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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第6章 地蔵
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6-22

 その日の夕刻ごろ、惟清は重い足どりで、都の南玄関である羅城門へむかっていた。さきほど兼隆からひそかに与えられた任務が、気の重いものだったのだ。公卿たちのあいだで評判の悪い、陰陽師の芦屋道満に会わなければならない。というのも、――


 兼隆は、紫式部が源氏の新帖をどこに秘匿したのか、探ろうとしていた。まっさきに賢子に問いただしたが、新帖どころか草稿も屋敷に遺さずに式部は死んだと、賢子は真顔で答えるばかりだった。

 兼隆がつぎに頼ろうとしたのが、陰陽師である。新帖のありかを占わせようと考えたのだ。だが、安倍晴明を継いだふたりの息子に頼るつもりはなかった。新帖執筆を断念させることに失敗した晴明なのだ。その息子たちの神通力など、たいしたものではないだろう。兼隆は、そう思案したのだった。

 兼隆は、晴明の最大の好敵手だった道満に目をつけた。内裏での呪術くらべでは老獪(ろうかい)な晴明に出し抜かれたが、道満に透視力があることは確かだ、と兼隆は考えた。だが、いならぶ公卿たちをまえにして内裏で恥をさらした道満を、自分の屋敷に招き入れることは外聞が悪い。兼隆は、新帖が書かれていたことを知る惟清に、道満への仲立ちを命じたのである。


 播磨国にもどっていた道満は、晴明が鳥辺野で火葬された四日後に、兼隆からの書状を受けとった。内密に頼みたいことがある、ついては八月二五日の日没後に羅城門まで来てもらいたい、と書かれていたその手紙には、晴明が死んだことも告げられてあった。そして、晴明の息子ふたりが晴明を神として祀ろうとしていることへの嘲笑も、書きつらねられていた。

 日時と場所を一方的に指定しての呼びだしに、道満は舌打ちをした。人を人とも思わぬ、京の公卿たちの言動には、これまでも憤懣(ふんまん)やるかたない思いをしてきたのだ。書状とともに金品が気前よく送られてきたことが、道満の自尊心を、かろうじて(いや)した。そのうえ、晴明が死んだという。好い気味だった。

 だが、晴明への憎しみは消えなかった。内裏での呪術くらべで晴明が勝ったのは、姑息(こそく)な手段を使ったからではないか。敗者となった道満には、そうとしか思えなかった。恨みを晴らすことに執念を燃やし、播磨国に逼塞(ひっそく)して以降も、苦しい修行をひたすら積んできたのだ。もともと苦手だった酒だけでなく、女人との交渉も断った。それなのに、ふたたび晴明と呪術で相まみえる機会は、うしなわれたのだった。おまけに、晴明は神になろうとしている。此方(こなた)彼方(かなた)との大きな差違に、道満は憤った。


 惟清が、夕映えに巨体を横たえている羅城門に近づいてきた。二層の大門だが、暴風雨でおおきく破損してからは放置され、荒廃がすすんでいる。日没後のこのあたりは、追い剥ぎが出没するため、めったに人が通らなくなる。

 惟清は、連れてきた下男を遠くに待機させ、ひとり羅城門の基壇に登った。ほどなくして、なかば朽ちている梯子(はしご)を伝い、四十歳ほどの痩せた男と、その従者らしい若者ふたりが、羅城門の楼上から下りてきた。

「芦屋道満さまでしょうか?」

「兼隆卿のお遣いのかたかな?」

「はい」

 惟清はていねいに辞儀をし、人払いをするよう道満に頼んだ。そして、若者ふたりが立ち去るのを見届けると、そうそうに用件を切りだした。

 五年まえに亡くなった紫式部が、源氏の新帖を書き、それを都のどこかに秘匿したらしい。その場所を神通力で探しだして欲しい。

「引き受けていただけますでしょうか?」

 そうたずねる惟清に、道満は首を横に振った。

「なにか手がかりがなければ、この道満とて、呪術をめぐらすことはかないません」


 惟清は、兼隆の一の君である桜子が、石山の観音によって千年先の世に送られ、そこで新帖を探しだそうとしていることを、道満に伝えた。必要であれば、桜子の身の上を道満に教えてもよいと、惟清は兼隆から言われていたのだ。

「このことは、他言なさいませんよう、くれぐれもお願いいたします」

「その姫君のほかに、先の世に送られた者がおられるのではないか?」

 さぐるような道満の問いかけに、惟清は内心ドキリとした。

――陰陽師とは、やはり、そら恐ろしい者たちだ……。だが、若宮のことを、さとられるわけにはいかない!

「いえ、わたくしが承知しているのは、一の君さまのことだけでございます。そのほかには、……」

 惟清は、いったん言葉をきったあと、道満の目をみすえながら、ふたたび口を開いた。

「あともうひとつ、大殿から、お伝えするようにと言われていることがございました。道満さまにも、おそらく、ご関心がおありのことかとぞんじますが、先日、安倍晴明さまがお亡くなりになられまして……」

 晴明の名を聞き、道満の目が妖しく輝いた。

 惟清は、源氏の新帖が書かれないよう差配する仕事を兼隆が依頼したものの、晴明がそれを果たせなかったことを伝えた。

「こういうことが、手がかりになりますでしょうか?」


 惟清と道満は、むきあったまま、おたがいの目をジーッとみつめていた。残照も消え、あたりは濃い闇につつまれだした。

 とつぜん、道満が口を開いた。

「この命に代えて、たしかにお引き受けいたしましょう。兼隆卿に、そうお伝えください」

 決然として語る道満の体から、なにか得体の知れない妖気がただよいでていた。

 惟清は、おののきながら辞儀をかえした。


 惟清がおそるおそる頭を上げると、道満はもう背中をむけ、松明を準備した従者たちと、羅城門を去ろうとしていた。

「これから、どちらへおいでになるのでしょう?」

 そうたずねる惟清に、道満はなにも答えようとしなかった。

 惟清は、松明の灯りが見えなくなるまで、羅城門に立ちつくした。


 道満は、京の出入口のひとつである丹波口を通り、そこから西行し、(おい)の坂峠へむかっていた。山城国と丹波国(たんばのくに)とをへだてる峠である。

 道満には、源氏の新帖の行方など、どうでもよいことだった。心を占めていることはただひとつ。呪術くらべを安倍晴明にもういちど挑み、受けた恥辱を(そそ)ぐことだった。

 新帖の執筆を妨げる仕事に晴明が失敗した、などということを、道満は、はなから信じなかった。あの晴明が、そのような容易(たやす)い仕事をしくじるわけがない。これには、きっとなにか裏がある。千年先の世で新帖を探しているという娘と、晴明とのあいだに、なんらかの繋がりがあるにちがいない。道満はそう考えていた。

 晴明の息子ふたりが、自邸の祈祷所に晴明を祀り、神として崇めはじめたことも、道満には、笑止千万と同時に、もっけの幸いだった。道満自身もそのような不死不変の存在になれば、ふたたび晴明と雌雄を決することができるはずだ。現世で晴明に挑むことがもはやかなわなくなった道満は、兼隆の娘がいるという千年先の世をみつめていた。


 夜おそく、道満一行は老の坂峠に着いた。そして、細い脇道に入っていく。しばらく歩くと、小さな盛り土が、一行のまえに現れた。

 それは酒呑童子(しゅてんどうじ)の首塚だった。丹波国と京の都との国境(くにざかい)である大枝(おおえ)に住んでいた鬼の首領である。数年前のこと、京の都に押しいって狼藉(ろうぜき)を働くようになった酒呑童子を源頼光(みなもとのよりみつ)らが討伐し、その首級(しゅきゅう)をここに埋めたのだ。不浄にして怪異な力を持っていた童子ゆえに、その体の一部なりとも、京の都に運び入れるのは、はばかられたのだった。


 道満は、従者に命じ、首塚の横に穴を掘らせた。そして自身は、首塚と穴とのあいだに抜き身の短刀を埋めたあと、両手で印を結び、呪文を唱えだした。

 おおきな穴が掘りおわると、道満は従者ふたりに労をねぎらい、持参していた金品をすべて与えた。そして、穴のなかに入ると、仰むけで横たわり、胸の上で印を結びながら、

「われを埋めよ!」

と、あたりをつんざくような声をあげた。

 従者ふたりは驚いて目をあわせた。とてもでないが、主人を生き埋めなどできない。だが、

「われを埋めよ!」と、

さきほどに倍する大声が、穴のなかからふたりに浴びせられた。

 ふたりは命令に従うしかなかった。涙を流し、そして恐ろしさに震えながら、穴を埋めもどしはじめた。穴のなかから、呪文とともに、誓願がくりかえし聞こえてきた。

「われは、酒呑童子の悪力と合すべし! 千年を隔てて(よみがえ)らん!」


 穴がすっかり埋めもどされた。

「千年を隔てて蘇らん! ……生き血を得て……」

 かすかな声が土中から聞こえたあと、あたりは、従者がすすり泣く音だけの、静寂につつまれた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 そして千年後。

 桜子たちが冥界で銅鏡を手に入れた二日後の、まだ暑い昼下がりのことだ。京都大学の大学院文学研究科で妖怪学を学んでいるフランス人男子留学生マルセルが、自転車で国道九号線を西行し、老の坂峠にある首塚大明神の境内にやってきた。

 酒呑童子の首が埋められているとされる、山あいのこの小さな神社は、京都市内でも有数の心霊スポットとして、近年、一部の若者たちのあいだで評判になっている。神主も巫女も常駐していないうえに、参拝者もめったにいないという事情もかさなって、妖怪好き人間の関心を集めているのだ。マルセルは、こうした日本人の、怪異を楽しもうとする心性(メンタリティ)を研究対象にしている。


 小さな鳥居のわきに自転車を置き、上り坂をしばらく進むと、マルセルの目に(ほこら)が見えてきた。このときも、境内にはマルセル以外、ひとっ子ひとりいない。幾本もの大杉におおわれ、昼間だというのに、たそがれ時のようにうす暗い。落ち葉を踏む足音と、蝉の声しか聞こえない。

 祠の裏手に、柵に囲まれた首塚があった。マルセルは、柵のあいだから腕を伸ばし、首塚の地面に手を置いた。ジメジメした土だった。

 首など埋まっていないと思ったが、地面を掘ってみたくなった。スコップを持ってこなかったマルセルは、素手で掘りかえした。


「痛い!」

 さびた短刀が土中に埋まっており、それに触れて指先を傷つけてしまった。ほんのわずかだが血が流れ、地面を汚した。

 マルセルは、もう掘るのをやめにした。

 ――どうせ、首なんか埋まっていないだろうしね。


 マルセルはスマートフォンを取り出し、レンズを首塚にむけた。

 と、そのとき、蝉の声がピタリと止んだ。

「ウワワァァ!」

 仰天したマルセルの叫び声だった。地面がモコッと盛りあがり、そこから、五本角の鬼の頭が突き出てくるのが、スマートフォンの画面越しに見えたのだ。酒呑童子の首級と合体して蘇った道満だった。

 道満は、カッと目を見ひらいた。茶色のはずの瞳が、妖しい緑色に変わっていた。

 そして道満は、怪力でもってまわりの土を払いのけ、穴の縁に両手をついたかと思うと、跳びあがりながらクルリと前方に一回転し、地上に素裸の全身を現した。鋼鉄のような筋肉におおわれたその体は、半光沢の、暗い緑色を呈していた。

 道満は、恐怖にわなないているマルセルの青い目をまっすぐにらみ、その細首に右手を伸ばすや、ギュッと締めあげた。

 マルセルは気をうしない、ドサッと仰むけに倒れた。

 道満は、口の端をおおきく歪め、その唇を、マルセルの口に押しあてた。道満の体は、緑と赤の、こまかな光の粒のかたまりとなり、口からマルセルの体のなかへ消えていった。


 蝉がふたたび、けたたましく鳴きだした。

 マルセルの両目が、ゆっくりと見ひらかれた。青い目が、妖光をやどす緑目に変わっていた。

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