何かおかしくないか?
ヴェロン帝国が誇る巨大建造物、ヤーゲ闘技場。
それはあっちの世界の東京ドームと比べても遜色ない程の広さを持ち、しかも、階段状に備わる観客席の収容人数は最大で一万人、というデュナルモ大陸では屈指の収容能力を誇っているばかりか、膨大な手間を掛けて造形されたと見られる外観は、圧巻の一言で片付けられるものではない。
六本の尖塔を優美な曲線を描く壁で繋ぎ、その壁にも微細な彫刻や柱が彫り込まれ、壁面には一切の平面が存在せず、唯一存在する平面は、各所に配された明り取り用のステンドグラスだけ。しかも、一種の祭事場の様な雰囲気さえ漂わせ、その外観からは、闘技場、と言う血生臭い匂いを醸し出さず、美術的価値の高い建造物としか見えない。それで居て内部は綺麗な楕円形に形作られ、一度観客席に立てば、ここが闘技場だ、と言う事が一目で分かる造りなのだ。
昨日それを見聞した時の俺は心底驚き、暫く立ち竦んで見入ってしまい、芸術的センスや美的感覚は、あっちの世界にも勝るとも劣らないどころか、寧ろこっちの世界の方が遥かに上かもしれないと、そう思ってしまったくらいだ。
そして、この大会に参加した者の数は、今回、総勢百人を超えているらしい。
尤もその大半がこの国の騎士団の者達、と聞かされれば、日頃の鍛錬の成果を皇帝に見せる意味合いが強い。
但し、俺の場合は招待者、という位置付けなので、スポーツで言えば招待選手みたいな立場に置かれている。
この招待、と言うのが少々厄介で、破竜騎士団団員の誰かの推薦が無ければ、この枠に収まる事が出来ないらしいのだ。そしてそれは、破竜騎士団並みの実力を認められた、と言う事にもなるらしい。
そうなると無様な戦いを行う事が出来ず、確実に上位に食い込まなければ、推薦した者の面子をも潰す事になるので、俺としては少々遣り辛い。
ただ、悪い面ばかりでもない。
面倒な予選無しに本戦からの出場が可能な為、予選日である初日の戦闘が無いのだ。しかし、開幕式には出なければ成らず、闘技場会場内で、俺は一人でポツンと佇んでいた。
何故一人で佇んで居るのか、と言うと、俺の周りに誰も近付こうとしないからだ。
その理由は二つ。
各参加者毎に分けられたプラカードを掲げられているのだが、俺の所に書かれている文字が、招待者、と成っている為なのと、それを持つ女性の殆どがメイドさんなのに対して、俺の前に居る女性だけが、どういう訳がビキニアーマーという、素晴らしくおかしい出で立ちだからだ。
金髪の縦カールに、性格を表すように釣り上がった目尻と青い瞳、少し高めの鼻に薄めの唇には真っ赤な口紅が引かれ、首から下のラインは、当然の如く丸分かり。しかも、腰は折れそうなほど細いのに出る所はしっかりと出ているので、その衣装と相俟って凄まじく扇情的だったりする。
要するに、目の毒、と言うやつだな。
だが男としては非常に嬉しい。目の前に、こんなに美人でエロい女性が居るのだから。
しかしだ! 声を大にして言いたい!
目立ち過ぎだろ、あんた!
「どうして卿はそんな渋い顔をしているのです。皇女たる私がこの様な勇ましい姿をしているというのに、何か不満でもあるのですか?」
しかもこの変態が皇女殿下とか、悪い冗談にも程が有る。
「お言葉ですが皇女殿下、そのお姿は勇ましいというより、少々露出が過ぎると思うのですが……」
どう見てもメタルビキニにしか見えない。それも、かなり布地、というか、金属部分が少なく、少しでもずれれば見えてしまいそうだ。
ってか、ずれろ。
だがしかし、この変態はあろう事か、とんでもない事を口走った。
「この身に突き刺さる視線が良いのです!」
しかも、恍惚とした表情まで浮かべ、身をくねらせ始める始末。
駄目だこの人……。
残念なものを見る目を送っていると、睨まれてしまった。
「何ですかその目は」
「す、済みません!」
「気持ち良くなってしまうではありませんか!」
本当に駄目な人だ……。
何て勿体無い美人なんだ、と俺が目を伏せて溜息を付いた所に、声が掛かる。
「調子はどうだ?」
振り向くと其処には、漆黒の鎧を纏い、長大な剣を背に純白のマントを羽織った、破竜騎士団団長様が立っていた。
この人、何時の間に背後に来たんだ? 全然気が付かなかったぞ?!
ただ、そんな驚きは、おくびにも出す訳にはいかない。
「可もなく不可もなくってとこですね」
「それは重畳。ハザマ殿に勝ち残ってもらわねば、俺の楽しみが激減するからな」
不適な笑みを浮かべる。
「ところで、昨晩も説明を受けましたが、本当に全力でやってもいいんですか?」
「問題ない。この闘技場は我等が一族の秘術を使い、死者が出ぬ様にしてあるからな。それに、もし万が一、瀕死の重傷を負ったとしても、優秀な治療師が多数控えて居るから一命は取り留められる。しかも、大規模魔法障壁を三重に張り巡らせてある故、観客に攻撃が届く事も無い」
昨日の夜、俺が受けた説明は、団長さんが今言った様に、余程の事が無い限り、この闘技場内では死者が出ない事と、観客に被害が及ぶ事はない、と言う事だった。
ただ、何故死者が出ないのか、と言う質問には一切答えてもらえなかったが、天族にはその一族にしか伝わらない秘術、と言われる魔法が有り、竜族のそれは、死を回避する、という物だ、と言う事だった。
だが、問題が無い訳ではない。受けた攻撃の痛みまで消す事は出来ないそうで、その所為で発狂し掛ける者も居るらしく、そういった場合に備えて、複数の治療師が必ず控えているらしい。
「それにしても……」
団長さんは眉根に皺を寄せて、皇女殿下へ目線を送っている。
「イグリード。私に何か言いたい事が有るのならば、はっきりと言いなさい」
流石は皇女殿下、団長さんの前でも臆する気配が微塵も感じられない。それどころか胸を張るものだから、揺れる揺れる。
うーむ、これは眼福でいいのだろうか。
「流石にこの場でそのお姿は、如何なものかと……」
そうだよなあ、と俺が頷き掛けた時、
「何を言うのです! これはイグリードが教えてくれたのではありませんか!」
思わず驚愕に目を見開き、団長さんに視線を突き立ててしまった。
「まさか、本当に……」
「ハザマ殿は何が言いたい」
物凄い威圧感を伴う視線を返され、それ以上の言及を俺は、思い止まった。
「いや、止めておきます。泥試合になりそうなので」
「賢明な判断だな」
団長さんがスッと手を差し出して来たので、がっちりと握り合う。
うん、男同士、協定は必要だよね。
「ちょっと、お二人とも! 私を――」
皇女殿下の言葉を遮り、司会者と思しき者の声が闘技場内に木霊した。
「これより第五十回、ヴェロン帝国武道大会を開催いたします! まず初めに、皇帝陛下より御言葉を頂戴いたします!」
これには皇女殿下も姿勢を正し前を向き、俺達も姿勢を正して観客席中段に設けられた貴賓席に注目すると、皇帝陛下が前へと出て来る。
その姿に観客と出場者は一斉に歓声を上げ、それは闘技場内を駆け巡り、巨大な渦となって空へと上って行った。そして、皇帝陛下がゆっくりと手を上げると、猛る歓声が嘘の様に消え、この場を静寂が支配した。
「毎年開催しておる武道大会も今年で五十回の節目を向かえた! そして、此度は今まで以上の参加を受けて、最高の盛り上がりを見せておる事に、余は非常に嬉しく思う! 日頃の鍛錬の成果を存分に発揮し、各人、悔いの残らぬ様、全力を尽くしてくれたまえ! だが、ここで一つ、皆に伝えておかねば成らぬ事がある! 節目を迎えた今回! 優勝者には、破竜騎士団団長、イグリード・オラスと剣を交える栄誉を授ける! 皆の者! 至高なる剣、得と味わう機会ぞ! この機を逃さず優勝を目指し、雌雄を決せよ! 諸君等の健闘を祈る!」
そして、皇帝陛下が高々と手を上げると、再び場内に割れんばかりの歓声が渦巻き、次第に皇帝陛下を称賛する声へと変わっていった。
その熱気に当てられた俺は、思わず呟いていた。
「陛下の人気は凄いな……」
「うむ、俺が知る限りの過去の陛下と比べても、今のあの陛下以上の者はおらん」
眩しさを声音に乗せたその声を聞き、俺はフッと思い出した。
そういえば、団長さんは竜族だったっけ。一体、幾代の陛下を看取って来たんだろうか……。
気遣いの目線を送ったが、彼の口元には、微かに笑みが浮かんでいた。
「気を使わんでくれ。寿命だけはどうにも成らん事だからな」
そう言った団長さんは、少しだけ、寂しげな気配を漂わせていた。
その後、注意事項とも言えない様な注意事項――死なないから思いっきりやれとか――を聞かされた後、開幕式は閉会へと向かった。
「これより予選を執り行います! 出場者以外は控えの間へお戻りください! 尚、明日の本戦から出場する者は、本日はこれで終了となります。なので、各自、体調管理を怠らぬようにしてください! これにて開幕の儀、終了いたします!」
招待枠の俺は、今日はこれで終わりだ。予選を見学するなり、街へ出るなり自由な訳だが、敢えて用意された部屋に戻る事にする。
その旨を団長さんに告げて別れ、足を城へと向けたのだが、何故か恥ずかしい格好の人も着いて来ている。
「待ちなさい! 何処へ行くのです!」
集まる視線が凄く痛いから、大声で叫ばないで欲しいんですが。
しかし、皇女殿下を無碍に扱う事も出来ず、俺は溜息を付いて足を止めると、振り向いた。
「用意して頂いた部屋へ戻るんですよ。今日はもう出番は有りませんからね」
「では、私に付き合いなさい」
何故に?
俺は呆けた。
「さあ、行きますわよ」
呆ける俺の腕に自分の腕を絡めると、強引に引っ張り始めた。
「あ、あの――」
「却下です」
まだ何も言ってねえのに却下なのかよ!
「その――」
「お黙りなさい!」
胸が当たってるんですけど!
黙れ、と言われた為、心の中で叫んだが、それが聞こえる筈は無く、気持ち良い感触を腕に感じながら、引かれるままに着いて行く。そして、連れて行かれた先は、あろう事か貴賓席だった。
「陛下、連れてまいりましたわ」
「うむ、済まぬなナシアス」
「これくらいお安い御用ですわ」
「さあ、二人とも、座るが良い」
「では、お言葉に甘えて」
皇女殿下に引かれて俺は椅子に押し込まれたのだが、何を考えているのか、彼女は俺の膝の上に座った。
何この役得?! いい匂いがするよ! いっぱい吸い込んで――って、違う! そうじゃなくて! なんでそこに座るんだよ!
「ナシアス、お前は何処に座っておる。それでは卿が試合を見れぬではないか」
「二人で共に座れと、陛下が仰ったではありませんか」
そんな事言ってねえってば!
「共に座れとは言っておらぬ」
そうそう、言ってませんよね。
「しかし、この方と離れるな、と仰った筈ですが?」
それって、傍に居ろって意味なんじゃ……。
「確かに離れるな、とは言ったが、くっ付け、とは言うておらんぞ」
「では、私が行き遅れても良い、と?」
何言ってんだ、この駄目皇女は……。
「そなたの婿に相応しいかどうかは余が判断する事であって、そなたが判断する事ではない」
え? それって、ドユコトデスカ?
呆ける俺を尻目に、二人の会話は尚も続いた。
「私の気持ちなど、どうでも良い、と?」
「そうは言っておらぬ。ただ、帝国を背負って経つ器が無ければ、婿として認められんと言っておるのだ」
「ですが、この方は、私に熱い眼差しを注いでおりましたわ」
「そうなのか?」
「それはもう、この身が火照るほどに」
皇帝陛下の視線が俺に突き刺さる。
しかし、それは誤解だ。誤解は早いうちに解くに限ると、俺の心が叫んでいる。そして、俺が口を開こうとした時、会場から悲鳴が上がった。
「む、何事ぞ?」
「あちらで胴を断ち切られた者が出た様です」
御付の人の指し示す方へ何とか顔を向けると、地面から光の奔流が迸り、激しく舞う光景が飛び込んできた。
「あれは……」
「これであの者は問題ないな」
皇帝陛下の一言の後、光が収まると、そこには、無傷の男が一人、横たわっていた。
これが竜族に伝わる秘術か。なんて厄介な……。
「卿も驚いたと見受ける。これが我が国が誇る闘技場の仕掛けだ。肉体が一瞬で消滅しない限り、死ぬ事など無い、というな」
口元に笑みを湛えて言う皇帝陛下の言葉は、驚愕に目を見開く俺に更なる衝撃を与え、待ち受ける困難を実感させた。
だけど俺は諦めない。ライルの為にも、この国の亜人達の為にも、そして何より、リエルの為に必ず成功させてみせる!
そう心の中で、誓うのだった。