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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第5章 手がかり
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5-5

 翌朝、潤一郎は、二日酔いの高田が頭痛を必死にこらえて運転する車で、鞍馬へむかった。車の上方には、ホテルを出てからずっと、一羽の鳥が羽ばたいている。金色の目をしたハクタカだ。


 潤一郎は車中で、助手席の三田と、関西で新規展開する予定の医療・製薬事業の相談をはじめた。仕事ができる三田を、桜子と悠斗の監視役だけで京都に張りつけておくのは、会社として大きな損失だ。京阪神と奈良では先端医療と製薬研究の集積が進みつつあり、潤一郎は、関西にも銀杏(ギンキョウ)コーポレイションを進出させようと目論んでいたのである。

 車は、堀川通りをまっすぐ北上した。そして、堀川通りの最北端で鴨川を渡った。

「高田くん、すまないが、上賀茂神社によってくれたまえ」

 橋を渡っているさなかに、潤一郎が指示を出した。


 堀川通りと鴨川の接点に架かっている御薗橋(みそのばし)を渡りきると、目のまえに上賀茂神社がある。下鴨神社と合わせて賀茂社とよばれる神社だ。

 三十数年まえ、東京の医学生だった潤一郎は、賀茂社の祭礼である葵祭にあわせて京都へ旅行し、御所人形の展覧会場で大宮純花(すみか)と出会った。純花は、京都市内にある伝統工芸専門学校の学生だった。人形師になりたいという夢を持ち、この展覧会に足を運んでいたのである。

 東京と京都の遠距離恋愛が始まり、たいていは潤一郎が京都に通った。潤一郎が、父親の経営する東京都内の総合病院に外科医として勤めはじめた年に、ふたりは結婚した。三年後に悠斗が生まれた。純花は自宅で、斬新な創作人形の制作に取り組み、小さいながらも個展を開くまでになった。そして、新進の人形師として世間から注目されはじめたとき、病に倒れたのだった。


 上賀茂神社は、潤一郎と純花のデート場所のひとつだった。この神社に来ると、純花は、いつもきまって、門前で焼き餅を買い求めた。餅屋の娘が他の店で餅を買うのはおかしいよと、潤一郎は純花をからかったものだった。

「でも、潤ちゃん、ここのお餅も、おいしいんだもの。それに、お父ちゃんもお母ちゃんも、この焼き餅が好きなんよ。了見のせまいこと言わへんと、どのお店も繁盛したらええのよ」

 こう言って笑っていた純花の顔を、潤一郎は、上賀茂神社の参道を三田たちと歩きながら思いうかべた。そして参拝をすませたあと、潤一郎は焼き餅を二包買い求めた。


 二日酔いの頭痛がやわらいだ高田も、餅を二個買った。そして、小声で三田に話しかけた。

「先輩、宿にもどったら、この焼き餅を食べましょう。京都って、いいですよね、こういった老舗がたくさんあって。おれ、鞍馬堂の若紫餅も食べたいんですけどね……。こんど、変装してなら、買いに行ってもいいですかね?」

 だが三田は、わずかに片眉をつりあげたあと、返答もせずに車へむかい、潤一郎のためにドアを開けた。


 上賀茂神社から鞍馬までは車で二十分ほどである。潤一郎は、鞍馬駅横の駐車場に車を停めさせた。

「高田くんは、車を出て駅前で待っていてくれたまえ」

 そう言い残して、潤一郎は三田を連れて鞍馬堂へむかった。

 取り残された高田は、ビジネスカバンを右手に、そして、焼き餅を入れたビニール袋を左手にぶら下げながら、あぜんとした顔でふたりを見送った。


 駐車場のちかくに立つ大杉の梢からは、ハクタカが、赤みの増したその鋭い目を、潤一郎たちに注いでいた。

 そして潤一郎が鞍馬堂に入ったとき、ハクタカは梢から飛びたち、二階の窓手すりに留まった。窓ガラスの向こう側では、桜子が、新品の洋服をうれしそうに手にとっていた。ハクタカの目が、鮮やかな金色一色に変わった。ハクタカはすぐに飛びたち、もとの大杉の梢へもどり、日陰のなかで翼をたたんだ。


 潤一郎が鞍馬堂を訪れたのは、昨春の、悠斗の大学入学式以来のことだった。

 そして悠斗も、去年の夏休み以降は、めったに東京へもどらなくなっていた。潤一郎が独り暮らしをしている港区内のマンションにも、父方の祖父母が隠居暮らししている府中市内の本邸にも、今年になってから一度として足をむけなかった。


 ひさしぶりに鞍馬堂で顔を会わせた悠斗と潤一郎は、居間の丸卓にむかいあって座ったが、ほとんど言葉をかわさないでいる。潤一郎は、もっぱら春恵と一治にむかってしゃべり、仕事の新たな拠点を設ける計画で京都に来たことを話した。

「その準備責任者として、この三田を京都に駐在させます。わたしもこれからは京都に時々まいりますので、鞍馬に来るのにも大阪へ行くのにも便利な出町柳に、営業所を設けようと考えております」

 悠斗は、卒業後の自分に会社の手伝いをさせる腹で父が京都に拠点を設けるなどと言いだしたのだろう、と憶測した。あいかわらず強引な父だと、悠斗は内心いらだちをつのらせた。

 不満顔の悠斗に、三田が、

「これからは、ときおりお目にかかるかと思います。どうぞよろしくお願いいたします」

と、いんぎんにあいさつをした。そして、春恵と一治にむかって言葉をつづけた。

「営業所だけでなく、わたしの住まいも、出町柳に求めようかと考えております」

「それはうれしおす。そうなったら、店にもときどき来ておくれやす」

 あいそのよい春恵の言葉に、悠斗は顔をしかめた。


 二階から、昨日買ってもらった服を着て桜子が下りてきた。

「潤一郎さん、このお嬢さんは、藤原桜子さんと仰るんえ。しばらく、うっとこでお預かりしてますねん」

「あいさつが遅れまして、もうしわけありません。お初にお目にかかります」

 桜子は、しげしげと自分をみつめる潤一郎と、いたって無表情な三田に、両手を畳について辞儀をした。

「悠斗の父の潤一郎です。悠斗は、見た目は頼りなさそうですが、面倒見はいい方なので、困ったことがあれば相談……」

「父さん、おれたちいまから出かけるから。父さんはゆっくりしていって!」

 潤一郎が言いおわらないうちに、悠斗は桜子をうながして立ちあがろうとした。すると春恵が、頬をゆるめて悠斗に言葉をかけた

「そやね、仁和寺さんへ行くんなら、遅うならんうちに出かけた方がええね」

「祖母ちゃん!」

「うん? なんえ?」

春恵から問いかえされた悠斗は言葉につまった。そして、周囲に聞こえないほどの小さな溜め息とともに、

「なんでもない」と、

ようやく言葉をついだ。悠斗は、潤一郎に行く先を知らせずに外出したかったのだ。

 ぶ然とした表情で立っている悠斗に、座ったままで潤一郎がおだやかに声をかけた。

「仁和寺へ行くのか? それじゃ、車で送ってやろう。車のなかで、おまえともゆっくりと話しをしたいからな」

 おなじように立ちあがろうとしている潤一郎の頭を見下ろしながら、悠斗は、桜子に聞こえないように、溜め息を飲みこんだ。

 ――もぉぉ、やっぱりこうなるんだよな……。


 桜子と悠斗、潤一郎の三人は、三田の運転で市中へむかった。

 三田は、鞍馬駅の横を通るとき、カバンとビニール袋を両手にぶらさげて立っている高田に気づいた。高田も三田たちに気づき、「おれはどうしたらいいんでしょうか?」と問いたげな眼差しを三田に送った。だが三田はそれに応えず、アクセルを踏みこんで通りすぎた。

 高田は呆然と車を見送った。しばらく立ちつくしたあと、携帯メールを三田に送ったが、三田からの返事はいっこうに来なかった。


 潤一郎と、助手席の悠斗とのあいだでは、車中でもほとんど会話が成立しなかった。

「昼飯をいっしょに食おうか? やはり京料理がいいだろう」

「腹すいてない」

「勉強はどうだ?」

「いま夏休み」

「卒業後はどうする?」

「検討中」

「仁和寺へ、なにしに行くんだ?」

「参拝」


 潤一郎は、となりに座っている桜子にもたずねた。

「仁和寺には初めて行かれるのですか?」

「はっ、はい……」

 とまどう桜子に代わって、悠斗が口をはさんだ。

「仁和寺へ行くのは、源氏物語の観光利用に関するレポート課題のためだよ。これでも、いちおう勉強はしてるから」

 源氏物語、という言葉が悠斗の口から出てきたとたん、潤一郎はほくそ笑んだ。悠斗の説明は、半分嘘で半分本当なのだろう。悠斗と桜子を、つかず離れず監視していればいいのだ。そうすれば、新帖が手に入るはずだ。ことは思惑どうりに運んでいる、と潤一郎は思った。


 潤一郎は、カバンから新品のスマートフォンを取り出し、悠斗に差し出した。

「今日から、携帯はこれを使え」

「いらない。今のスマフォで、まにあってる」

「お祖父さんとお祖母さんにも、同じ機種を渡しておいた。万が一の緊急連絡に必要だ。年寄りにも使い勝手の良いものを選んだが、操作方法を教えるために、おまえも同じものを持て。三台とも、こちらで使用料を払っておく」

「わかった。でも、ありがとうとは言わないからね。お祖父ちゃんたちのために持つんだからね」

 悠斗はそう言ったあと、だんまりを決めこんだ。


 車が御薗橋を渡りきったとき、

「これを、仁和寺の境内ででも、悠斗と食べてください」

と言いながら、潤一郎は、焼き餅が一包入っているビニール袋をカバンから取り出し、桜子に渡した。

「はっ、はい。ありがとうございます」

 桜子が戸惑いながら返事をするのと同時に、助手席の悠斗がうしろをふりむき、とがめ立てするような声で潤一郎にたずねた。

「父さん、なんだよそれ!?」

「上賀茂神社の焼き餅だ」

「焼き餅!? うちは餅屋だぞ! なんで、よその餅なんか買ってくるんだよ!」

「おまえは了見がせまいな。どこの店も繁盛すればいいんだ。それに、おまえ、いつから餅屋になったんだ? お祖父さんとお祖母さんは餅屋だけれど、おまえは同居人だろ。それとも、おまえ、店の手伝いをしているのか?」

 そうたずねられ、悠斗は押しだまった。

「手伝うのはよいことだが、店番だけにしておけよ。おまえが作ったら、若紫餅じゃなくて、末摘花餅になりそうだ。アハハ」

 悠斗は、頭に血が上りそうな自分を感じた。桜子のまえでからかわれたことで、ますますいらだった。

「手先が不器用で悪かったな! やはりおれ、医者をめざさなくて正解だったじゃない。血管を切りまちがえて、病院に患者がひとりも来なくなるところだったよな!」

 悠斗は精一杯皮肉を言ったつもりだった。だが、返ってきた潤一郎の言葉は冷静そのものだった。

「うちの病院には腕のよい医者がたくさんいるから、ヘボがひとりぐらいいても、どうってことない。それに、医者はもう十分足りている。経営の才覚が、いまは必要なんだ」

 話の雲行きがまずくなった、と悠斗は思った。大学を卒業したら会社の手伝いをしろと、また言われるのが嫌だった。それに、桜子のまえで親子げんかはしたくなかった。一刻も早く車から降りたくなった。

「父さん、仁和寺まで送ってもらわなくてもいいよ。白梅町(はくばいちょう)で降ろしてくれたらいい。そこから電車に乗る」

「どうしてだ? すぐそこが金閣寺前だから、仁和寺まであと十分もかからないぞ」

「観光文化学のレポートを書くから、観光客に人気のレトロな電車で行った方がいいんだよ」

「あの電車が人気なのか!?」

「というか、観光客に乗ってもらおうと努力してるって聞いたから、そのようすを見ておいてレポートに取りいれるんだよ!」

「おまえ、経営にむいていそうだな」

 潤一郎は一言そう口にすると、白梅町へむかうよう三田に命じた。

 悠斗は、もう口を開くまいと思った。観光文化学のレポートのためだ、なんて大嘘をついて、ますます話の雲行きを悪くしてしまった。これ以上しゃべると、ほんとにけんかになるかもしれない。それに、金閣寺前から白梅町まで、ものの一分だ。それぐらいは我慢しよう。


 桜子も、はやく車から降りたかった。電車やバスはすでに乗ったが、自動車は初めてだった。座席から地面がすぐ近くに見える。その地面が、猛烈な勢いで後方に流れていく。横に悠斗が座っていてくれたら、これほど怖くはなかっただろうに、と桜子は思った。桜子は、悠斗のうしろ髪をみつめることで、気を落ちつかせていた。

 だが、鞍馬からずっと桜子が無口だったのは、自動車が怖かったからだけではない。悠斗と潤一郎の間柄が上手くいっていないことが、その会話から察せられ、心配なあまり気が滅入ってもいたのだ。

 ――悠斗さん、かわいそう……。お母さまを早くに亡くし、お父さまとはしっくりいっていないなんて……。

 桜子は、仁和寺に着けば、光源氏だけでなく、悠斗と境遇の似ている夕霧も呼びだし、悠斗の話し相手になってもらおうと思いついた。

 ――でも、このお餅、どうしよう? 悠斗さんは口にしたくなさそうだし……。夕霧さんに食べてもらおうか……。

 桜子は、昨日買ってもらったバッグに、焼き餅の入ったビニール袋を、ていねいにしまった。

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