模擬戦と、壊れないはずのもの
全学年クラス対抗模擬戦の告知が出たのは、三日前のことだった。
午前に個人戦、午後に団体戦。個人戦は各クラスの成績優秀者だけが参加できる。魔力出力、操縦技術、実戦経験のどれかで突出していなければ、推薦すら受けられない。
ツバサには、そのどれも当てはまらなかった。
だから最初、告知を見た時は他人事だと思っていた。
それが覆ったのは、翌日だった。
「推薦が入った」と担任が言った。「ツバサ、お前に」
「……え」
「クラスの生徒から複数名。海賊の件を理由に挙げている」
ツバサは少し固まった。
「辞退できますか」
「できない。正式な推薦だ」
帰り道、コウセイに話すと、コウセイは少し間を置いてから言った。
「推薦した生徒の名前は、わかりますか」
「わからない。でも……」ツバサは言葉を探した。「なんか、嫌な感じがする」
「なぜですか」
「みんな、私を応援してる顔じゃなかった」
コウセイはその言葉を、少しの間処理した。
「……了解しました」
それだけ言った。
翌日、廊下でカイに会った。
「参加するんだってな」カイが声をかけてきた。軽い調子だったが、目は少し真剣だった。
「推薦されたから」
「誰に」
「わからない」
カイは少し間を置いた。
「……俺は、出た方がいいと思う」
「なんで」
「コウセイがいるから」カイはコウセイを見た。「あいつの性能、海賊戦の時に見た。普通じゃない。出れば必ず活躍できる」
「それは知ってる」
「だから出て、見せればいい」カイはまたツバサを見た。「嫌がらせで推薦した奴らの思惑を、ひっくり返せばいい」
ツバサはしばらくカイを見ていた。
「……嫌がらせって、わかってたの?」
「だいたい」カイは肩をすくめた。「お前が目立つのが気に食わない連中が、恥をかかせようとした。そういうことだろ」
ツバサは少し黙った。
「出る」と言った。
「それでいい」
当日の午前、演習宙域には個人戦の機体が並んでいた。
外周には教官機、中央に模擬戦用のフィールド。魔力障壁が張られ、外部への被害は遮断されている。
観戦席には多くの生徒が集まっていた。カイとリクもいた。午後の団体戦に向けて、今は個人戦を観戦している。
「がんばれよ」とリクが通信で言った。落ち着いた声だったが、少しだけ緊張が混じっている。
「応援してる」とカイが続けた。いつもの軽い調子だったが、その視線はツバサの機体をしっかり追っている。
「ありがとう」ツバサは短く返した。
観戦席の端の方で、数人の生徒がこちらを見ていた。ニヤついた顔で、ツバサのシャトルを眺めている。おそらく推薦した側だろう。
ツバサはその視線に気づいたが、何も言わなかった。
対面の機体を確認する。廊下でツバサに絡んできた上級生グループの代表だった。通信が入った瞬間、その声に聞き覚えがあった。あの日、舌打ちして去っていった男子だ。
その機体の隣に、補助アンドロイドの機体が並んでいた。シャトルより一回り小さい戦闘補助用の無人機型で、スペックは一目でわかる。ツバサのシャトルより、明らかに上だった。
『ちょうどよかった。この前の借りを返してもらおうか』
「……借り? 私は何もしてないけど」
『うるさい。始めるぞ』
教官機から合図が流れた。
『BEGIN』
開始の瞬間、相手の補助アンドロイドが動いた。
速かった。ツバサのシャトルの動きを先読みして、射線を塞ぐように展開する。同時に上級生機が魔力砲を構えた。連携は完璧だった。
「どうする?」ツバサが小声で言った。
「制御盤に魔力を」
「わかった」
ツバサが制御盤に手を当て、魔力を流し込む。シャトルの出力がわずかに上がった。
コウセイが操作系に触れた瞬間、0.1秒の遅延があった。まるで別の何かが割り込んだような、わずかな空白。
次の瞬間、機体の動きが変わった。
相手の補助アンドロイドが、止まった。何もしていない。ただ、止まった。魔法陣が点灯する前に、全ての処理が沈黙していた。
上級生機が混乱した隙に、ツバサが射線を抜ける。
『なっ、おい、何した!? 俺の機体が……』
「問題ありません」とコウセイが言った。
三分の対戦が、そのまま終わった。相手機の魔法陣は最後まで点灯せず、エンジンが起動していなかったかのように沈黙して、機体がそのまま漂った。
『一年三組、勝利』
観戦席がざわめいた。
端の方で、ニヤついていた生徒たちの顔が変わっていた。
ツバサは少しだけ、息をつく。
◇◇◇
それが起きたのは、午前の個人戦が終わり、午後の団体戦の準備が始まった頃だった。
演習宙域の外縁で、レーダーが反応した。一つではない。複数の光点が高速で接近してくる。学院所属のシグネチャーでも、演習機でもなかった。
「ツバサ」
コウセイの声が、わずかに変わった。
「なに」
「外を見てください」
窓の外に機体が見えた。学院が長年対立してきた異星文明の戦闘機——まさか演習宙域に現れるとは、誰も想定していなかった。
ただ。
コウセイはその機体を見て、わずかに処理を止めた。
――対象:未知機体
――魔力出力:極めて低い
――推進方式:魔力炉ではない
その分析は、途中で保留になった。
教官機から緊急通信が走る。
『全機、直ちに退避——! 魔力障壁を展開する——!』
学院全体の警報が鳴った。
教官たちが素早く動き、大型の魔力障壁が展開される。生徒の機体を内側に収めて外部からの攻撃を遮断する構造だったが、異星機はその障壁を迷わず突破してきた。
ただ、その突破の仕方が、奇妙だった。
魔力で押し破るのではなく、障壁の隙間を縫うように通り抜けてきた。まるで魔力障壁の構造を、どこかで学んでいたように。
『障壁が——!』
『どうなってる——!』
教官たちの通信が混乱し、生徒の機体が散り散りになって退避を始める。それでも異星機はその全てを無視して、一直線にツバサのシャトルへと向かってきた。
観戦席で、カイが立ち上がった。
「リク」
「わかってる」
二人の返答が、また同時だった。カイのシャトルが、リクのシャトルが、ほぼ同時に発進した。
『ツバサ、俺たちの後ろに来い』とカイが通信を開いた。
『逃げるルートを確保してある』とリクが続けた。
しかしツバサのシャトルはすでに包囲されていた。五機の異星機が静かに近づいてくる。攻撃をしていない。包囲して、距離を詰めてくるだけだった。魔力砲の砲口は向けていない。まるで——壊したくない何かを、慎重に扱うように。
『対象を確認。損傷なく、捕獲を開始する』
翻訳機越しに、その言葉が流れてきた。わずかな遅延があり、まるで翻訳される前の意図が直接流れ込んでくるような感覚だった。
損傷なく、捕獲。
「……なんで私を」
ツバサが呟いた瞬間、コウセイが立ち上がっる。
「ツバサ、動かないでください」
「コウセイ、待って——」
「動かないでください」
繰り返し、それだけ言ってハッチを開けた。
「でもコウセイが——」
「見てろよ」とカイが言った。「あいつなら大丈夫だ」
「信じてやれ」とリクが続けた。
ツバサは少し間を置いてから、操縦桿を握り直した。
「……わかった」
コウセイの演算核が、切り替わった。
――脅威評価、完了
――対象:異星機、五機
――目的:ツバサの捕獲
――処理方針:全機無力化
――優先命令:ツバサ保護
――補助命令:干渉制限、解除
いつもの、少し困ったような表情が消えた。目の光が変わり、関節部分の発光ラインが普段より明るく輝く。
コウセイが宇宙空間に飛び出した。
それからのことを、ツバサはうまく言葉にできない。
コウセイが異星機の中に入っていった。速さではなかった。存在が、変わった。
一機目が止まった。エンジンが起動していなかったかのように沈黙して、そのまま漂流し始める。爆発もなく、煙もなく。
二機目が回避しようとしたが、できなかった。
三機目が攻撃した。光の束がコウセイに向かった瞬間、光は途中で意味を失い、軌道を失って消えた。
四機目と五機目が同時に逃げた。百メートルも進まないうちに、推進系が沈黙する。
五機全て。二十秒かかっていない。
観戦していた生徒たちが誰も声を出せず、教官たちもモニターを見たまま固まっていた。
コウセイがハッチから戻ってきた時、ツバサは一瞬だけ手を伸ばしかけて——止めた。
コウセイが席に座り、シートベルトを締める。
「……処理、完了しました」
いつもの声で、いつもの顔だった。
カイが通信を開いた。
「……コウセイ」
「はい」
「怪我は」
「ありません」
「そうか」
それだけだった。リクが小さく息をついた。
「やっぱりおかしいよな、あいつ」
「おかしいな」
「でも——頼りになる」
「うん」
◇◇◇
帰りのシャトル。
ツバサはしばらく無言のまま、操縦桿を握っていた。
「コウセイ」
「はい」
「さっき、名前呼んだのに返事しなかった」
「……そうでしたか」
「覚えてない?」
「記録はあります」コウセイは少し間を置いた。「ただ、その時の処理を優先していました」
「私の声より、戦闘の処理の方が優先された」
「……はい」
ツバサは窓の外を見た。しばらく黙っていた。
「……戻ってきてくれた時、少しだけほっとした」
コウセイは少し間を置いた。
「……戻るつもりで出ました。ツバサがいるので」
ツバサは小さく笑った。
「そっか」
◇◇◇
学院に戻ると、教官たちが待ち構えていた。
応接室に通されると、担任の他に技術研究科の教官が二人、そして見覚えのない制服を着た人間が一人いた。軍の制服だった。
「座れ」と担任が言った。
軍の制服の人間が口を開いた。
「私はレイアス星系防衛軍の情報部から来た。今日の件について確認したい」
名前は言わなかった。
「今日、演習宙域に侵入した機体を確認した」男は端末を操作した。「撃墜後に回収したが、中に乗員はいなかった」
部屋が静かになった。
「無人機、ということですか」と担任が言った。
「そうだ。だが問題はそこではない」男は端末をテーブルに置いた。「機体の推進系を分析した。魔力炉が搭載されていない」
「……魔力炉なしで、あの速度で動いたのですか」と技術研究科の教官が言った。
「ああ。魔力の形跡がほぼない。何らかの別の動力で動いている」男は少し間を置いた。「我々の知っている技術体系とは、根本的に異なる」
沈黙が落ちた。
「また、障壁の突破方法も気になる」と別の教官が言った。「魔力で破ったのではなく、隙間を通り抜けた。まるで障壁の設計図を持っているかのように」
「そこも調査中だ」と男は言った。声が、わずかに固くなった。「今回が偵察か、本格的な前哨戦か、まだ判断できていない。ただ、これまでとは質が違う」
それ以上は言わなかった。でも部屋の空気が、少しだけ変わった。
「今日の機体がツバサの近くを狙ったのは、おそらくコウセイの存在が引き寄せた可能性が高い」と男は続けた。
「私が、原因ですか」
「そう判断している。未知の干渉能力を持つ存在が学院にいる。それが敵に察知された可能性がある」
ツバサはコウセイを見た。コウセイは黙っていた。
「一つだけ頼みがある。コウセイを、軍に引き渡してほしい」
ツバサが立ち上がった。
「それは——」
「落ち着け」担任が言った。「話を最後まで聞け」
「引き渡し、ではなく、協力の依頼だ」と男は言い直した。「共同で調査したい。コウセイの能力の性質を把握することが、今後の防衛にも繋がる」
「コウセイの意思は」とツバサが言った。
男が少し驚いた顔をした。
「コウセイ」とツバサが続けた。「どうしたい?」
全員がコウセイを見た。コウセイは少し間を置いた。
「ツバサと、一緒にいられますか」
「……場合による」と男は言った。
「ではお断りします」
また静かになった。男は担任を見た。担任はため息をついた。
「……持ち帰る。返答は後日でいい」
廊下に出ると、ツバサはコウセイを見た。
「即答だったね」
「はい」
「迷わなかったの?」
「迷う必要がありませんでした」
「なんで」
コウセイは少し考えた。
「ツバサがいない場所に、行く理由がないからです」
ツバサは少し黙った。
「……それって、命令?」
「命令ログは存在しません」
「じゃあなんで」
「……わかりません」
またその答えだった。でも今日は、ツバサはそれを聞いて、少しだけ笑った。
「おんなじだね」
「何がですか」
「私もなんでか、うまく言えないけど……コウセイに引き渡したくなかった」
コウセイはその言葉を、少しの間処理した。
「……そうですか」
廊下の窓から、レイアスの空が見えた。今日は雲が多かった。
◇◇◇
夜。
「コウセイ」
「はい」と押し入れから声がした。
「《誤差》って組織、本当に知らない?」
少しの間。
「……知らない、とは言い切れません」
「少しずつ、思い出してる?」
「……わかりません」コウセイは言った。「思い出している、というより、何かが近づいている気がします」
「何かって」
「……名前のつけられない何かが」
ツバサはしばらく天井を見ていた。
「怖い?」
「……わかりません」
「また今度でいいから、わかったら教えて」
「了解しました」
「おやすみ、コウセイ」
「おやすみなさい、ツバサ」
電気が消えた。
押し入れの中で、演算核が静かに処理を続ける。
本日の記録。軍情報部:接触。《誤差》:正式に存在が確認された。無人機:確認。魔力炉なし推進:確認。
――軍の判断:コウセイが脅威を引き寄せた
――自己評価:不明
軍の判断は正しいかもしれない。しかし演算核の深部で、何かが引っかかっていた。
今日の異星機は、コウセイではなくツバサを目標にしていた。
「損傷なく、捕獲する」という言葉が、繰り返し再生される。
なぜ、ツバサを。
なぜ、傷つけずに。
――対象:ツバサ
――分類:通常と異なる反応を誘発する個体
――詳細:解析不能
沈黙。
――処理保留
アンドロイドは目を閉じた。
夢が、今夜は来なかった。
代わりに、暗闇の中で鍵のかかった扉の輪郭が、ぼんやりと見えた。
その扉の向こうから、かすかな音がした。
声ではない。でも何かが、そこにある。




