表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第3章 観音
19/160

3-5

 大陰は、このところ心労がつのっていた。

 紫式部の死後は賢子と桜子を見守ってきた大陰だった。その大陰に、この夏の初め、大きな心配事が生じたのだ。賢子と桜子の初瀬詣である。

 その計画があると知ったとき、大陰は、おもわず眉をひそめた。長い道中でなにが起こるかわからない。野盗にでも遭遇したら大ごとだ。なのに大陰の目は、宇治の里から先へ届かないのだ。

 晴明が操る式神は、東西と北の、京都を囲む三方の山を越えることができない。南も、せいぜいのところ宇治川と巨椋池までが限度だったのである。

 大陰は、初瀬詣する賢子と桜子の一行を宇治橋まで見届け、そのあとは、藤原兼隆が宇治に所有する別荘の庭で、白いフクロウに変化して一行の帰還を待った。


 そして今朝の大陰は、宇治から東宮御所へもどろうとしている桜子の一行を見守るのに、さまざまな鳥に変化した。ハクタカ姿で牛車を上空から見つめ、白い小バトになっては牛車の屋根に留まり、桜子たちの会話に聞き耳をたてた。いまはシラサギに変化して鴨川の浅瀬に下りたち、一行の牛車が五条大橋を渡っていくのを見やっている。

 ――賢子殿たちが宇治に三泊もされるとは、思いのほかだったのう。いいかげん疲れたので、別荘に忍んで来たあのおバカな子を脅かし、気晴らしをしてやったわい。オババの羽音や鳴き声に、そうとう怖じ気づいておったのう。ククク。夜遊びなど、健全な若者がすることではないぞ!

 ――驚いたのは、橋姫が姿を現したことじゃった。たいていの旅人は橋姫を気づかって、ほかの女のことを橋の上でほめたりしないものを、あの男の子ときたら、どうしようもなく間抜けじゃ。まっ、ほかの女をほめたのは自分だと、正直に橋姫に告げたことはほめてやろう。家臣を身代わりにする情けない連中が多いこのご時世、見直したわ。だがおまえを助けてやる義理はないからのう。高みの見物をしておったら、惟清とかいう若者が、なかなかの腕をしておった。

 ――だが、そのあとがいかん。斬り落とした鬼の腕を封印しようという考えはよい。だがな、なぜ晴明さまばかりに頼るのじゃ。晴明さまは、もうお歳なのだぞ。いまでも力は随一だが、ひとつの仕事を片付けるのに、お若いときの二倍は時間がかかるようになられた。そのあとの疲労も、昔とはちがい尾を引くようになられたのじゃ。ご子息さまおふたりも立派な陰陽師なのだから、そちらに頼ってくれればよいものを……。


 桜子たちの初瀬詣に不安をつのらせたあとは、晴明の体調も気遣う大陰だった。そのうえ、不安の種がまたひとつ増えた。賢子と桜子が、大陰の目が届かない石山寺へ行くというのだ。紫式部が石山の観音に新帖の存在をしらせたのかもしれず、もしそうなら、賢子たちは観音から新帖のことを告げられるかもしれない。そうなれば、新帖の存在が兼隆たちに露見するにちがいない。大陰は、晴明にくわえて賢子親娘の身の安全が心配でならなかった。

 シラサギは、鴨川の水に脚を浸けながら目を赤くしていった。

 ――あのおバカな男の子ときたら、「おれも石山寺に行きたいでーす」と脳天気にぬかしおって。おぬしの力では、賢子さまと桜子さまを護れないじゃろうが! しかたない、まずはこのオババが、すこしでも力を回復せねばな……。


 シラサギは、水面を滑空しながら鴨川をまっすぐ一条大路までさかのぼった。そして、いまは賢子と桜子の私邸となっている、旧式部邸の屋根をかすめ、一条戻橋の下にたどりついた。七日ぶりの、堀川の暗い水だった。

 ――ふぅー、やっともどれたわ。すこし休み、日が暮れてから晴明さまのもとに参ろう。ひさしぶりにお会いするのだ、オババのままでお目にかかりたくないからのう。


 その夜、大陰は白肌の美女に変化して晴明邸に入った。

 晴明は廂で客を迎えているらしかった。橋姫の右腕が持ちこまれたと、仲間の天将から教えられ、大陰は、その美しい細眉をくもらせた。そして、ようすを探るために、折敷に酒器を載せて廂へむかった。


 大陰が姿を現すと、惟清はソワソワしはじめた。

 ――横目でチラチラ見くさって、失礼なヤツじゃ。おぬしのために若い女になったのではないぞ。

 だが大陰は、やさしげな笑顔を作り、

『どうぞ召しあがってくださいませ』

と、惟清に酒を勧めた。

「は、はい!」

 惟清は、そう言ったきり、うつむいてモジモジしている。

『お()ぎいたしましょう』

「は、はい!」

と、惟清は調子外れな声で答え、ぎこちない手つきで杯を取った。そして、だいじそうに、それを大陰の胸のまえへ差しだした。

 ――あんがいと、うぶなヤツじゃな、ククク。


 晴明は、大陰が酒を運んできたことに目をやらず、両腕を組み、手箱に納められている鬼の腕を凝視しつづけていた。そして、難しげな顔で、おもむろに口を開いた。

「この鬼の腕は相当な難物です。ほかの陰陽師ではなくわたしのもとに持ちこんでこられたのは、なによりでした」

 晴明の言葉に、大陰の瞳に赤みがさした。

 ――やはり厄介な代物だったのだ。ご子息おふたりに委ねることができないものかのう。お体にさし障りがでなければよいのだが……。

 大陰の心配をよそに、晴明は、この仕事に心血を注ぐ覚悟を表した。

「お任せください。この晴明にとっても、大きな仕事になるでしょう。日数はかかりますが、悪さをしないよう封印いたしましょう」


 封印の方法を思案する晴明をまえに、惟清は大陰をこっそり見ながら、酒をゆっくりと飲んだ。酒がなくなると、大陰は、湯漬けはどうかと惟清にたずねた。

「は、はい! 頂戴いたします」

 ――こやつは田舎者か!? 東国の出身じゃろうか? はて、(めし)があったかのう?

 大陰は優雅な身のこなしで奥へしりぞき、しばらくしてから、大きな器に少しの湯漬けを入れて現れた。惟清は、出入りする大陰の動きを目だけで追いつづけ、そして湯漬けも、時間をかけて口に運んだ。

 それも食べおえて、ようやく惟清は暇乞いをした。

 思案をつづける晴明に代わって、大陰が、

『お口に合ったようで、こんなにたくさん召し上がっていただきまして、たいへんうれしくぞんじます』

と、笑顔を作って応じた。

「は、はい!」

 明るい声で返事をする惟清に、大陰はニコリと笑顔を返した。

 ――こやつは、やはり田舎者じゃ!


 そして大陰は、惟清を門まで見送った。

『お越しいただき、まことに、ありがとうございました。お気をつけて、お帰りくださいませ』

「は、はい!」

 ――長居をしおって! さっさと帰らんか!

『またいつでもお越しくださいませ』

 ――もう厄介な仕事を持ちこむのではないぞ!

「は、はい! ありがとうございます!」

 惟清は腰を折り、ふかぶかと辞儀をした。その頭のなかでは、大陰へ贈る歌に思いをめぐらしているようだった。だが大陰は、ふたたび瞳を赤くした。

 ――万が一にも文を贈ってきたら、即行、この手で燃やしてやるからな!

 

 大陰が母屋にもどるとまもなく、晴明は鬼の腕を手箱に納めた。そして、それを抱えて立ちあがり、大陰に、いまから邸内の祈祷所に三日間籠もることを告げ、だれもそこへ近づかせないよう厳命した。

 晴明は、鬼の腕の封印に全身全霊を傾けようとしている。そんな晴明のようすに、大陰は、賢子親娘の石山詣というあらたな心配事を伝えることがはばかられた。

『はい晴明さま、承知いたしました。どうか、お気をつけくださいませ』

 大陰は、そう返事するしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ