常識VS非常識
マリエが来た翌日、俺達の仕事を知ってもらおうと、ゴンさんに頼んでギルドへと依頼を取りに行ってもらい、早速とばかりに全員で出発をした。
まあ、全員で行くと過剰戦力も良い所なのだが、彼女に俺達の実力を見せるにはいいだろうと言う事で、半分はピクニック気分で弁当を持ち出向いたのだが、目的地の森へと着いてから、依頼内容を聞いていない事を思い出して、彼に聞くと、
「ん? 三頭犬の討伐依頼だ。被害はないそうだが、ここ最近、見かける頻度が多いらしくてな、それで緊急で出たらしいんだよ。一級以上のパーティー限定でな」
それを聞いて、俺は呆然としてしまった。
何故か。
その依頼を熟す、と言う事は、フェリスの眷属を殺す、と言う事であり、その夫である俺も三頭犬は眷属――と言うより半分ペット――の魔獣なので、最早殺す訳にはいかない。
その事はゴンさんにも散々話した筈で、その事を問い詰めると、
「そいやあ、そうだったな」
笑って誤魔化していた。
どうやら今の今まで忘れていた様だ。
ただ、聞かなかった俺も悪かったのだが、依頼内容を話さなかったゴンさんにも落ち度は有る。せめて宿屋で内容を聞いていれば、まだキャンセルをしても違約金は発生しなかったのだが、帝都の外へ出てしまってはもう遅い。
何故遅いのか、と言うと、依頼を受けた冒険者は、今現在滞在している場所から出る時に、門の所で警備をする衛兵に依頼書を見せ、それを確認した衛兵からギルドへと連絡が行く仕組みになっているからだ。
商隊護衛などの長期の依頼の場合を除き、殆どは当日のうちに報告が可能なので、もし、帰って来なかった場合は、直ぐに救援を送れるようにする為に考えられた物でもある。
最も、当日のうちに帰らない場合などは、その旨を伝えておく必要が有ったりとか、急に予定変更をする場合などは、どうにかして連絡をしなければならない等、少々面倒なシステムでもある。
その様な理由もあって、出てしまった時点で通常はキャンセル出来ず、それでももし、キャンセルをするのならば、討伐を失敗した場合と同様に扱われるので違約金が発生してしまう。しかも、その違約金の額は、達成報酬の二倍の金額を払わなければならない為、普通はそうならない様に、慎重に選ぶのが常であり、その事は冒険者の間では常識、と聞いていた
「で、今回の討伐証明は何を持って帰ればいいんだ?」
討伐証明とは、依頼で倒した魔物や魔獣の一部、あるいは、それに類する物を持ち帰り証拠とするのだが、この持ち帰り制度も少々厄介で、指定が有ったり無かったりするのだ。ただ、指定が無ければ、爪や体毛などでも良く、それならキャンセルをする必要も無いのだが、場合によっては体の一部を指定される時もあるので、そうなると如何ともし難い。
「頭を持ち帰ればいいんだとよ。その為の袋も渡されたしな」
ほれ、とその袋を掲げる。
今回は部位指定で、しかも頭部とくれば、これはもうこの時点ですでにアウト。頭部を持ち帰る、と言う事は、確実に倒さなければならないので、討伐など以ての外だ。
「その依頼、キャンセルだなあ……」
「何でだよ? 一匹くらい――」
「俺の目の前で殺ってみろ。ゴンも同じ目に合わすぞ」
フェリスに凄まれ、ゴンさんは冷汗を掻いていた。
「って事で、違約金はゴンさん宜しくね」
ニタリと笑い、全ての責任を押し付ける。
俺もワルだねえ。
「な、なんで俺が――!」
「忘れておったゴンが悪い」
「う……」
キシュアにまで言われてしまっては彼もお終いだ。それに、今回の件はたぶん、ここに居る誰に聞いても自業自得、と言われるのが落ちだろう。
「話は聞いて分かったが、しかし、本当に討伐をしなくても良いのか?」
マリエがそんな事を聞いてきた。
これはちょっと言い難い事なのだが、今後の事もあるので教えて置かなければいけない。
「ああ、問題ない。というか、俺とフェリスがここに居る時点で、襲われる事は有り得ないからな。それに、集まってる三頭犬達は、俺達が居るから集まっただけだし……」
何ともはた迷惑は話ではあるが、急に増えた理由が俺達の所為だとは、このメンバー以外には口が裂けても言えなかった。
「何と常識外れのパーティーなのだ……」
呆れ果てた表情でマリエは俺達を眺めた。
御尤もな感想で御座いますな。
「まあ、常識外れって意味じゃ、俺達の中で、回復魔法を使えるのが誰も居ないってのも凄いけどな」
妻達の中で回復魔法が使えるのは、今ここには居ないアルシェだけだ。だが、マリエは平然とそんな事を口にした俺に酷く驚いていた。
「そ、そ、そうなのか?!」
「うむ、誰も使えぬ」
「そうね。使えないわね」
「んなもん、いらねえよ」
皆も異口同音に発しているが、マリエにしてみれば回復魔法の使い手が居ない、と言うのはかなりショックな様で、皆の答えを聞いて、愕然としていた。
「で、で、では、怪我をした時などは……」
「殺られる前に殺れ、だしなあ……」
「そ、そうではなくてだな!」
あれ? 違うの?
「ん? 普通の怪我、かの?」
その通り、と言わんばかりに首を何度も振っている。
「ふむ……」
そしてウェスラはそのまま考え込んでしまった。
冒険者という職業はその仕事柄、常に怪我が付き物ではあるが、何も怪我をするのは討伐時、とも限らない。探索中に怪我を負う事も有るだろうし、場合によっては猟師が仕掛けた罠に嵌る可能性だってある。
要するにマリエに言わせれば、常に危険と隣り合わせの仕事なのに、回復魔法の使い手が居ない方がおかしい、と言う事の様だ。
「そ、それでは、回復薬の類は……」
「俺持って無い」
「ワシは一応持っておる」
「わらわ無くとも問題は無い」
「わたしも持って無いですね」
「あたしは持ってるよー」
「俺はそんなのいらねえ」
『ワン!』
「俺は持ってんぞ。ってかよ、普通は常備する物じゃねえのか?」
回復薬に関しては、ゴンさんの言っている事が正しい。回復魔法の使い手が居る居ないに関わらず、回復薬の類は各個人で常備するのは常識で、それを持っていない時点で、そもそも常識が無いと言わざるを得ない。
最もキシュアが持たないのは種族特性に因るものだし、ローザとフェリスの場合は罠を見抜く嗅覚が抜群なのと、種族特有の身のこなしで怪我とは無縁に近いからだ。
「ここまで常識が無いとは……」
余りも想定外の事態に、マリエは酷く肩を落としてしまった様だが、俺からすれば、回復薬だとか、回復魔法などという物は、あっちの世界では無かったので、非常識だ、と言われても、今一ピンと来ない。
「そう言えばさ、回復薬って、種類あるの?」
「そこかっ! そこからなのかっ!」
行き成り胸倉を掴まれて前後に激しく揺られ、頭と体をシェイクされた俺は、嘗て小鬼を退散させたあの、究極の武器を創造してしまいそうになった。
こ、このままでは……。
「お、落ち着くのじゃ! マサトにその様な事を求めてはいかん!」
「そ、そうだ! マサトは馬鹿ではないが馬鹿なのだ!」
「そうですよ! マサトさんはお間抜けさんなんですからっ!」
「え? マサトくんって馬鹿で間抜けだったの?」
「いや、両方とも合ってるんだけどよ。なんつうか、頭の回転がいいアホ? って感じでよう……」
「俺はそんなにの負けたのかよ……」
荒ぶるマリエをウェスラとキシュア、ローザの三人が何とか落ち着かせ、余りにも酷い言われように、俺は蹲り酷く落ち込んでしまったが、その事は見て見ぬ振りを決め込んだ様だった。
な、何も皆してそこまで言わなくても……。シクシク……。
「す、済まない。余りにも常識が無さ過ぎて、つい、取り乱してしまった……」
マリエはウェスラ達に対してしきりに頭を下げているが、本来、謝るべき相手は俺の筈。だが、その対象の俺は、絶賛落ち込み中なので、彼女が謝る意味は無いのかもしれない。
お、俺なんて――俺なんて――。シクシク……。
「――しかし」
「やはり分かるか」
「ああ……。なんだ、あの鬱陶しいのは……」
鬱陶しいと言うのは多分、俺の事なのだろうが、そんな事はお構い無しに、瘴気にも似たどんよりとした空気を撒き散らしていく。
「何とか成らんのか? あれ」
「そうじゃのう……。まあ、成らん事もないの」
二人のそんな会話は届いていたものの、落ち込むのに忙しい俺は気にも留めて居なかったが、そんな時、ふわり、と嗅ぎ慣れた甘い香りが漂うと、行き成り抱きすくめられた。
「何時まで落ち込んで居るのじゃ。そんな事ではワシの夫は務まらぬぞ?」
柔らかい感触と暖かい声、その二つで抱かれて徐々に気持ちが浮揚していく。
「まったく、マサトは世話が掛かる」
そして背後からは別の香りと暖かな温もり。
「出来の悪い弟みたいですよね」
隣には太陽の様な温かみを感じさせる笑顔。
「ったく、手間掛けさせんじゃねえよ」
半分呆れたような、それで居て嬉しそうな声音。
「まだまだ、甘えたい年頃なのね、マサトくんは」
また、ふわり、と漂う香り。
そして――、
「元気の出るお呪いじゃ」
ウェスラの唇が俺のそれと重なった。
「ならば、わらわも」
「それなら、わたしも、ですね」
「んじゃ、俺もだな」
「あたしもしなくちゃいけない、かな?」
次々と唇が重なり、その度に温もりを渡され、俺の心は元へと帰っていく。
「流石はハーレム王だな。見てるこっちがこっ恥ずかしくていけねえ」
ゴンさんはそっぽを向いて顔を赤らめながら、頬を掻いていた。
しかし、マリエだけが俯き、体を振るわせている。その様を不思議に思っていると、
「き、き、き、貴殿等は……、恥という物を知らんのかああああっ!」
吼え喚き、上げたその顔は、真っ赤な夕日の様だった。
*
あの後、更にマリエが荒ぶり、剣まで抜いて大暴れを始めてしまい、それを宥めるのにまた時間を取られてしまったが、何とか収拾を付けると、ウェスラが俺の肩に手を置き、唐突に話し始めた。
「先ほどの話の続きじゃが、このたわけが回復薬を持っておらぬのには、訳があるのじゃよ」
「訳?」
訝るマリエに、ウェスラが頷く。
たわけって何だ、たわけって。
「呆れた事にのう、つい最近、魔法障壁なんぞを張る事を覚えよってのう」
少しだけ目を細めて遠くを見詰める。
「え?」
マリエは言われた意味が分からない、とでも言った感じで呆けた表情を俺に向けた。
「まあ、信じられぬのも無理はないの。なんせ、ワシとて最初は信じられなかったのじゃから。じゃがの、実の所このたわけは、冒険者に成り立ての頃は怪我ばかりしておってな、その都度、回復魔法の世話に成っておったのじゃ。それがある日、魔獣は魔法障壁を纏っている事を思い出しよったらしくてな、魔獣に出来て自分に出来ぬ筈が無い! と、ほざきよったのじゃよ」
「理屈では確かにそうだが……しかし、実際に出来るかと言われれば、出来た者など――」
俺を見るマリエの呆れ顔は、益々濃くなって行く。
なんだよ?
「ワシもそう言ったのじゃがのう、マリエも知っての通りこのたわけには常識論が通じぬのじゃ。しかも、ワシ等の中にはもう一人、通じぬ者が居ってな?」
そう言ってフェリスに視線を送った。
「ん? なんだ?」
フェリスは怪訝な表情を見せて首を傾げる。
「彼女がそのもう一人、なのか?」
「うむ、フェリスは亜人とはちと違うのでの、若干ずれておるのじゃよ」
確かに彼女の場合は厳密に言えば亜人ではない。元がフェンリルなので、魔獣に近い存在だからだ。
「まあ、そんな訳でな、どうやったら張れるか聞いた様なのじゃが、満足した答えが得られなかった様での、次に何をしたと思うか分かるかの?」
分かるか、と聞かれ、マリエは眉根に皺を寄せ暫く考え込んでいた様だったが、溜息を付きながら首を左右に振った。
「三頭犬に聞くと言って、飛び出して行きよったのじゃよ」
「はああ?!」
信じられない、といった表情を俺に向けた挙句、更に言葉にまでそれを出した。
「幾らなんでも魔獣に聞くとは……。貴殿が可哀相な人に見えて来たぞ……」
幾らなんでもそれは酷くないか?
「だって、誰も知らないし、フェリスの話じゃ要領を得ないし、そうなればローリー教授に聞くしかないじゃないか」
「ろーりー教授とは誰だ?」
訝る表情になったマリエがウェスラの方へ顔を向けて聞くと、彼女は溜息を付きながら答えた。
「このたわけにはな、どういう訳か懐いておる三頭犬が居ってのう」
「じゃ、じゃあ、ローリー教授とは、ま、まさか……!」
マリエが愕然とした顔を俺に戻した。
「うむ、教えを乞うた三頭犬の名じゃ」
そして、両手両膝を地面に落として、がっくりと肩を落としてしまった。
「わ、私の夫となる者が、ここまで常識から外れていようとは……」
敗北に打ちひしがれた様なマリエから目線を逸らして、ウェスラ達に目を向けると、フェリス以外が納得した表情で何度も頷いていた。
俺は変人かよっ!




