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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第7章 薫香
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7-4

 桜子たち三人は、渡月橋近くの桟橋方向へもどりながら、ボートのなかでおにぎりを食べた。

「これ、おいしいね」

と言って桜子の顔をあらためて見た速仁は、桜子のようすがこれまでと少しことなっているように感じた。だが、どうちがうのか、すぐにはわからなかった。


 おにぎり三個目を半分たいらげたとき、速仁が大声を上げた。

「アアァァァ! か、髪の毛!」

 速仁は、桜子の髪が短くなっていることに、やっと気づいたのだ。

 桜子は、はにかみながら髪に手をやり、横顔を速仁にむけた。だが速仁は、かじりかけのおにぎりを手に持ったまま、あぜんとしている。

 ようやくのことで速仁は、

「尼さんになったの!?」

と、心配そうな声で桜子にたずねた。桜子は眉をひそめ、

「そんなわけ、ないじゃない!」

と言ったきり、速仁をもう見ようとしない。

 ――悠斗さんは、すてきだよ、って言ってくれたのに……。宮ちゃんのバカ!


 悠斗は、ひとりでボートを漕ぎながら、桜子と速仁のやりとりをおかしそうに聞いていた。

 ――一宮はまだ子どもだよなぁぁ。そんな言い方したら、まずいだろ、ククッ。助け船を出してやらないとな。

 悠斗は笑いをこらえながら、

「おい、一宮、おまえはどう思う? 桜ちゃんの髪型、ステキだろ」

と、速仁に声をかけた。

「ウーン。似合っているとは思うよ。でも……」

 速仁は言いよどみ、おにぎりをほおばった。千年まえの世界では、いまの桜子のけっして短くない髪でも、十分に尼削(あまそ)ぎなのだ。

「お、おれ、桜ちゃんが尼さんになりたいなら、それでもいい! 桜ちゃんは桜ちゃんだし、中身は変わらないもの。おれ、ずっと桜ちゃんをだいじにする!」

 速仁は真顔でそう言ったあと、輝くような笑顔を桜子にむけた。

 だが桜子は、ますますそっぽをむいた。

 ――なぜわたしが出家しなければならないのよ! 悠斗さんがいなければ、宮ちゃんの頭をひっぱ叩いてやるのだけれど……。


 悠斗は、もう笑いをこらえきれなかった。

「アハハ。桜ちゃんは出家なんかしてないぞ。こっちの世界では、みんな、自分が似合うと思う髪型にするんだよ」

「ふーん、そうなのか……。おれ、こっちの世界で会った女の人は、みんな髪が短いから、尼さんになったうえで暮らしているのかと思っていた」

 速仁はそう言うと、桜子にあらためて声をかけた。

「その短い髪も、以前の長い髪も、どちらもいいと思うよ。なんだったら、お坊さんのようにツルツルに剃っても、きっと似合うかもしれないね」

 桜子の目がつりあがった。

 ――悠斗さんがそこにいるから、命があると思いなさいよ!

 桜子は、作り笑いの顔を速仁にむけ、おもむろに口を開いた。

「宮ちゃんが生きていられるのは、悠斗さんのおかげだわね」

「うん、おれもそう思う。悠にいちゃんがいなかったら、ほんと、溺れてたよ、エヘッ」

「そうね」

と、作り笑いのままで桜子は答えた。


 ボートが桟橋に着くと、速仁がまっさきに飛びおりた。そして、

「早く行こうよ」と、

桜子と悠斗をせき立てた。

「おう、そうだな」

と、悠斗が、手を取って桜子をボートから下ろしながら応じた。

 桜子も、すっかり機嫌をなおしていた。速仁との口げんかやいさかいなどは、日常茶飯事なのだ。そのうえ、下船する直前に速仁が「舟って楽しいね、桜ちゃん」と口に出したとたん、怒りが吹き飛んでもいた。速仁は、自分よりも窮屈な日々をすごしているのだ。


 三人は、まっすぐ野宮神社へむかった。竹林のなかを縫うようにつづく小柴垣の細道をほんの少し歩くと、樹皮がついたままの〈黒木(くろき)の鳥居〉が三人を迎えてくれた。

 野宮とは、かつて天皇の代替わりごとに伊勢神宮へ派遣されていた巫女の斎宮が、約一年にわたって心身を清めるための潔斎場である。飛鳥時代に設けられたのが初例で、平安京への遷都以降は、京都西郊の緑野に設営された。斎宮には皇女が任ぜられ、野宮は、その一代限りで取り壊されるしきたりになっていた。嵯峨野の野宮神社は、数多くあった野宮跡のひとつに創建されたものである。

 源氏物語では、野宮が、光源氏と六条御息所の逢瀬の舞台のひとつになっている。光源氏の愛情が薄れたことで苦しむ御息所は、東宮だった亡夫とのあいだにもうけた娘が斎宮に選ばれたことを潮に、光源氏との縁を絶ち、娘といっしょに伊勢へ下向することを決意した。光源氏は、長いつきあいの御息所と、このまま言葉をかわさず別れるのが辛くも惜しくもあり、御息所が娘と籠もっている野宮を、秋九月の夜ふけに訪れたのである。ふたりは夜おそくまで語らい、夜明けまえに光源氏は野宮をあとにしたのだった。

 桜子たち三人は、〈野宮の別れ〉として知られている、物語中のこの場景を思いうかべながら、本殿へむかった。


 そして五分後。

 三人は本殿のまえで呆然と立ちつくしていた。悠斗が賽銭箱に千円札を入れ、速仁が秋風楽を舞って奉納しても、境内のようすはまったく変わらない。祭神は現れず、六条御息所も姿をみせなかったのだ。

 速仁が不思議そうに、

「ここじゃなかったの?」と、

悠斗の顔をうかがった。

 桜子も、無言のまま、気まずそうな顔を悠斗にむけた。

 悠斗は、

「すまん。おれ、まちがえたみたいだ……」

と、うなだれるしかなかった。


 悠斗はしばらくのあいだ、地面に目を落としながら、自分に言いきかせていた。

 ――おれ、絶対にだいじょうぶだ。桜ちゃんや一宮といっしょなら、だいじょうぶだ……。

 両手を腰に当て、悠斗は深呼吸した。そして、意を決して口を開いた。

「ヨシ! いまから清涼寺へ行こう!」

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