7-5
光源氏のモデルのひとりだと考えられている人物に、嵯峨天皇の皇子である源融がいる。臣籍降下し、源氏物語が書かれたころから百数十年まえに、左大臣にもなった大貴族である。六条河原院とよばれた豪壮な邸宅を洛中に構え、嵯峨野の一角には風雅な別荘〈棲霞観〉を建てた融は、八九五年に七三歳で死んだ。
融の一周忌に、息子たちが阿弥陀三尊像を別荘内の仏殿に安置し、別荘を棲霞寺とした。そして紫式部が存命していたころ、一体の釈迦如来像が宋から渡来し、境内の一堂に安置された。その御堂は清涼寺と号され、多くの信者を集めるようになる。やがて棲霞寺という名は、信者でにぎわう清涼寺に取りこまれるようにして消えていったのだった。
源氏物語で、栄華の絶頂にあった光源氏が本邸としていた六条院は、融の六条河原院をモデルのひとつとしている、と考えられている。そして、光源氏が造営させた〈嵯峨野の御堂〉のモデルも、融に由来する清涼寺だとみなされてきた。
悠斗は、源氏物語と縁の深いこの清涼寺に、桜子と速仁を連れていこうとしている。
嵯峨釈迦堂と通称される清涼寺は、悠斗にとって、七年まえに法輪寺での十三詣りのあとに立ち寄り、母の病気平癒を祈願したがかなわなかった、つらい記憶が宿っている場所だ。大学生になって京都に住むようになってからも一度として嵯峨野や嵐山に足をむけなかったのは、清涼寺と法輪寺の境内はもちろんのこと、その近辺を歩きたくなかったからである。
だが、清涼寺の境内に足を踏み入れなければ、源氏物語の新帖についての手がかりを得られないだろう。桜子のために、そして、新帖を読みたい自分自身のためにも、手がかりを得たい。それは、登場人物十二体の人形を制作するほど源氏物語が好きだった母への弔いにもなる。悠斗はそう考え、清涼寺に行くことを決意したのだ。
野宮神社から、およそ北の方向へ、歩いて十分ほどで、悠斗たち三人は清涼寺の正面入口である仁王門に着いた。
仁和寺での朱雀院の話しによれば、紫式部は「野宮あたり」に行くと言っていたらしい。野宮の近辺というなら、野宮神社そのものよりも清涼寺のほうが、実際にはふさわしい。仁王門の基壇に立った悠斗は、そう確信した。
そして、本尊に祈願して仁和寺と六道珍皇寺のときのように風景が一変すれば、桜子に光源氏を呼び出してもらおう。悠斗はそう考えながら、見覚えのある本堂の釈迦堂へ、先頭に立ってまっすぐ歩を進めた。
だが五分後、桜子たち三人は、ふだんとまったく変わらない境内の真ん中で、ふたたび呆然と立ちつくすことになった。
本堂の釈迦如来像も、そして宝物館に安置されている棲霞寺由来の阿弥陀三尊像も、桜子たちに語りかけることがなかったのである。
三人のなかでも、とりわけ悠斗が意気消沈した。意を決して来たというのに、第三の品は得られなかったのだ。七年まえのつらい記憶に呑みこまれず、しっかりと大地を踏みしめて立っていられることが、せめてもの救いだった。桜子と速仁の存在が、悠斗を支えてくれたのだ。
「悠斗さん、気落ちしないでください。祖母がお詣りしそうな寺社を、あらためて考えましょうよ」
「そうだよ悠にいちゃん。もういちど考えなおせばいいだけだよ」
そう声をかけてくれる桜子と速仁の思いやりが、悠斗にはありがたかった。
「ごめんよ。おれ、もっと野宮のことを調べるよ。桜ちゃんのお祖母さんが言ってた野宮は、別の場所かもしれないし……。今日は無駄足をさせて、ごめんな」
悠斗がそう謝ると、桜子と速仁は、そろって首を横に振った。
「無駄ではなかったです。わたし、舟に乗れて、とても楽しかったもの」
「おれもだぞ! それにおれなんか、生まれて初めて泳いだのだから! すごく楽しかった」
「宮ちゃんは、泳いだのじゃなくて、溺れていただけじゃない!」
「そうかなぁぁ。五尺ぐらいは泳げた気がするんだけどな。エヘッ」
悠斗は、自分を元気づけようと、桜子と速仁がわざとのように明るく振るまってくれているのがうれしかった。
「おれ、また今夜から調べなおすよ。すこし日数がかかるかもしれないけど……」
そう言ったあと、悠斗は腰に両手を当て、目をつむった。なにか考えこんでいるようだ。
桜子と速仁は、それぞれ悠斗を心配そうにみつめた。ふたりが、どちらからともなく目を合わせたとき、悠斗がまぶたを上げ、ようやく口を開いた。
「おれ、いまから法輪寺に行きたい。源氏物語とは関係ないけど、つきあって欲しい」




