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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第6章 地蔵
51/160

6-3

 速仁が東宮御所で、そして惟清が鳥辺野で、それぞれ涙目になった日、千年の時をへだてた鞍馬でも、うっすら目が潤んだ男がいた。


 高田は、この日の昼まえ、仁和寺へむかう三田たちに鞍馬駅前で捨ておかれ、途方にくれた。午後の仕事の指示を、三田から受けていない。携帯端末を握りしめて三田からの連絡を待ち、駅前に三十分近く立ちつくした。だが連絡は来ない。

 ――おれ、どうしたらいいんだろう? 今日はもう仕事しなくていい、ってことかな?

 高田はとりあえず、宿泊先の旅館へむかった。

 ――昨日は温泉に入れなかったから、そのぶんも入ろぅっと。


 一時間以上の長風呂だった。だが、客室にもどって携帯端末を確かめても、三田からまだ連絡がない。

 思いあぐねたあげく、高田は、現代の京都の地理を勉強しろという三田の命令を思いだし、電車で市中へむかうことにした。地図で覚えるよりも、暑いけれど実地で歩いた方が楽しそうな気がしたのだ。

 行き先は、安倍晴明を祀っているという神社にした。昨夜のホテルバーで飲んだカクテルの名前が、頭の片隅に残っていた。今朝、車を運転して堀川通りを北上していたとき、晴明神社とよばれるその神社が通り沿いにあることを、カーナビが教えてくれてもいた。


 高田は、出町柳駅で電車を降り、鴨川と高野川の合流点に架かる三つの橋を、しばらくのあいだ巡った。

 ――なんだ、今日はいないのか……。

 昨日の昼間に見たシラサギを、川面(かわも)に探したのだ。

 そしてそのあと、携帯端末で観光情報を仕入れながら、歩いて一時間足らずで晴明神社に着いた。

 高田は、自分と三田の厄除(やくよ)け祈願をおえると、神社のすぐ南にある一条戻橋にもたちよった。戦国時代や安土桃山時代をあつかう歴史物語が好きな高田は、豊臣秀吉が千利休の首をここに晒したことを携帯端末で知り、興味をもったのである。


 高田が鞍馬の旅館にもどったのは、日没時だった。

「おつれさんも、おもどりどすえ」

と教えられた高田は、急ぎ足で客室へむかった。

 そして、部屋に入るなり、

「お帰りなさい。先輩の方が早かったですね。風呂に行きます?」

と、上機嫌で三田に声をかけた。

 三田は、窓際の広縁で、椅子に座って書類を点検していた。そして、高田に顔をむけず、行かない、とばかりに、手をヒラヒラと左右に振った。

「それじゃ、お茶しましょうか。食事まえだけど、これも食べましょうよ」

 高田はそう言いながら、座卓に置いておいた焼き餅の包みを解いた。


 三田は椅子から座卓へ移った。そして、餅を手に取りながら、

「昼間、どうしていた?」

と、おもむろに口を開いた。

 高田は、待ってましたとばかりに、勢いこんで話しはじめた。

「先輩からの指示がないので、京都の地理を勉強しようと思って、街中を歩いてきました。出町柳にある橋の名前を覚えましたよ。河合(かわい)橋と出町橋と、賀茂大橋ですよね。そのあとで、晴明神社にも足をのばしてきました」

 三田は餅をほおばりながら、しずかに聞いていた。

「おれと先輩の厄除けのほかに、源氏物語の新帖のことも祈願してきました。会長が新帖を手に入れ、知名度がグーンと上がって参議院選挙でらくらく当選しますように、って……」

 高田はそう言ったあと、携帯端末で仕入れた情報も、やつぎばやに口にした。

「ついでに一条戻橋も見てきたんですけどね、あの橋は、むかし、千利休の首が晒されたりした、おっかないスポットらしいですよ。安倍晴明が、その橋の下に、式神とかいう妖怪を隠していたそうです」


 すると三田が、

「それで、橋の下でお化けでも見たのか?」

と、からかい顔を高田にむけた。

「まさかぁぁ! でも、変な鳥がいて、サギだと思うんですが、全然かわいくないヤツで、おれが橋の上からのぞきこんで目があうと、まっ赤な目でにらみ返してきたんですよ。鳥のくせして、生意気だと思いません? きのう、鴨川で見かけたサギはまっ白でキレイだったのに、こいつは灰色で、羽根もボロボロ。おまけに、おれが橋の下にいくと、脚をむけて飛びかかってくるし。おれ、晴明神社の御守りを入れたビニール袋を持っていたので、それを振りまわしてたたこうとしたら、ようやく上流へ逃げていきました。ほんと、めちゃくちゃ性格の悪い鳥だったんです。あっ、そうだ……」

 高田はそう言うと、ビジネスカバンに収められているビニール袋から御守りをひとつ取りだし、三田のまえに置いた。

「これ、先輩のぶんです」


 三田は、御守りをチラッと見たあと、茶をひとくち飲んだ。そして、

「魔除けの御守りが効果あった、というオチで、おまえの午後の仕事はおわったわけだな」

と言って肩をすくめ、さらに言葉をついだ。

「おれが会長を京都駅まで送り、そのあと事務所や住居の手配をし、明日の仕事の準備もしているあいだ、おまえは観光名所を散歩し、鳥とも遊んでいた、というわけだ」

「そんなぁぁ。先輩から仕事の指示がこなかったから……」

「おまえは、指示がなかったら仕事できないのか? 指示を待って動くのではなく、今なにが必要なのかを、そろそろ自分の頭で考えろ。昼間、おまえからの携帯メールに返信しなかったのは、おまえに自分の頭で考えさせようとしたからだ」

 うなだれはじめた高田に、三田は厳しい言葉を浴びせつづけた。

「計画どおり、会長が悠斗くんにスマートフォンを渡した。メールや通話内容、ネットの履歴、それに現在地が、おまえとおれの携帯に伝わるように細工してあるんだぞ。しかもオンにして渡したのだから、悠斗くんたちが仁和寺へ行ったことはわかったはずだ。おれはもう身元を明かしたわけだから、おまえが仁和寺へ行くしかないだろう。そういうことを、指示がなくてもできる人間になれ! そもそも、会長がおまえを今日は鞍馬堂に連れていかず、車から離れた場所にいるよう指図したのは、こういうことがあるかもしれないと予測したからだぞ」

 高田の肩が、かすかに震えだした。

「京都の地理を頭のなかに入れようとしたのは、いいことだ。それは評価する。晴明神社へ行ったのも、まあ、悪くはないかもしれない。安倍晴明は、紫式部と同年代の人間だからな」

 すると高田が顔を上げ、

「えっ、そうだったんですか!? 知らなかった」と、

思ったことを後先考えず口に出した。

 三田は眉をひそめた。

「おまえは、昨日飲んだカクテルの名前につられて、晴明神社へ行ったのか!?」

 三田からそう問いつめられた高田は、身を縮めるしかなかった。

「しかたのないヤツだ。いいか、紫式部や源氏物語に直接ゆかりのある場所を、まず下調べしろ。悠斗くんたちは、そういうところへまっさきに行くはずだ。そんなこと、おれに言われずとも、考えたらわかるだろ。優先順位をつけて仕事しろ」

「………はい」

と、高田は、うつむきながら返事した。

 三田が、

「ふぅぅ」と、

おおきく溜息をつき、高田は、もう顔を上げることができなかった。

「四日後に事務所開きだ。夕食のあとで、仕事の分担と段取りを相談しよう。――さて、話しはここまでだ。食事のまえに温泉へ行くんだろ、行ってこいよ」

 三田は、そう言って立ちあがると、広縁の椅子にふたたび腰掛け、書類に目を通しはじめた。


 高田は、「はい」と返答することもできないぐらい意気消沈し、頭をたれて座卓のまえに座りつづけた。座卓の黒くて艶やかな天板に、いまにも涙をこぼしそうな顔が、ぼんやりと映っている。

 ガサッ

 ビニール袋が、高田の目のまえに置かれた。

「………?」

 高田が気づかないうちに、三田が横に立っていた。

 おそるおそる高田がビニール袋の口を開けると、へんてつもない白い紙包みが見えた。

「若紫餅を買っておいた。あとで、仕事の相談しながら食おう」

 高田は、紙包みをみつめながら、

「はい」と、

ようやく小さな声で返答した。

「変装して買いに行ったりするなよ。――身元が知れたときに困るからな。それから、これはもらっておく。ありがとうな」

 そう言って晴明神社の御守りを手に取った三田に、高田は、

「はい」と、

今度は大きな声で答えた。目はあいかわらず潤んでいたが、口もとが緩み、涙の種類は変わっていた。

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