7-1
桜子は、小野篁から冥界で銅鏡を譲られた翌日、タイムワープする速仁を鞍馬寺で見送ったあと、また店番に精をだした。といっても、あいかわらず客足は伸びない。たち働いている時間よりも、スケッチ帳を手にしている時間のほうが、はるかに長かった。
そんな桜子に春恵が、新品の色紙を何枚もくれた。そして、
「こんなええもんがあるの、知らんかったわ」
と言いながら、水彩色鉛筆もプレゼントしてくれた。近所の店で買ってきたという。
その日から二日間、桜子は、昼は店番しながら絵を描いてすごし、日没後は悠斗のために水干を縫った。そして、寝るまえに悠斗の部屋で、高校の教科書を使い、悠斗に勉強をみてもらった。
週末の土曜日になると、悠斗も店の手伝いをした。悠斗は、餅屋と学業が両立できないものかなと、真剣に考えはじめていた。
その夜、悠斗の部屋での勉強を終えると、桜子は、自分の部屋にいったんもどり、またすぐに悠斗の部屋へとってかえした。そして畳に座り、
「明日は、これを着て店のお手伝いをなさいますか」と、
縫いあげたばかりの水干を、ベッドに腰掛けている悠斗に差しだした。
悠斗は、柄を見て、おもわず吹きだしそうになった。観音柄だと桜子は言っていたが、ユルトラオムファミリーの面々をかわいくデフォルメしたものだったのだ。どう見ても、子ども用の柄だ。
悠斗は、桜子がガイアのフィギュアやポスターに礼拝する理由が、ようやく飲みこめた。
悠斗は畳に座りなおし、ユルトラオムがどういうものか、桜子に説明した。
人類を守るために、恐ろしい怪獣をバッタバッタと倒す正義の味方だ。
「そんなふうに思って、小学生のあいだはユルトラオムが好きだった気がする」
でも、ときには怪獣の側が、人類を襲う正当な動機を持ってる場合もある。人類に住みかを破壊されたり、人類による環境破壊が原因で生まれた怪獣だっているんだ。人類の存在自体が地球上の他の生命を脅かすから、そういう人類を絶滅させようとする怪獣さえいる。そんなとき、ユルトラオムは、人類でなく怪獣に正義があるのではないかと悩んだりする。だけど、人びとの生命や生活が怪獣によって脅かされると、ユルトラオムは、苦悩しながら、そして悲しみながら、怪獣を倒す。
「だからおれ、いまでも、ユルトラオムが好きなんだ」
桜子は、ガイアを観音だと勘違いしていたことが恥ずかしく、悠斗の話しを、最初は赤面して聞いていた。だが、話しを聞きおわると、きっぱりとした口調で言いきった。
「ゆるとらおむ様は、やはり、観音様だと思います。だって、ときには怪獣も救ってくださる、広い御心を持っておられるのですから」
桜子は、横笛と銅鏡のあいだに立つガイアのフィギュアに顔をむけ、こぼれるようにほほえんだ。そして、あらためて悠斗にむきなおりたずねた。
「もし、ゆるとらおむ様のふぃぎゅあを、まだ他にお持ちなら、譲ってくださいませんか。わたしも、部屋に置いておきたいです」
「ああ、もちろん持ってる! いくつでも貸してあげるよ!」
「えっ!? いくつも?」
そう言って驚く桜子の声は、喜び勇んでいる悠斗の耳に、まったく届かなかった。悠斗はベッドの下に手を伸ばし、フィギュアをつぎからつぎに取り出した。
「これはセット。これがアースで、これはジャン。それにコスモースもある。それから……」
と言いかけたところで、悠斗は、桜子が目をまるくしているのに気づいた。
――あっ、まずい! おれ、調子に乗りすぎたかも……。
悠斗は、フィギュアを両手に一個ずつ握ったまま、凍りついたように固まった。
悠斗が言葉をつげないでいると、桜子の口がゆっくりと開いた。
「悠斗さんは、ふぃぎゅあを、たくさんお持ちなのですね」
「う、うん、まあね」
「ふぃぎゅあが、お好きなのですね」
「!………。う、うん、まあそうかな」
と答えながら、悠斗は桜子の顔を、心配そうにうかがった。
――フィギュアをだいじにしてる男って、やっぱり、ダメかな……。
驚いていた桜子の顔が、ゆっくりと、輝くような笑顔に変わっていった。
――えっ!? それって、オッケーってこと?
悠斗は、もうためらわなかった。ありのままの自分でいよう。悠斗は、ベッドの下から、ありったけのフィギュアを取り出し、桜子の目のまえに置いた。
「これはね、スカドンっていう怪獣。ダンゴムシに似てるだろ。そしてこれがね、母さんも好きだった怪獣。住んでた星が、人間の身勝手さのために破壊された、とてもかわいそうな怪獣なんだ」
悠斗は、右手でギエモン星獣のフィギュアを握り、桜子の顔のまえで左右に振った。
「まぁぁ、かわいい!」
「アハハ、母さんもそう言ってた」
桜子と悠斗は、ユルトラオムと怪獣のフィギュアをあいだに挟み、夜おそくまで、笑いながら言葉をかわした。
そして桜子は、部屋にもどるとき、悠斗から、フィギュアを一体渡された。
「これはね、ガイアの仲間のアグレ。ふたりは、力を合わせて戦うんだ。おれの部屋にはガイアを置いておくから、桜ちゃんの部屋にはアグレを置くといいよ」
「うん、ありがとう」
桜子が悠斗に「うん」と言って返事したのは、仁和寺以来のことだった。ふたりともそのことに気づいた。だが桜子は、もう気恥ずかしくなかった。ふたりは顔を見あわせ、同時に笑った。
そして桜子は、いつものように、ガイアのフィギュアとポスターに、居ずまいをただして礼拝した。桜子は、ガイアの顔のむこうに、石山観音の顔を見ていた。
――ありがとうございます。髪のことも、お人形遊びが好きな男君のことも、願いがかないました。
ポスターのガイアにそう礼を述べた桜子は、あらためてフィギュアのガイアに、新しい願い事をした。
――いつの日か、悠斗さんにとってわたしが、妹でなくなりますように。
翌日の日曜日、悠斗は水干姿で店先に立った。さすがに、かなり恥ずかしかった。だが、うっすら目を潤ませるほどに喜んでいる春恵を見て、悠斗の口から、感謝の言葉が素直に出てきた。
「祖母ちゃんがこんな布を買ってくれてたこと、おれ、ぜんぜん知らなかった。ありがとう」
「悠くんが小学校の四年生のときに買っておいたんよ。でも、お母さんが、そのころから体を壊さはったやろ。おばあちゃんね、なんかこう、落ち着いて針仕事できんようになってしもうたんよ。そのうち、悠くんがドンドン大きくなっていくし……」
「うん、そうだったね」
と言いながら、悠斗は、店先に飾られている光源氏人形を見た。
――これからおれ、母さんの分も、祖母ちゃんと祖父ちゃんをだいじにするからね。
そして、翌日から新しい週が始まった。
朝食を終えると、悠斗は桜子を誘い、近所の美容院へ出かけた。自分はいつものカットだが、桜子にも、髪の手入れをしてもらうよう勧めた。
悠斗は、先に桜子のセットを頼んだ。桜子は椅子に座り、目のまえの大きな鏡を見た。自分を穏やかな顔で見ている悠斗が映っていた。
「キレイな髪やねぇぇ」
いかにもベテランそうな美容師が、桜子に声をかけた。
「ありがとうございます」と、
桜子は恥ずかしげに、小さな声で答えた。そして、右指で髪の毛をソッとつまんだ。
「切ってくださいますか?」
小声ながらもキッパリと頼む桜子に、美容師は目をまるくした。
「肩の下あたりで切ってくださいますか?」
「そやね、その方が、ますますかわいく見えるかもしれんね」
そう言われて桜子は、鏡のなかの悠斗を、上目づかいで見た。悠斗が笑顔を返してきた。
「あのぉぉ、切ってもらった髪を、持って帰りたいのですが……」
「そやね、こんなキレイな髪、捨ててしもうたら、もったいないわ。おばちゃんが、あとでちゃんと包んであげるわね」
美容師が桜子の黒髪に、ジョキッとハサミを入れた。鏡のなかの悠斗が、目をおおきく見ひらき、あっけにとられた顔をしている。桜子は、少し不安になった。
――悠斗さんは、いまのままの髪のほうが、好きなのかな……。
桜子は、いろいろな髪型を試してみようと思ったのだ。長い髪にあこがれていたのは、自分には手が届きそうになかったからだけかもしれない。それに、長い髪がよいのだと、周囲の人が言っていたからだけかもしれない。どのような髪型が自分には似合うのだろう。悠斗に出会えたいま、桜子にはそれが、いちばん重要なことに思われた。
あぜんとしていた悠斗の顔が、すぐに、もとの笑顔にもどった。悠斗がピースサインをしてきた。桜子も頬をゆるめ、鏡のなかの悠斗をまっすぐみつめながら、サインを返した。




