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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第4章 出会い
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4-12

 速仁が末っ子観音から勉強を無理強いされていたとき、春恵と一治が寝室に退いたあとの鞍馬堂の居間では、悠斗が桜子にマンガ本の源氏物語を見せていた。

 桜子はすぐに、マンガの魅力に目を奪われていった。桜子が一昨日まで親しんでいた絵と似ている。だが、マンガはもっと複雑だと感じた。

 悠斗が、マンガの表現技法を熱心に説明してくれた。フキダシ、描線、記号……。コマについては、読み順にも法則があるという。

「悠斗さんは、まん画のこと、よくごぞんじなのですね。大学の先生みたいです」

「マンガ学の授業で教わったことの受け売りだよ。それにね、作品を研究したり評論する側ではなく、実際に創作する人たちのほうが偉いと思うよ。桜ちゃんは、書道や絵の才能があるから、すごいよな」

「絵を描くのは好きですが、たいしたことないです。字もまだまだ子どもっぽいと、祖母に言われていました。――それに、祖母が口癖のように言っていたことがあります。物語というものは、作者だけが創るものではなく、それを読む人によっても創られるのだと。だから、おばあちゃまが書いた源氏の物語を絵にすることはもちろん、物語を読んでいろいろと考えることも、源氏の物語なのだと、わたしは思います」

「おばあちゃまが書いた?」

「あっ!――すみません、わたし、夢中になってしまって……」

「アハハ、桜ちゃんは源氏物語が好きだもんな。――夢中になれることがあるって、いいよな。おれも、源氏物語について桜ちゃんと話していると、楽しいよ。それに、勉強にもなる。マンガなんかの二次創作だって源氏物語そのもので、研究や評論も、全部が源氏物語、ってわけだよな。ひょっとして、若紫餅もそうだったりして。――うーん、桜ちゃんのお祖母さんは、すごいことを考える人だったんだね」

「ええ、まぁぁ、そうかもしれません……」


 桜子は、「おばあちゃま」と口走ってしまったことで、しばらくうろたえていた。だが、光源氏たちを呼びだし、すべてを悠斗に打ち明けるよい機会だ、と思いなおした。

「あのぉぉ、悠斗さん。いまから、悠斗さんのお部屋にうかがってよろしいでしょうか。ふたりだけになりたいのです」

「えっ!? ふたりだけに? そっ、そりゃいいけど……。ここでもふたりだけだよ。祖母ちゃんたちはもう寝てるし」

「物音や変な声がすると、この上の部屋でおやすみの、おばさまたちを起こしてしまいますから」

「変な声をたてるようなこと……なの?」

「はい、悠斗さんは慣れておられないでしょうし」

「!………」

「わたしの部屋だと、襖のむこう側でおばさまたちが寝ておられます。悠斗さんの部屋は、廊下を隔てて離れていますから」

「うん。――でも、おれ、桜ちゃんのこと、妹のように思ってるから……」

「わたしも、悠斗さんのことを、お兄さまのように思っています。それで、とてもだいじなご相談があるのです。ただ、悠斗さんを驚かせてしまうかもしれないと、それが心配で……」

「そっ、そういうことなんだ、あはは……」

 ――あぁぁ、ビックリした。そりゃそうだよな……。あっ、でも、まずい!

「おれの部屋、散らかってるから、ちょっと片付けてくる。しばらくしてから来て」

「はい、わたしも居間の後片付けをしておきます」


 悠斗は急ぎ足で階段を上がり、自分の部屋に飛びこんだ。

 きれいに整頓された部屋である。文学と歴史学を中心に、たくさんの本が、ていねいに本棚にならべられている。

 悠斗は、部屋に入るとまっすぐに、その本棚へむかった。そして、本棚の中段ひとつを使って置かれている大小さまざまなフィギュアを、片っ端からベッドの下へ移した。悠斗は、最後の一体を手のひらに乗せ、その顔を見ながら声をかけた。

「ごめんなガイア。しばらくしたら、また出してやるからな」


 フィギュアは、ユルトラオムシリーズと、その怪獣たちだった。子ども時代に、こづかいで買ったものや、亡くなった母から買い与えられたものである。なかでも、いちばんたいせつにしているのが、ユルトラオムガイアなのだ。

 それは、小学校を卒業した年の誕生日プレゼントだった。卒業式の十日後が誕生日で、母は、プレゼントを贈った翌日に、肝臓移植を受けるために入院した。そして四か月後に亡くなった。そのフィギュアが、母からの最後の贈り物になった。


「入ってよろしいですか?」

「うん、いいよ」

 そう返事した直後に、悠斗は、額装のポスターを隠し忘れたことに気づいた。小学四年生の夏休み、ユルトラオムショーに行ったときに母に買ってもらった品だ。腕を組んで直立しているガイアが中央に、そして怪獣二体がその左右下方に配されている。

 ――まずい!

と悠斗は思ったが、もう遅かった。部屋に入った桜子は、すぐポスターに目をやった。

「悠斗さんは、信心深いんですね」

「?………。うん、まあーね」

 悠斗は、桜子がなにを言っているのかわからなかった。オタクだと思われたにちがいないと、内心かなり焦っていた。ほかの人にならともかく、桜子にはそう思われたくなかった。

「あの、どこに座ればよろしいでしょうか?」

「あっ、ごめん。どこでもいいよ」

「それでは、……」

 桜子は、ひざまずいたまま膝頭をついて進み、ポスターが飾られている壁際に座った。そして居ずまいをただし、

「観音さまを信心しておられる悠斗さんなら、いまからもうしあげる話を、信じていただけると思います」

と、ゆっくりと語りはじめた。

 石山寺の観音の力で、九死に一生を得たこと。観音から、源氏物語中の人物などを呼びだす力も授かったこと。紫式部の孫娘として、源氏物語の新帖を、千年後のこの時代で探しだしたいと願っている。そのための力添えをして欲しい――

 桜子は、悠斗の目をまっすぐにみつめながら、あらいざらい打ち明けた。

「よく憶えていないとか、名前を偽り、もうしわけありませんでした。とても心細く、本当のことがすぐに言えなかったのです。お許しください。わたしの名前は、まちがいなく、藤原桜子です」

 あぜんとしている悠斗に、桜子は話しつづけた。

「わたしも、祖母から秘密を目の当たりに見せられたときは、とても怖ろしかったです。でも、けっして物の怪ではありません。驚いて大きな声を出さないようにしてくださいね」

 桜子は、言いおわると同時に目をつむった。


「うわぁぁぁ!」

 悠斗は、家のそとまで響きわたる驚声を張りあげた。

「悠斗さん! おばさまたちが起きてしまわれます!」

「うわぁぁ! うわぁぁ! 昼間の、あの変なヤツだぁぁぁ!」

 笑顔をたたえて桜子のよこに現れた光源氏は、とたんに不機嫌な顔になった。

『わたしのどこが変なのだ!――悠斗殿こそ、こんな夜ふけにわめきちらし、物の怪に取り憑かれておるのではないか?』

「悠斗さん、驚かせてごめんなさい。この方は、光る君さまなのです。どうか、わたしをお信じください。お願いいたします」

 懸命に話す桜子の、いまにも泣き出しそうな顔を見て、悠斗はようやくわれにかえった。冷静になった頭で考えれば、石山寺で出会って以来の桜子の奇妙なふるまいは、桜子が明かした秘密で説明がつく。それに、光源氏らしき青年が目のまえに出現しているのだ。悠斗は、桜子を信じてみよう、と思いはじめた。

「おれこそ、ゴメン。大声を出さないようにと言われてたのにね。おれ、おちついて聞くから、もういちど、最初から話してくれるかな」


 そのとき、一治と春恵は布団のなかで寝つこうとしていた。

「ばあさんや、さっちゃんが悠くんの部屋に入っていかはったようやけど、見にいかんでもええんかな? えらい大きな声がしたで」

「もう静かになったから、ええんとちがいますか。ふたりで、怪談とか、怖いこと言いあって楽しんでいるんどっしゃろ。さっちゃんのほうが、一枚上手のようやね。悠くんは、ちょっと怖がりのとこがあるし」

「そうゆうたかて、なんかまちがいがあったら、さっちゃんの親御さんに、もうしわけないがな」

「なにゆうたはりますの。大きな声を出したのは、悠くんのほうえ。それに悠くんは、まじめな子やし。――どこぞのだれかさんは、わての親にもうしわけないことを、しはりましたけどね」

「わしだけが悪いんとちゃうで。鞍馬小町といわれるぐらい、べっぴんさんやったから、しょうがなかったんや」

「へぇぇへ、おおきに。明日もご馳走にせな、あきまへんな」


 春恵と一治があらためて寝つこうとしていたとき、近くの温泉旅館の一室では、三田がパソコンでメールを書いていた。

 同室の高田が、

「先輩、お茶をいれましたよ」と、

茶碗を二つ座卓に置いた。

 だが三田は、

「寝るまえには飲まん」

と、パソコンの画面から目を離さず、ぶっきらぼうに答えた。

「えぇぇ、もう寝るんですか!? 温泉に、もういちど入りに行きましょうよ。東京にもどれば、こんな機会、めったにありませんよ」

「おれたちは仕事で来たんだぞ。それに、東京には当分、もどらないことになった。会長から、京都に留まれというメールが昼間に届いている」

「うぉぉぉ、やったぁぁ。それじゃ毎日、温泉に入れますね」

「数日後にこの宿を引き払い、どこか近くに部屋を確保する」

「この宿、居心地がいいんだけどな……。なるべく、近くにしてくださいよ。ここ、日帰り温泉もしているんです」

 温泉にこだわる高田の懇願に、パソコンを操作しつづける三田の片眉がつり上がった。

 そして、ようやくメール文を作成し終えた三田は、高田にむきなおり、ふたたび冷徹に口を開いた。

「ひとつ言っておくことがある。おれは、会長への口頭報告のために、毎週金曜、東京へもどる。月曜まで、おまえだけになる」

「えぇぇぇ、それじゃ花金は、おれ、ひとりじゃないですか!」

「この任務は、土日だって動かなきゃならないかもしれないぞ」

「そんなぁぁ!」


 三田は、しょんぼり顔の高田を捨ておき、あらためてパソコンにむかった。そして、メール文書の再点検をはじめた。画面の送信先欄には、〈武藤会長〉と表示されている。


 そのとき、悠斗の父である武藤潤一郎は、タワーマンションの最上階にある自宅の書斎にいた。窓際に立ち、まぢかに東京タワーを、さらにそのむこうにスカイツリーもながめながら、三田からのメール連絡を待っていた。

 三田は、潤一郎の会社きっての優秀な中堅社員である。社内の最高機密を取り扱う医療情報戦略室に、二期下の高田とともに籍を置き、若くして室長代理を務めている。潤一郎から直々に仕事を指示されることも多い。ブランド品で身を包むのも、仕事相手に足元を見られないようにという配慮からだった。

 今回の出張で、三田は毎晩定時に、報告書をメールで潤一郎に送ることになっていた。あと数分で、その時間だ。


 潤一郎は、窓から書斎机の上に目を移した。古めかしい蒔絵の手箱が置かれている。ふたには、銀杏の葉の文様が施されていた。

 ――最初は信じられなかったがな……。

 潤一郎が片方の口の端をニヤリと上げたとき、机上のパソコンに、メールの着信を知らせるランプが灯った。

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