叩いて直せ!
あれは昨日の事だった。
突然頭の中に声が鳴り響き、これは念話だと、直ぐに気が付いたのは。
普段はこの程度で驚く事は無いのだが、あいつは最初にこう言ったのだ。
〝これはドルゲン様だけに届く念話ですので、気兼ねなく応じて頂けると助かります〟
驚くべきは、これが特定の人物に向けての秘匿念話だ、と言う事。
そして、この念話を送り付けて来た者は、ローリー・ケルロス、と名乗った。
こんな物を操れるのは、相当な歳を経た魔獣以外には居ない。
そこから思い至る事は、今この街でそんな魔獣を従えられるのは、あのマクガルド陛下だけ。と成れば、間違いなくこのローリー・ケルロス、と名乗った者は魔獣だと推察出来る。それも秘匿念話を扱える事からして、かなり高位なのは、まず間違いない。
魔獣、それも四足獣は人語を発する事がない。故に他者との意思の疎通は念話で行うのだが、秘匿念話など、その辺の有象無象では扱えないからだ。
そして、ローリーと名乗った者は一方的にこう告げてきたのだ。
〝試合が終わったマサト殿を、殴っておいて下さい〟と。
だがしかし、はい、そうですか、と素直に従えるほど俺は落ちぶれちゃいないし、自尊心も捨ててはいない。
人界へ降りて来ているとは言え、俺は誇り高き竜族の戦士。自分よりも格下の者の言う事など、簡単には聞いてやれはしないのだ。
だから、その真意を探ろうと思った。
――行き成り何を言っている。俺がそう簡単に動く訳ないだろう。
――そこを曲げて何とかお願い致します。
――駄目だ。
――そうですか。それは困りました。
――俺は困らん。
――変態のおじさんが言う事を聞いてくれない、と殿下にご報告せねばなりませんが、宜しいですか?
――良いわきゃねえだろっ!
あのガキに知られたら、街中の噂になっちまうじゃねえか!
くそっ、嫌な奴に変な事を覚えられちまったな。
――では、先ほどの事は了承し――。
――しねえよ!
――では、やはり殿下に……。
――ま、待て! 訳を聞かせろ!
――話せば了承して頂けるのですか?
――内容次第だな。
――ま、良いでしょう。
何だこいつ、随分と偉そうだな、おい。
――叩くと直るんです。
――何がだ。
――マサト殿です。
何言ってやがんだこいつは……。
――直る訳ねえだろ、と言うか、あいつのどこが壊れてんだよ。
――壊れてますよ? 剣士が剣を使わないのですから。
――それが何で叩くと直るんだよ。
――古い魔装機と同じです。
――人族と魔装機は同じなのかよっ!
――違うのですか?
――違うだろうがっ!
――私は同じです
このやろう、言い切りやがった……。
――では、理由も説明しましたので、宜しくお願い致します。
――説明になってねえ!
――そうそう、この約定を反故にした時は、殿下と陛下にお伝えしますので、ご了承下さい。それでは、失礼致します。
――おい! ちょっと待て! さらっと恐ろしい捨て台詞を残していくな! おーい!
くそっ、あの野郎一方的に念話を切りやがった!
俺はこういった細かい魔法の扱いは苦手だ。だから、と言う訳ではないが、秘匿念話は使った事が無い。しかも、一方的に切られて憤慨している所にあの野郎はまた繋ぎ、愕然とさせやがったのだ。
――一つ、言い忘れておりました。私、昔はベロ・ケルス、と名乗っておりました。お怒りの所、失礼致しました。
それを最後に、あの野郎は何も言ってこない。
最後の最後でとんでもない言葉を残していきやがって、本当にふざけた野郎だ。
しかし、ベロ・ケルス、か。
天族で、その名を知らぬ者はない、とまで言われる名前だ。
魔獣の身でありながら、俺たち竜族と五分に渡り合える、とまで噂され、実際に何匹かの下級の者が真偽を確かめる為に挑んで、その悉くが返り討ちにあった、と言われている。
故に、絶対に手出ししてはならない、と竜王様からお達しが出た程の者。
そんな者がどうしてあいつの仲間に居る。
だが、今回はそれが問題なのではない。
「何故殴るのだ……」
俺としても憂さ晴らしに丁度良い、と言えば丁度良いのだが、今一つ意味が見えて来ない。
しかし、あのガキとマクガルド陛下にあらぬ事を吹き込まれて、この国に置ける立場が危うくなるのも困る。
「どうしたものか……」
「何か悩み事でもあるのですかな?」
不意に声を掛けられ我に返ると、そこにはでっぷりと肥えた太ったブタ――モーベンス・ルイ・バドック伯爵が居た。
「これは――バドック伯爵閣下。考え事をしていたとは言え、気が付かぬとは失礼致しました」
このブタ、何をしにきやがった。
「いやいや、人は誰しも悩みの一つ二つは有る物です。オラス団長ともなれば、その悩みも大きかろうと思いましてな、つい、声を掛けてしまったのですよ」
普段は俺の事など気にもしない奴が、何故気にする。
「個人的な悩み故、バドック伯爵閣下のお手を煩わせる程では御座いません」
「そうですか。ですが、私で力になれる事であれば、遠慮なく相談してもらっても良いのですよ?」
まさか、俺を取り込む腹心算か?
「本当に些事故、お力をお借りするまでも御座いません。ですが、ご配慮、深く感謝致します」
深々と腰を折って見せるとブタは満足げに頷き、貴賓席へと消えて行った。
「しかし、何故奴はここに……?」
いくら考えた所で、ブタの腹の中が読める訳も無いが、一応、心に留め置くと、俺も貴賓席へと入った。
だがそこは、異様な雰囲気に包まれていた。
静まり返る観客席。
眼下から迸る悲痛な叫び。
そしてそこには、四肢を奪われた、我が部下が転がっていた。
俺が呆然としたのは一瞬だけだ。
すぐさま湧き上がる怒りに任せて通路へ躍り出ると、そのまま階下に在る控え室目掛け駆け抜ける。
そんな俺を恐れる様に、皆壁に張り付き道を空け、引き攣った顔を見せていたが、今はそれに配慮している場合ではない。そして、頭の中にはあいつが言った言葉だけが、繰り返し流れていた。
――望み通りぶっ叩いてやる。ただし、直す為ではない。壊す為だ!
目的の控え室に着くと、荒々しく扉を開ける。だが、奴はまだ戻っていなかった。
ならば中で待つのみ。ここ以外に戻る場所は無いのだから。
程なくして奴が扉を開け入って来ると、俺に気が付く間も無く渾身の力を込め拳を叩き込んだ。
だが不思議な事に、全力で殴った奴の体は調度品を壊して壁まで吹き飛んだだけで、見た目は無事だ。しかし、一応は効いている様で、身動ぎ一つ起こさず倒れたままだった。
――まあいい、ここで死なれても困るしな。
奴をそのままにして部屋を出ると、部下が運び込まれているであろう治療室へと向かって駆け出し、その扉を開けると、数名の者がこちらへ向き直り頭を垂れた。
「どうだ?」
「今、魔法にて眠らせた所で御座います」
「眠らせた? どういう事だ?」
「舌を噛み切ろうとしましたので……」
寝かされた姿を見れば、そうしたくなる気持ちも分かろうと言うもの。
部下の両腕は肘から先が、両足は大腿の半ばから先が、夫々消失しているのだから。
「やはり此奴は――」
「はい、人並みの生活すら絶望的かと」
両の拳を強く握り締め、憤りを表情に沸き上がらせて俺は、全身を振るわせた。
その無念、俺が必ず晴らしてやる!
「ですが、希望が無い訳ではありません」
治療師の一人にそんな事を告げられ、瞬時に怒りを忘れ詰め寄ると、
「何とか出来るのかっ!」
無意識の内に肩を掴んでいた。
「は、はい――」
「どうすればいいのだ!」
「魔装義肢を使えば日常生活はおろか、扱いに慣れさえすれば、騎士のお勤めも可能で御座います」
だが、それを聞いた俺は落胆してしまった。
何故なら、そんな精巧な義肢を製作可能な者が、今のこの国には居ないからだった。
「それは無理だろう。魔装義肢の様な複雑な物を作れる者は皆、鉱山送りに成ってしまったからな……」
魔装機はその性質上、魔力や魔法といった物に精通している必要があるのだが、人族の場合は精通している者は大半が魔術師となってしまう為、今やこの国には魔装機を開発をする技師が殆ど居ない。因って、この国の魔装の開発は既に止まったも同然であり、後数年もしないうちに魔装機は動かなくなると、魔装機を整備する者から告げられている程なのだ。
落胆する俺に、治療師は言葉を重ねる。
「知り合いのギルド職員から聞いたのですが、リエル・マウシス、という魔装機に詳しい亜人が来ているらしいではありませんか」
此奴何を考えておる。
「あれはこの国の者ではない」
「ですが、亜人です。我々にとっては奴隷と同義。ならば――」
「それはこの国の者にしか通用せぬ道理だ。それとも貴様は、ユセルフと事を構えよ、と申すか?」
言葉を遮られ、諌められた治療師の顔が訝るものに変わった。
当然だろう。亜人を一人連行するだけで戦争になると、言われたのだからな。
「まあ良い。希望がある事は分かった。貴様は引き続き、この者が自害せぬよう尽力を尽くせ」
「で、ですが――」
「くどい! 俺が良いと言ったのだ! 逆らう事は許さぬ!」
治療師が青ざめた顔で首肯すると、俺は踵を返して部屋から出る。そして、城にある自分の執務室へと足を向けながら、黙考を始めた。
あのブタが現れた事といい、部下の件といい、奴が絡んでいる気がするのは、勘繰り過ぎか? だが、部下の件は、偶々条件が合致したに過ぎないと見るべきだろう。しかし、ブタは――。
もしや、奴を取り込む心算か?!
いや、それはあり得ぬか。奴を御するには、あの妻共を認めねばならぬし、そんな事をすればブタの求心力も落ちる。そうまでして取り込む利点は見当たらんしな。
では何故姿を現した。
何かを確認するためか?
だが、その何かが分からん。
それともまた、影でコソコソと動いているのか?
しかし、これは何時もの事。
何だ、このモヤモヤとした感覚は。
分からん。分からんが――何かが起こり始めている様な気がする。
くそっ! 一体何だと言うのだ!
そして、執務室の扉を開け中へ踏み込んだ瞬間、頭部に強烈な衝撃が走り、俺の意識は暗転した。
その時、聞き覚えのある声が耳に届いた気もするが、それを認識する事は、出来なかった。