オートリバースは万能でした
殿下はマサト殿の変わり果てた姿に大分衝撃を受けてしまった様で、酷く落ち込んでいらっしゃいました。無論、私達も衝撃は受けましたが、殿下程ではありません。あれが皇帝陛下の願いを叶える為に必要な事だと、マサト殿がそう判断をしたと思っているからです。ですが、それでも尚、あの様な事を為さるとは、正直、私も驚きを隠せませんでした。
私は知っています。
彼――マサト殿が優しい方だ、という事を。
以前、小鬼をマサト殿が狩っていた時、こっそりと見ていましたが、倒した後、両の手を合わせて目を閉じ、頭を垂れていました。両の手を合わせる、という行為に何の意味が有るのかは、私には分かりません。ですが、死んだ者の冥福を祈っているだろう事は、直ぐに分かりました。
普通、人は魔獣や魔物を倒しても冥福など祈りはしませんし、それどころか、声を上げて喜び、その事を自慢しあうものです。
尤も、これは私達も同じですが。
この長い生の間、私は色々な人を見て来ました。人の良い部分も汚い部分も含めて。
だからこそ、分かるのです。マサト殿は普通の人とは違う、と言う事が。
敵対する者を倒した後、その者の冥福を祈るなど、私ですらした事はないのですから。
そのマサト殿があれほど惨たらしい殺し方をするなど、幾ら考えても理由が思い浮かばないのです。
何故、そこまでする必要が有るのかは分かりません。ですが、これはマサト殿一人に任せて良いものではない、と判断いたしました。
ですから、皆さんに助力を仰ごうと思います。
まずはマサト殿の意図を探り出さねばいけませんが、皆さんの知恵をお借りすれば、可能だと思います。
殿下、今しばらく待っていてください。この先も笑顔で居られる様に、マサト殿のお傍に居られる様に、私がこの命に代えても何とか致しますから。
ゴンザ殿に手を引かれながら、肩を落ち込ませて俯き歩く殿下の小さな背中を見詰め、そう決意したのでした。
*
宿の扉を潜ると、殿下はゴンザ殿の手を離し、一目散に奥へ向かって駆けて行ってしまいました。
それを見たバロール殿は、口をポカンと開けたまま見送り、その顔を私達に向けて来ます。
どうやら何かを言おうとして固まった様ですね。
先に私から声を掛けて元に戻しましょうか。
「ただ今戻りました」
「お、おう、お帰り。――で、ボウズはどうしたんだ?」
やはり気に成るようですね。
「それなんだがなあ……」
ゴンザ殿が口を開きますが、途中で言葉を止めて私に目線を向けて来ます。
これは私に説明しろ、という事なのでしょうね。
「実は――」
そして、闘技場で見たマサト殿の事を詳しく話しました。何一つ、包み隠さず。
「は? あそこで死んだ? そら有り得ねえぜ。あそこは体の一部が残ってりゃ――」
「ですから、弾け飛んで全て燃え尽きてしまったと言ったんです」
バロール殿が押し黙ってしまいました。
ですが、実際に起こり得ない事をマサト殿は遣って見せたのです。
たぶんこれは、自身の力を誇示する為なのでしょうが、マサト殿の心は今頃、良心の呵責に責め苛まれている筈。それを思うと、私の胸も痛みで潰れそうでした。
「なんてこったい……。それじゃあ何か? あいつと戦って負けるって事は、文字通り死ぬって事か?」
「そうとも限りませんよ? これは私の予想ですが、今頃、釘を刺されていると思います」
あんなものを間近で見せ付けられれば、絶対何かを言う筈です。そうなれば、マサト殿も決勝までは、殺す事はないでしょう。
「それならいいんだけどよ……」
「ただ、少し気に成る事があるのです」
「何がだ?」
ゴンザ殿が怪訝な表情を取っていますが、この方は余程鈍いと見えます。
「まったく、それですから惚れた雌に逃げられるのですよ」
「い、い、行き成り、な、な、な、何言ってやがんだてめえはっ!」
おや、顔が真っ赤に成ってしまいましたか。些か効き過ぎた様ですね。
「バロール殿、仕事が終わったら後で私の部屋へ来るようにと、皆さんに伝えて頂けますか?」
「皆さんって――、ああ、あいつ等か」
「それでは私はこれで」
会釈をしてその場を離れました。
「待てこら! この魔獣人! 色男になれるからって舐めてんじゃねえぞ! 聞いてんのかよ、おい!」
ゴンザ殿が何か喚き散らしていますが、今あの方に付き合う義理は有りませんし、私は忙しいのです、これでも喰らって大人しくしてください。
私は風を操り密度を上げて風弾を作り、ぶつけて差し上げました。
「て――ごふぉえええええ……」
何だかすっぱい匂いがして来たと思ったら、バロール殿が慌ててカウンターから飛び出して来た様ですが、ゴンザ殿は静かになりましたし、問題ないでしょう。
しかし、マサト殿の考えたこれは便利ですね。詠唱がいらないのですから。
部屋に戻った私は、マサト殿が最後に使った魔法について考えてみました。
通常、魔法と言うものは、言葉に魔力を乗せイメージして練り上げたものを作り出し、それに魔力を更に乗せて形作り放つ、というのが本来の遣り方。
ですが、無詠唱も同じようなものですから、これでは相手の体の中に送り込む事は出来ません。
出来るとすれば、相手の魔力を操り、そこへイメージを被せて体内で具現化させてしまう、という禁忌の方法ですが、これは既に継承者が途絶えてしまい、使い方を知っている者は居ない筈です。
もしかして、あの時掴み掛かったのは、これを遣る為だったのでしょうか?
ですが、マサト殿はこれを知らない……。
それにこの方法は掴み掛かる必要も無いですし、マサト殿でしたら、風魔法を使えば簡単にあそこから――!
「なるほど、そう言う事ですか……」
マサト殿の魔法を考えていたら、何となく分かってきました。あの方の遣ろうとしている事が。
しかし、これでは皇帝陛下の頼みを成就する事など出来ません。
一体、どうすれば良いのでしょうか?
頭を悩ませていると、扉をノックする音が聞こえました。
「どなたですか?」
『ワシじゃ』
「早かったですね。鍵は開いてますからお入りください」
扉が開くと、粗末な格好をしたアイシン様達が入っていらっしゃいました。
「ワシ等に何用じゃ。今はローリーの方が立場は上じゃし、何をさせる心算なのじゃ」
特に何かをさせる心算はないのですが、皆さん随分と卑屈な態度になっていらっしゃいますね。もしかして、これが奴隷の効果なのでしょうか?
「少々ご相談したい事があるのです。とりあえず空いている所にお掛けください」
手近なベッドや椅子に座って頂きました。
「ところでよう、ライルは何処だよ?」
両足を広げて椅子に座り、背凭れを両腕で抱え込んだ格好の陛下が、お声を掛けてまいりました。
しかし、何とはしたない座り方をするのでしょうか。仮にも雌なのですから、もう少し慎みを持って頂きたいものですね。今度、みっちりと叩き込んで差し上げましょう。
「今頃は薪割りをしていらっしゃるかと」
「なんで薪割りなんかしてんだ?」
訝る表情を向けていらっしゃいましたが、今それを話す訳にはまいりません。順番と言うものがありますからね。
「それも含めてお話を聞いて頂きます」
そして私は話しました。マサト殿がどのような戦いをして相手を葬ったのか、何故、殿下が薪割りをしていらっしゃるのかを。
「な、なんだよそりゃ?! あいつはライルを失望させたのかっ! こうしちゃ居らんねえ! 俺は直ぐにライル――」
「行っても無駄ですよ。殿下のお気持ちは、今はどうにも成りませんでしょうから」
「で、でもよ――!」
「落ち着くのじゃフェリス。ローリーの言うとおり今行ってもどうにもならぬ。それよりも、何故マサトが変わってしまったのか、じゃ」
流石、アイシン様です。傷心の殿下には少し時間が必要なのを、良く分かっていらっしゃいます。
「わらわもそれが気に成る」
「そうですよ。あのマサトさんが……」
「あたしが悪いんだわ……。あんな事言ったから……」
リエル殿が顔を俯けて泣き出してしまいました。しかし、何故泣くのでしょう? マサト殿はリエル殿の事が無くても動いた筈でしょうから。
「リ、リエルさんの所為じゃないですよ! マサトさんはきっとあの事が無くても同じ事をしたはずですから!」
ほう、これはこれは……。
「そうだ、ローザの言うとおりだ、リエルの所為ではない」
やはり皆さんは分かってらっしゃいますね。
「どうだかな。あいつはそういう性格だったのかもしんねえぞ」
陛下だけはあの事を根に持ってらっしゃる様ですねえ。
「なんじゃと? おぬし、マサトを信じられぬのか?!」
「どうやって信じろってんだよ。訳も話さねえ奴の事をよ。しかも、帰れ、とまで言ったんだぞ? そんな奴をどうして信じられるのか、俺はそっちの方が不思議でしょうがないぜ」
「話せぬ訳が有るとは考えぬのか! この、たわけ者め!」
「何だと?! 言うに事欠いてたわけって何だ! たわけって!」
これは不味いですね。このままでは纏まるものも纏まらなくなってしまいます。
「その事ですが、陛下はあの時何故、話せない訳を聞かなかったのですか?」
陛下はあの性格ですから、聞く、と言う所まで頭が回らなかったとは思います。ですが、何故他の皆さんも聞かなかったのか、今になって思えば不思議なのです。尤も、あの時は陛下が酷く怒ってらっしゃいましたから、聞くに聞けなかった、と言うのがその理由だとは思いますが、それでもアイシン様でしたら聞こうとした筈なのですが……。
「そ、それは……。だ、だってよ! ライルを出すなんて言われちゃあ、怒るなって方が無理ってもんだぜ!」
「では、マサト殿は何の勝算も無しに、殿下を出す、などと言ったと思ってらっしゃる訳ですね?」
「そ、そうだ! 思い付きで言ったに決まってやがる!」
流石は細かい事を考えるのが苦手なだけはありますね。
まったく、陛下はこれだから駄目なのです。
「他の方はどうです?」
話を振ると、皆さん押し黙ってしまいました。
なるほど、陛下と同じ様な事を少なからず思っていたと言う事ですか。
「それでは質問を変えましょう。私の話を聞いて気が付いた事は御座いませんか?」
これに気が付いていただければ、面倒な話をしなくても良いのですが……。
「それが何だってんだよ? 力で押し切ったってだけじゃねえか。別におかしくはねえだろ?」
陛下は放って置いた方が良さそうですねえ。
「わたしはマサトさんらしくない、と思います」
「そうじゃの、それはワシも思っておった」
「うむ、マサトは滅多に火は使わないからな」
この三人は良く見えていますね。
「ちょっといい?」
「何でしょうか、リエル殿」
「あたしね、すっごい不思議なの。マサトくんは愛剣を持っていたのに、何で使わなかったのかが。それに、風魔法を一切使わないのも変だし……」
リエル殿は悪魔族なだけあって、聞いた話を精査して、的確な答えを返してくれました。
しかし、陛下が一番駄目なのが露見してしまいましたか。私共の長としては失格ですねえ。
「んだよ。その目は」
表情に出てしまっていた様ですね。
「陛下は何も見えていらっしゃらないのだな、と思いまして」
思わず私は溜息を付いてしまいました。
まあ、表情にも出してしまいましたし、別に構わないでしょう。
「な、何んだよ! その残念な奴を見る目は!」
「事実じゃしのう」
「ですねえ」
「だな」
「あたしからは何とも……」
おや、これには皆さんも同意見ですか。
「お、おめえら、俺に喧嘩売ってんのかよ!」
これだから陛下は何時まで立っても駄目なのですよ。
「喧嘩をするならば、一人でどうぞ」
「ひ、一人で喧嘩なんか出来る訳ねえだろっ!」
「おや、これくらいは分かるのですね」
「ばっ、馬鹿にすんじゃねえ!」
「やはりばれましたか」
「ぶっ飛ばされてえのか、てめえは」
目が据わってしまいましたか。これは少々遣り過ぎてしまった様ですね。
「それは後に取って置いてください」
「逃げるのかよ?」
「逃げませんよ? 後にしてください、とお願いしたのです」
「その言葉、忘れんじゃねえぞ」
これでやっと話が進められますね。
「それでなのですが、マサト殿が何故、風魔法を使わず、火魔法を使ったのか、分かりますか?」
「むう……。そこがワシにも分からぬ。何故マサトは火魔法を使い、剰え相手を爆殺なぞしよったのじゃ。ローリーの話を聞く限り、風魔法を使った方が楽じゃったろうに」
「そうなんですよね。何で得意な魔法を使わないのか、そこが分かりません」
「火魔法を使い、残虐に殺す……。む、もしやマサトは――」
「キシュアちゃんは何か分かったの?」
キシュア殿は私に追い付いた様ですね。このまま説明して頂きましょう。
「うむ、わらわがオスクォルを所持しておるのは、皆も知っておろう?」
オスクォルですか。なるほど、それで気が付いたのですね。
「何時、誰が、どの様な方法で作ったのかは定かではないが、作られたのは遥か昔、神代の時代と呼ばれる時まで遡る、と言われておる物なのだ。そしてその時代に、この世界を二分する戦いが起こった。滅ぼす者と抗う者達の。その、世界を滅ぼさんとした者は、炎を操る魔神だったと言われておる。ここまで話せば分かると思うが、どうだ?」
上出来ですね。そこに辿り着けば、後はマサト殿が何を考えているかを探るだけです。このまま皆さんに話を続けて頂きましょう。
「でも、何でそんな真似をマサトくんがする必要あるの?」
「キシュアの話は創世の神話の事なのは皆も知っておろう?」
私も知ってますよ。特にその中にある、魔神との戦いの件は好きですからね。
「そこの中に、この世界を滅ぼさんとした炎の魔神に果敢に戦いを挑んだ、精霊と亜人種、そして人族の話があるじゃろ? 人族は戦いを有利に進める為に知恵を使い作戦を練り、亜人種は前に出て勇猛果敢に戦い、精霊は両種族に力を貸した。そして、その戦いの先頭に立って居ったのが水精霊の女王、ウンディーネ様じゃ。まあ、火の反対属性じゃし、当然と言えば当然じゃな。そしてその戦いは、ウンディーネ様と共にその加護を受けた亜人種が勝利を収めたが、炎の魔神を完全には倒す事は出来なんだ。じゃからウンディーネ様は、魔神が再び復活出来ぬよう封印を施す為、共に何処かへと行かれてしまわれた。故に、デュナルモの水精霊王の地位は空席なのじゃ、と伝わっておる。じゃが、重要なのはそこではなく、ウンディーネ様と共に戦ったのが亜人種、と言う事なのじゃ」
いいですね。核心に迫ってきましたね。
「どういう事なんですか? 何故、亜人種とウンディーネ様が共に戦った事が重要なんです?」
「ローザちゃん、それはね、この国に照らし合わせてみれば分かると思う」
「なるほどな」
「俺はちっとも分かんねえぞ」
皆さんの顔が呆れてますよ、陛下。まあ、私も同じですが。
「マサトに言わせれば、確か、脳筋? じゃったか? まあ、そのフェリスは仕方ないとして、ローリーよ。おぬしはまさか、単独でここまで考え至ったのではなかろうな?」
「てめっ! 暗に俺を馬鹿だって言ってんだろ?!」
これくらいは気が付くのですねえ、陛下も。
しかし、アイシン様は鋭いですね。これは私も話さなければ成らない様です。
それにしても「無視すんじゃねえ!」とか、陛下は煩いですよ。
「正確には、別方面から検証していてそこに至ったのですが。でもまあ、概ね皆さんと同じですよ。最初は分かりませんでしたから。ですが、今はマサト殿の意図を探らねばなりませんし、何よりも殿下の笑顔を取り戻さねばなりませんから。そこで皆さんにも気付いて頂こうと思った次第です」
「だーかーらー、無視すんじゃねえよ!」
ほんと、煩いですねえ。
「陛下、分からないのでしたら黙っていて下さい。話が進みませんので」
「う……」
これで陛下は大人しくなるでしょう。
「なるほどの。して、マサトの意図とは何じゃ?」
「焦らないでください。その前に考える事がありますから」
私もまだマサト殿の意図が分からないのですから、ここからが本番です。
「今、この国には亜人種が居ませんよね? これが何を意味するか分かりますか? 陛下を除いて」
おや? 陛下が机に指で丸を書いてますね? 何か意味が有るのでしょうか?
「フェリスさんがマサトさんみたいになってますけど、いいんですか?」
ああ、そう言う事ですか。
「構いません。邪魔ですから」
「あら?」
「酷いな」
「容赦ないのね」
陛下が突っ伏して泣いてしまいました。でもまあ、問題ないですね。
「鬱陶しいのう……」
「今は気にしないで下さい。そうそう、確かこの場合は、気にしたら負け、でしたか」
そうです。負けてしまうのです。今は陛下に負ける訳にはいかないのですから。
「ローリーは何に勝つ心算なんじゃ……」
「この空気、じゃないですか?」
「そうだな、空気だな」
「フェリスちゃんは空気なのね!」
「止めを刺してどうするのじゃ。机の下に潜り込んでしまったではないか……」
リエル殿は良い仕事しますね。これでもう邪魔されずに済みます。
「先程の続きですが、分かりますか?」
「ええと、つまり、こうですね。今この国には亜人種が居ない。だから、マサトさんは炎の魔神を装っている、と。そして、炎の魔神は全てを滅ぼす心算だったから――」
「亜人種が居ないのであれば、この国を滅ぼす事は容易だ、と炎の魔神に扮している訳だな」
「でも、それじゃただの悪者だよね?」
そうです、それだけでは無い筈なのです。何処かに糸口は無いものでしょうか。
その時でした。部屋の扉を荒々しく開けて、ゴンザ殿が怒鳴り込んで来たのは。
「こんの魔獣人! おめえのお陰で食ったもん全部吐いちまったじゃねえかよ! どうしてくれんだ! 勿体ねえだろうがっ!」
私の胸倉を掴み怒りをぶつけて来ました。
「それはご愁傷様です。吐いてしまわれ……」
その時、私の脳裏に閃きが舞い降りました。
そうです! 何故こんな簡単な事を見逃していたのでしょう!
「ゴンザ殿! 有難う御座います! これで――これで、殿下の笑顔を取り戻せます!」
「お? おう、よ、よかったな?」
礼を言われたゴンザ殿は呆気に取られていました。
「何か分かったのじゃな! ローリー!」
「ええ、分かりました。マサト殿の意図が!」
これで見えていなかった物が見えましたから、動き出せます。
さて、それではこの国に嘔吐していただきますか。私達という劇薬の効果で。




