表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第3章 観音
17/160

3-3

 牛車は早駆(はやが)けになった。

 と、そのときだ。空間が、まるで前後にずれるようにゆらいだ。

 それは一瞬のゆれだったが、橋の両側の欄干のうえに、人の頭ほどの青白い鬼火がサァーッと列をなして現れ、宇治川も、青い一筋の光の川に変わった。速仁たちは異界に入ったのだ。

 そして、一行が橋を渡りきる直前に、牛飼童が、

「ヒェェェ」

と叫び声をあげ、牛車は急停止した。


 薄絹の白い舞衣をまとった巫女姿の女人が、両腕をひろげて行く手をふさぎ、紫色の瞳で牛車をにらみつけていた。肌が、染められているように赤い。そして、鉄の輪に三本脚が付いた台を逆さに頭に載せ、その脚には松明(たいまつ)が燃えている。

「若宮は車からお出にならないように。よろしいですね」

 惟清は、まだ事情がのみこめない速仁にそう言いのこし、車から飛びおりて女のまえに立ちはだかった。


「橋姫さまとお見うけいたします。どうかお許しいただき、これをお納めください」

 惟清は懐から、ありったけの銅銭を取りだした。だが、

『カカカッ』

という冷ややかな笑い声とともに女は鬼に変化(へんげ)し、ひと息でそれを、惟清の手から吹きとばした。鉄輪(かなわ)のまん中から角が二本、ニョッキと生え、口が耳もとまで裂けている。

『欲しいのは、ほかの女をほめた男の命じゃわ!』

「それではわたしの命を奪え。わたしがその張本人だ」

 毅然(きぜん)としてそう言いはなつ惟清を、鬼女は目をつりあげてにらんだ。

『われの耳に聞こえてきた声は、もっと若い男のものであったようだがな、……カカカッ』

 従者たちは、牛車を背にして惟清の左右に一列にならび、いつでも斬りかかれるように身構えた。


「お、おれです……」

 そう言いながら、まっ青な顔の速仁が、車から降りてきた。両手がこきざみに震えているが、その声はしっかりとしていた。

「若宮、どうして!?」

 鬼女から守ろうとかけよってきた惟清に、速仁は、すまなさそうな顔でこたえた。

「おれが惟清とのおとなの約束を守れなかったせいだから。ごめん。もし惟清がおれの身代わりになったら、おれ、一生後悔するから」

「若宮……!」

「それにおれたち、全員で九人だぞ。きっと勝てるよ!」

「そ、そうでした。戦いましょう。よーし」

 全員が鬼女に(やいば)をむけた。速仁も、惟清に守られつつ、父である東宮から授かった懐剣(かいけん)を抜いた。

 ――おれ、蹴鞠だけじゃないんだぞ。乗馬だって弓矢だって、太刀(たち)だって練習しているんだからな! 桜ちゃのことをほめたら怒るヤツなんか、絶対にやっつけてやる!

『ううぅぅ、小癪(こしゃく)なぁぁ!』

 鬼女は怒声をあげながら、速仁の頭をつかもうと、右腕を伸ばして跳びかかってきた。その憤怒に燃える形相に、速仁は背筋も凍る思いだった。

 ――うわぁぁ、おれ、やられるかも……。


 ギャァァー

 悲鳴をあげたのは鬼女のほうだった。惟清の太刀がその右腕を、速仁の髪に届くすんぜんに斬り落としたのだ。

『い、痛いわ。ひどい人たち!』

 鬼女は三十歳ほどの清楚な女に変化(へんげ)し、背中をこきざみに震わせながら、橋のうえに横たわっていた。鉄輪の替わりに、明るい紫色の被衣をかぶっている。角はなくなり、赤かった肌も、いまは病的なほどに白い。


 あぜんとした顔で速仁らが取りかこむなか、女はよろめきながら立ちあがった。

『ひどいわ、あんまりだわ、おぼえてらっしゃい』

 女は泣き顔でそう言いのこし、祠の横の欄干にヒューっと飛びあがるや、川に身を投げた。

 速仁たちが欄干から下に目をやると、青く光る川面に被衣だけが浮いている。だがそれも、光の川に呑みこまれるようにして、たちまち消えていった。そしてその光も淡くなり、速仁たちがみつめるなか、夜の宇治川はいつもの黒い流れを取りもどした。

「あれはいったい、なんだったのだ?」

 みなが異口同音につぶやいたとき、欄干の上で浮遊していた鬼火が、ひとつずつ消えはじめた。


「若宮、お怪我はありませんでしたか?」

 惟清が片ひざをつき、あらためて速仁に声をかけた。

「うん、おれはだいじょうぶ、ありがとう」

 速仁がそう返事したとき最後の鬼火が消え、ふたたび空間が、前後にずれるようにゆらいだ。速仁たちは、異界から、もとの世界へもどったのだ。


 惟清は立ちあがり、

「さっ、遅くなりましたから、早くもどりましょう」と、

速仁をうながした。

「うん、そうだね」

 速仁はうなずいたあと、ゆっくりと言葉をついだ。

「もういちど言うね。約束を守れなくて、ごめん。そして、ありがとう」

「はい、これからは、しっかりと守ってくださいよ」

「ハハハ!」

 九人全員が笑っていた。


「なぁ、惟清。あれを放っておいて、いいのかな?」

 速仁が指さしたさきには、斬り落とされた鬼の右腕がころがっていた。

「たしかに、このままではまずいですね……。わたしが預かり、これが悪さをしないよう、どこかに納めましょう。おそらく、安倍晴明さまに封印していただくのが、もっともよいかとぞんじます」

 惟清はそう言うと、鬼の腕に近づいた。赤黒くゴツゴツした表面が、するどい剛毛にビッシリとおおわれている。惟清は、しかめ面をしながら、それを懐紙に包んだ。そして、

「おい皆、いそいでもどるぞ。まだ油断するなよ」

と一同に命じた。

 惟清は速仁ひとりを牛車に乗せ、あたりを警戒しながら急ぎ足で別荘へむかった。


 別荘の母屋にもどった速仁は、女房らに気づかれないよう、コッソリと寝所へ忍びこもうとした。屏風のうしろで女房がふたり、横になりながら、ひそひそ声でなにやら話しているようだった。速仁は、式部の名前が聞こえたような気がしたので、おもわず立ち止まって耳をそばだてた。

三途(さんず)におられるそうよ。宇治の山寺の阿闍梨(あじゃり)さまがそう仰っていると、この別荘に出入りする下人たちがもうしておりましたわ。不妄語戒(ふもうごかい)を犯したとかで……」

「乳母殿の母上とちがい、わたしたちは物語など書けない凡人でよかったですよね。きっと往生できますよ」

「そいうことですかね。ほほほ」


 速仁には、女房たちがかわしている言葉の意味が、生半可にしかわからなかった。

 ――乳母殿の母上って、式部ばあちゃんのことだよな。〈サンズ〉ってところにいるのか!? あじゃりさまといえば、内裏にも出入りする偉い坊さんだよな。その人が言っているのだから、まちがいないよな。〈サンズ〉って、どこなのだろう? 〈フモウゴカイ〉って、どういう意味だ? 

 そして速仁は、肩をすくめながら口もとをゆるめた。

 ――まぁっ、いいか! わからないけれど、桜ちゃんに教えてあげよう。きっと喜ぶぞ。式部ばあちゃんに会えるなら、おれも会ってみたい!


 垣間見えた桜子の顔と、やさしかった式部の顔を思いうかべながら、速仁は衾にくるまった。

 ――おやすみ、桜ちゃん。今夜の君は、いままでで、いちばんきれいだったよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ