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白梅町から仁和寺へむかう電車の沿線には、多くの有名寺院がある。終点の嵐山駅が、名勝地である嵯峨野・嵐山地域の中心に位置することもあって、土日や祝日には、観光客の姿が車内にめだつ。
車両は、悠斗がいうとおり、年代物である。便もたいていが一両だけで、おまけに途中駅は、ほとんどが無人駅だ。
北野白梅町駅から五分の御室仁和寺駅も、無人駅である。だが、無人であることと、今日は平日であることが、桜子と悠斗には好都合だった。電車から降りた桜子は、等身大の光源氏と夕霧の親子を、人目に触れることなくプラットホームに呼びだすことができた。
『はーい、孫姫、今日はいかがなさいました? このところ立てつづけに呼んでいただき、たいへんうれしいです。悠斗殿もごいっしょなのですね』
年の頃四十歳ほどの姿で現れた光源氏は、陽気な物言いで桜子と悠斗にあいさつした。そして、
『だが、なぜおまえまで、ここにおるのだ?』と、
わざとらしく不服そうな顔を、夕霧青年にむけた。
夕霧は、そんな光源氏には黙礼ですませ、悠斗に歩みよって小声で話しかけた。
『こんにちは、大学の君。そうお呼びすればよろしいですね』
「は、はい。はじめまして……。あっ、はじめてじゃない! 石山寺からの電車のなかで会ってる。夕霧さん、……ですよね? あのときは、小さくて全然動かなかったから、おれ、フィギュアだと思ってた」
『まばたきひとつできず、たいへんでした』
「夕霧さんたちは、自由に大きさを変えられるんだ」
『わたしたち、ではないのです。孫姫さまが、そういうお力をお持ちなのです』
「それじゃ、桜ちゃんに頼めば、光る君だけを小さくすることもできるんだ」
『それはとてもよいお考えです』
悠斗と夕霧は、顔を見あわせて笑った。
悠斗と夕霧があいさつをかわしているうしろで、光源氏は、仁和寺で〈雲隠〉帖を探すという今日の目的を、桜子から伝えられていた。だが、夕霧と悠斗のようすが気になってしかたがない。はっきりとは聞こえないが、どうも自分のことを話しているようだ。クスクス笑いが聞こえる。ろくな話ではなさそうだ、と光源氏は思った。
『夕霧、さっ、行くぞ。仁和寺へ参詣し、式部殿が書かれた〈雲隠〉帖を仏さまから譲り渡してもらうのだ』
せかすように光源氏がそう言うと、驚いて夕霧がふりむいた。
『〈雲隠〉の中身が書かれていたのですか!? 知りませんでした』
『式部殿は、たいせつなことはこのわたしにしか話されなかった。わたしを呼びだしながら、新たな話を書いておられたのだ』
と、光源氏は自慢げな顔で、桜子と悠斗にも聞こえるように大きな声で話した。そして、いかめしい口調でもって言葉をついだ。
『ところが大晦日の夜、物の怪が現れて、新たな帖を世間に流布させないようにと、式部殿とわたしは脅された。もちろん、わたしが渾身の力を奮って式部殿をお守りし、物の怪を退散させた。だが、式部殿は用心されて、新帖を都のどこぞに秘匿されたらしい。それを探しだすのが、この世界での孫姫のお仕事となった。わたしたちは、そのお手伝いをしなければならない。物の怪がふたたび現れれば、悠斗殿と力を合わせ、孫姫をお守りするのだぞ』
『はい、承知いたしました』
根が真面目な夕霧は、かしこまって返事をした。
『ところで父上、〈雲隠〉とは、いかような話なのでしょうか? 内容がわかれば、秘匿場所を推定できるやもしれません』
夕霧だけでなく、桜子も悠斗も、光源氏の顔をみつめ、その唇が開くのを待った。
だが、
『さて、参るといたしましょう。悠斗殿、寺へ案内してくだされ。〈西山なる御寺〉に足をむけるのは初めてです。そこの道を右に行けばよいのですか?』
と、光源氏は素知らぬ顔で、あきれる三人を残して駅舎の階段をサッサと下りていった。
桜子は肩をすくめ、光源氏に代わって夕霧に答えた。
「空蝉さまが光る君さまをずっと慕っておられたということと、光る君さまが極楽往生された、という話だそうです。光る君さまご自身は、そう言っておられるのですが……。夕霧さまは、どう思われますか?」
夕霧は顔をしかめ、キッパリと答えた
『そんなこと、ありえないです。絶対にありえないです!』
だが夕霧は、駅から仁和寺までの短い道のりを、トボトボと元気なく歩いた。
――あんなに多くの女君を泣かせた父上が、極楽往生できるなんて、ぜったいに嘘だ! でも、もし式部殿がそんなことを本当に書かれておられるなら……。父上とわたしをなにかにつけ正反対にお書きになったのだから、式部殿はわたしを、新たな帖のなかで……。そんなぁぁ! わたしは、いつも損な役まわりだ。
夕霧は、〈雲隠〉帖の中身を、知りたくもあり、知りたくもなかった。




