プロローグ
ここはリオウ国のとある街広場。
首都へと続く大通りが交差するこの街は、夜明けから日没まで絶え間なく人波が押し寄せ、行き交う足音と活気ある呼び込みの声で満ちている。
色鮮やかな天幕を掲げた露店や立ち並ぶ商店からは、香辛料の甘辛い香りや焼き立てのパンの香ばしい匂いが漂っていた。その中央に鎮座する大きな石造りの噴水は、降り注ぐ陽光を浴びて水しぶきをキラキラと散らし、街の喧騒に涼やかな水音を添えている。
僕はその広場の隅、ほどよい木陰を作る古木の根元に腰を下ろし、使い込まれたリュートを抱え直した。
爪先で軽やかに弦を弾くと、爪弾かれた音色が水音と雑踏の波に溶け込んでいく。通りすがる旅人、荷馬車を引く商人、楽しげにはしゃぐ子供たち――それぞれの物語を胸に行き交う人々の足取りに寄り添うように、指先から奏でる旋律をゆっくりと広げていった。
何気なく始まった演奏だったが、気づくと百人以上の人々が僕のリュートを聴いている。僕はいい気になって、リュートを強めに、国を讃える歌を歌う。
『ライラライラ ライラライ 風が渡るよ
市場の路地を 溢れる色彩 交わる言葉
ここはリオウ商いと文化の国
東の海から 宝を運び 西の砂漠へ
物語を紡ぐ 金の鈴鳴らし 交わす微笑み
富と知恵が集う 世界の交差点
ライラライラ ライラライ 踊れよ歌え
夜が明けるまで 歌声こそが 我が国の誇り
ここはリオウ 商いと文化の国』
鳴り止まない盛大な拍手。広場を埋め尽くす人々から、割れんばかりの賛美の声が飛び交う。僕は深く一礼すると、リュートを抱え直した。
(よし、次は少し驚かせてやろう)
イタズラ心を忍ばせ、低音の弦を荒々しくかき鳴らす。重厚な音色が響き渡った瞬間、どこからともなく小さなドラゴンが姿を現し、僕の右肩へと降り立った。ドラゴンが小さな口からパッと炎を吐き出すと、観客からどよめきが起きる。
間髪を容れずに左肩へ舞い降りたのは、サファイア色に輝く小さなリヴァイアサンだ。今度はそれが涼やかな水柱を吹き上げた。目の前で起きた幻想的な演出に、広場の喧騒は一瞬で熱狂へと変わる。
「あれは……伝説の勇者様に違いない!」
「勇者様だ!ついに現れたんだ!」
「音楽で奇跡を起こすなんて、彼こそ予言に謳われた勇者様だ!」
「勇者様」という歓声が、波となって僕を包み込んでいった。
(え…?「勇者様」って……僕はただの音楽家志望の一楽士なんだけど)
「え、ちょ、ちょっと……」
僕は大いに困惑していた。元はといえば、僕が少し悪戯心を起こしたせいなのだが……まさかこんな風に「勇者様」扱いされるとは思ってもみなかった。確かに最近、他の街でもあれこれと騒がれていた気はしていたけれど、目の前で直接拝まれると流石に驚く。いや、引く。僕はリュートを抱えたまま唖然と立ち尽くしていた。
「勇者様が現れたぞ!すぐに町長様へ報告しなければ!」
――はい?いきなり町長様?
「そうだ、町長様にお知らせするんだ!なんてったって伝説の勇者様なんだから!」
――ええ……そこまでの大ごと?
「私、生きているうちに勇者様にお会いできるなんて!今日はなんてついてるのかしら!」
――そんなに目をキラキラ輝かせられても……。
「ええと……僕はただの楽士でして――」
必死に説明しようとしたものの、誰も僕の声に耳を傾けない。誰も彼もが「勇者様!」「勇者様!」と、僕の釈明をかき消して盛り上がっている。
すると群衆の中から、見るからにタフそうな大男ふたりがぬっと現れ、僕の両腕をガシッと掴んできた。
「『勇者様』を町長様のもとへお連れするぞ!」
「おうよ、相棒!」
そのままずるずると引き摺られていく。
(えええっ?!ちょっと待って、この人たち何――!?)
街の中で最も豪華な、赤い屋根の三階建て――。それは都市の中心部に鎮座していた。
「町長様!ついに伝説の『勇者様』が現れました!」
大男ふたりは僕を町長の執務室らしき部屋へ引っ張っていき、そこでようやく僕の腕を解放した。
部屋の奥にいたのは、立派な髭を蓄えた小太りの壮年男性だった。彼は僕の全身を、値踏みするようにじろじろと見つめてくる。
「ほお……君が噂の『勇者様』かね。どう見てもただの吟遊詩人にしか見えんが」
「あ、はい……その通りです。僕はただの楽士で、それもまだ見習いでして……」
正直に身の上を明かそうとした僕の言葉を遮り、大男たちが身を乗り出してきた。
「違いますよ町長様!この方は紛れもなく『勇者様』です!美しいリュートの音色で奇跡を起こすんです!」
「そうです!奇跡を起こせるお方なんです!」
ああ……やっぱり、僕のちょっとした悪戯心が仇になった。すっかりこのふたりは僕を勇者だと信じ込んでしまっている。
「ほう……なら、わしの前でも見せてもらおうかね。その奇跡とやらを」
町長の言葉に、僕は思わず縮こまる。
「さあさあ、見せてください『勇者様』!先ほど見せてくださったあの奇跡を!」
「見せてください、『勇者様』!」
ふたりの圧倒的な圧に押し切られ、僕は腹を括るしかなかった。仕方なくリュートを構え、弦を爪弾く。花の精を呼び出し、殺風景な室内を一瞬で色鮮やかな花々で満たした。
半信半疑だった町長の顔色が、ガラリと変わる。その顔には、何とも言えない歓喜と感嘆が浮かんでいた。
「これは……見事な……!うむ、間違いない、この方こそ伝説の『勇者様』だ!」
町長まで乗っかっちゃった――!?
「こうしてはおれん!すぐに『勇者様』を歓迎する盛大な宴の準備をさせよ!」
――え、うたげ……?
大男ふたりは力強く頷き合い、パチパチと大袈裟に拍手を送ってくる。
「一体どうしてこうなったんだ……!」
僕は大男ふたりが歓喜の拍手に夢中になっている隙を突き、脱兎のごとく館を飛び出した。
しかし、表の通りに出て絶句する。そこには、噂を聞きつけた大勢の町人たちが押し寄せていたのだ。
「勇者様――!勇者様――!」
たまったもんじゃない。僕は愛用のリュートを構え、弦を力強く爪弾いた。
召喚された幻獣ペガサスが空から舞い降りる。僕はその背にしがみつくように跨がり、一気に上空へと飛び立った。
「勇者様――!どこへ行かれるのですか、勇者様――!」
下の方から必死に叫ぶ声が聞こえてくるが、無視だ、無視。全力でスルーだ。
「よし、このまま次の街まで飛んでいこう!」




