかの繋がりがあるのではないかと考えたのだった。


 こうして大陰は、これまで以上に桜子のまわりに目を配った。嵯峨野と嵐山では、一日中、道満が桜子のまえに現れないか、監視の目をゆるめなかった。さすがに疲れた大陰は、その夜遅くに桜子と悠斗が鞍馬堂にもどると、晴明が待つ地下洞窟にいったん引き返して身を休めた。

 そして今朝、夜明けと同時に、鞍馬堂へ飛んできたのだ。


 桜子の部屋のカーテンがサーッと引かれ、桜子の目と、窓手すりにいた白スズメの目が合った。

「まぁぁ、かわいいぃぃ」

 桜子からそう言われて、よわい千年以上を数える大陰はとまどった。ここは小鳥らしく、一度は怯えたふうに飛びさるべきか、それとも、小首を傾げてますますかわいげに振るまうべきか。

 ――どちらが自然かのう……。

 迷っていると、桜子がガラス窓を開け、右手の人差し指をスズメの脚元に差しだした。大陰は、おもわずヒョイと、その指に飛び乗った。

 ――こ、これは、しかたないのじゃ! 強飯を指の上で食べた千と五年まえを、つい思いだしてしもうたわ。量は多すぎたが、楽しかったからな……、

と、大陰は自分に言いわけした。


 桜子はスズメを指に乗せたまま、窓を閉めると、部屋の真ん中に座った。

「おなか空いている?」

 桜子にそう問われたスズメは、

『チュン』

と、めいっぱい、かわいげにさえずった。

 べつに空腹なわけではない。だが、空腹でないと伝えれば、桜子をガッカリさせる。大陰は、また自分にそう言いわけした。

「おじさまから、お米をもらってきてあげるね」

と言いながら、桜子はスズメを畳のうえに移した。

 ――コラコラ、米粒では硬すぎるぞ! パンくずか、せめて飯粒にせんか!

 そう思いながらも大陰は、しおらしく、またチュンと鳴いた

 桜子は、スズメの頭をやさしくひとなでした。

「五年まえに飼っていたスズメちゃんと、よく似ているね」

『チュン、チュン』

「あのスズメちゃんは、おバカさんだったのよ」

『!……』

「だってね、飛びながら、釣燈籠に頭をぶつけちゃったの、うふふ」

『…………』

「それにね、寝ているか餌を食べているか、いつもどっちかで、庭に放した最後の日は、強飯を食べすぎて、飛びあがるのが苦しそうだったわ、うふふ」

 スズメの目が、いっきに赤くなった。

「でもね、おまえのように、とってもきれいな、まっ白な羽をしていた。わたし、大好きだったの」

『チュン』

 スズメの目から、赤みがたちまち消えた。


 桜子が米粒をもらいに行くために立ちあがろうとしたとき、

「桜ちゃん、入っていい?」

という悠斗の声が廊下でした。

 桜子は、

「はい、いま開けますね」と、

はずんだ声で答えた。


 部屋に入った悠斗は、すぐにスズメに気づいた。

「あっ、コレどうしたの?」

 悠斗からモノ扱いされたスズメの目に、赤みがサッとさした。

「窓の手すりに留まっていたの。とても人なつこくて……」

 桜子がそう言うと、悠斗はしゃがみ込み、スズメをしげしげと見た。

「コレ、白いスズメだね。めずらしいや。指に乗るかな……」

 悠斗は人差し指を差しだした。するとスズメは、その指をクチバシでガシガシとかじった。

「イテェェ」

とは言ったものの、悠斗の顔はうれしげだ。

「蔵に鳥カゴがあるかもしれない。祖母ちゃんに聞いてくるよ」

 悠斗がそう言うと、スズメの目がますます赤みを濃くした。

「でも、悠斗さん。生き物を狭いところに閉じこめると、かわいそうです」

 スズメは、ピョンピョンと跳ね、桜子の背中のうしろにまわった。

「うーん、そうかもな。――エサを窓の外に置いてやろう。それに、窓を開けておけば、好きに出入りするかもな」

「ええ、わたしもそれがいいと思います。――祖母も、生きていたら、きっと賛成してくれますよ。スズメの子を伏籠(ふせご)で飼おうとした若紫ちゃんは、叱られたですものね」*

 桜子がそう言うと、悠斗は、今朝早くから桜子の部屋に押しかけた目的を思いだした。


「朝ご飯を食べたら、桜ちゃんのお祖母さんのお墓参りに行かないか?」

 悠斗の言葉に、桜子は目をまるくした。祖母の墓があるなどと、いちどとして母の賢子から聞いたことがない。

 だが、悠斗が言っているのだ。もしそういうものが本当にあるなら、お参りしなければ、と桜子は思った。

「は、はい。――それでは、連れていってください」

「オッケー」

と言って、また悠斗はスズメのまえに指を差しだした。だがスズメは、その指にかじりついたあと、桜子の左肩にパタパタと飛び乗った。

「アハハ、このスズメは、きっとオスだな」

 笑いながら悠斗がそう言うと、スズメの目がまっ赤になった。

 ――け、けしからんヤツ! いくらこのオババが年をとっているにしても、言うに事欠いて……。

 大陰が逆毛も立てていると、桜子は右手でスズメの体をつかまえ、また畳に移した。

「ここでおとなしく待っていてね。朝食がすんだら、すぐにエサを持ってきてあげる」

『チュン』

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