それは、戦闘と呼べるものではなかった
演習当日の朝、ツバサは憂鬱だった。
哨戒訓練。学院から離れた宙域を、二人一組でシャトルに乗って巡回する。成績優秀な生徒ほど広い区画を担当して、ツバサのような落ちこぼれは端っこの何もない宙域を回らされる。
毎年何も起きない。退屈なだけの訓練だ。
「コウセイ、演習って知ってる?」
「実戦を想定した訓練ですね。今日それがあるんですか」
ツバサは少し足を止めた。
「……なに、今」
「何がですか」
「なんか、普通に返してきた」
「普通ではありませんか」
「昨日までは『概念は理解しています』みたいな感じだったじゃん」
コウセイは少し考えた。
「……学習したのかもしれません」
ツバサはしばらくコウセイを見ていた。なんとなく嬉しいような、少し不思議なような顔で、また歩き始めた。
廊下を歩くと、同じように補助アンドロイドを連れた生徒が何人かいた。手荷物を持つもの、端末を操作するもの、ただ隣を歩くもの。学院ではそれほど珍しい光景ではない。
ただコウセイは、そのどれとも少し違う気がした。うまく言えないけれど。
「補助として同乗していいって許可もらったから、一緒に来て」
「了解しました」
担当区画は学院から東へ三十分の宙域だった。
廃棄された人工衛星の残骸が漂う、静かな場所。コウセイは窓の外を眺めていた。
漂う残骸の群れ。冷えた光。音のない暗闇。
自分が眠っていた場所と、よく似ていた。
「静かですね」
「そうだね」ツバサは操縦桿を握りながら、同じ景色を見た。「飽きないけど、慣れない感じがする」
「慣れない?」
「ずっと見てるのに少し怖い。広すぎて、自分がどこにいるかわからなくなる気がして……」
コウセイはまた宇宙を見た。
広すぎて、どこにいるかわからない。
自分には最初からそれしかなかった。怖いと思ったことが、一度もなかった。
◇◇◇
レーダーに反応が出たのは、帰路につこうとした矢先だった。
「ツバサ」
コウセイの声が、わずかに変わった。
「複数の熱源反応。進行方向、二時の方角。距離、約八キロ」
ツバサはレーダーを見た。光点が三つ。
「演習の別チーム?」
「否定します。シグネチャーが学院所属の機体と一致しません」
その直後、通信が入った。
『こちら第三班、宇宙海賊だ! 魔力砲をこっちに——』
雑音。途切れる声。
ツバサの手が、操縦桿を強く握った。
「……逃げる?」とコウセイが聞いた。
「それが正解なんだけど」
『誰か——誰か助けてくれ——』
通信の向こうで、声が震えていた。一つ上の先輩の声だった。いつも廊下でツバサの存在を無視して通り過ぎていく、あの声だ。
「……助けに行く」
「了解しました」
――優先保護対象:ツバサ、継続中
――ツバサの判断を優先
現場に着くと、第三班のシャトルはすでに動けない状態だった。
魔力砲を受けて、魔力炉が沈黙している。漂流するシャトルの周囲を、三機の宇宙海賊機が取り囲んでいた。機体の各所に魔法陣が刻まれていて、そこから赤黒い光が漏れている。
ツバサのシャトルが接近すると、一機がこちらを向いた。
『おい、もう一匹来たぞ』
『ちょうどいい。まとめて——』
魔力砲の砲口が、こちらに向く。
コウセイの演算核が、静かに切り替わった。
――脅威評価、開始
――対象:海賊機、三機
――使用武装:魔力収束砲
――処理方針:排除
「ツバサ、船外に出ます」
「待って!」
ツバサが振り返った。
「撃たれたら、どうするの」
「……その時に考えます」
「それって答えになってない」ツバサの声が少し上ずった。「補助アンドロイドが戦闘できるわけないじゃん、普通。他の子たちのアンドロイドは荷物持ってるだけだし」
「ツバサ」
コウセイが、静かに遮った。
「行ってきます」
それだけ言って、ハッチを開けた。
「ちょっと——!」
---
コウセイが出た瞬間、ツバサは操縦席でシャトルの制御盤に手を当てていた。
少しでも戦力を上げるために魔力を流し込む。
シャトルの魔力炉に接続された魔法陣が、わずかに光った。出力がほんの少しだけ上がった。
焼け石に水だ。もともと旧式のシャトルで、自分の魔力は微量。意味があるかどうかも、わからない。
それよりも。
「無事に戻ってきて」
誰にも聞こえない声で、呟いた。
海賊機の魔力砲の砲口が光を帯び、コウセイを狙っていることがわかった。
撃たれる。
そう思った。
だが海賊機の砲口の魔法陣が、静かに消えた。エンジンの魔力炉が沈黙した。機体がゆっくりと傾いて、そのまま漂流し始める。爆発もなく、煙もなく。
二機目も、同じだった。
三機目は逃げた。全速力で。それでも百メートルも進まないうちに、魔力炉が止まった。
十秒もかかっていない。
コウセイがハッチから戻ってきた。
「処理、完了しました」
その瞬間、ツバサは制御盤から手を離してコウセイに向き直った。
「……なんで勝手に出たの」
「脅威を排除する必要があったので」
「そうじゃなくて」ツバサは言葉を探した。「砲口、コウセイに向いてたじゃん」
「あの程度の戦力なら恐れる必要性がありませんでした」コウセイはすぐに答えた。「そもそも恐怖の定義は……」
「コウセイの話してない」
ツバサが遮った。
コウセイは止まった。
「……え」
「コウセイが怖くなかったのは、見てたからわかってる」ツバサの声が、少し震えていた。「私が怖かったって、言ってるの」
沈黙。
コウセイはツバサを見た。震えている。声だけじゃない。制御盤に当てていた、その手がまだ微かに震えている。
「それは……、ツバサが私のことを心配していたから?」
「そうだよ」
コウセイはそれを、少しの間処理した。
心配。自分のことを。命令でも、義務でもなく、ただ、心配した。
それをどう受け取ればいいのか、どう返せばいいのか、わからなかった。
「……そうですか」
それしか出てこなかった。でもその言葉には少しだけ、間があった。何かを受け取ろうとしているような、そんな間が。
ツバサはコウセイの顔をしばらく見ていた。返事は「そうですか」だけだ。でもなんとなく、届いた気がした。理由はうまく言えないけれど。
それで、十分な気がした。
第三班の生徒たちを回収すると、後部座席で毛布にくるまった男子生徒が、震える声で言った。
流した前髪、少し崩した制服。顔立ちは派手で、一目でわかる軽薄さがある。でも今はその顔が、ひどく青ざめていた。
「助かったよ。ありがとう」
「コウセイが助けたんだけどね」とツバサは言った。
「お礼は不要です」コウセイは言った。「ツバサが助けに行くと決めたので、私は同行しただけです」
「でも、あの魔力砲、どうやって止めたんだ。魔法陣ごと沈黙させるなんて、聞いたことない」
「妨害しようとしたら出来た。それだけです」
カイは口を閉じた。それ以上聞けない何かが、コウセイの答えにはあった。
しばらくして、カイはもう一度口を開いた。
「お前……凄いな」
「そうですか」
「自覚ないの?」
「何の自覚ですか」
カイはツバサを見た。ツバサは静かに首を横に振った。
「ないんだよ」
◇◇◇
学院に戻ると、教官たちが待ち構えていた。
応接室に通されると、担任の他に見慣れない教官が二人いた。腕章に「技術研究科」の文字がある。
「座れ」
担任が言った。ツバサとコウセイが椅子に座ると、技術研究科の教官の一人がログの記録端末を開いた。
「戦闘ログを確認した。三機の魔力炉と魔法陣が同時に完全停止している。損傷なし、残留魔力の乱れもなし」
端末をテーブルに置くと隣の教官が尋ねた。
「普通、魔力系のシステムを外部から止めるには、相当量の魔力を叩き込むか、対応する魔法陣を上書きするかしかない。どちらでもない方法で止めた、ということになるな」
「はい」とコウセイは答えた。
「どうやった」
「具体的な方法は自分でも把握していません」
教官たちが顔を見合わせた。
「把握していない、というのは」
「処理は実行されましたが、使用したプロセスのログが残っていません。自分でも、何をしたのかよくわかっていない状態です」
技術研究科の教官が端末を閉じた。担任が深いため息をついた。
「始末書は三枚書け。それと次からコウセイは訓練に毎回参加すること」
「何か問題がありましたか」とコウセイが聞いた。
「ない」と担任は言った。「ただ……」視線がコウセイに向いた。「お前のログは、引き続き研究科が確認する。了解できるか」
「はい」
「よし。下がれ」
廊下に出ると、ツバサはため息をついた。
「研究対象になっちゃたね」
「そのようです」
「嫌じゃないの?」
「……嫌の定義は」
「もういい」ツバサは苦笑した。「行こう」
◇◇◇
夜、自室に戻ったツバサは、ベッドに倒れ込んだ。
天井を見上げて、今日のことを順番に思い返す。震える通信の声。コウセイが消えたハッチ。光を帯びた砲口。止まった三機。制御盤に当てていた自分の手。
「コウセイ」
「はい」と押し入れから声がした。
「私がシャトルに魔力流してたの、気づいた?」
「はい」
「意味なかったよね、たぶん」
「判断できません」コウセイは言った。「ただ、見えていました」
ツバサはしばらく黙っていた。
「もう一回聞くけど、なんで勝手に出たの」
「ツバサが、助けに行くと決めたから」
それだけだった。命令でも、説明でもない。
ただの事実として、言った。
ツバサはしばらく天井を見ていた。
「おやすみ、コウセイ」
「おやすみなさい」
電気が消えた。
---
押し入れの中で、演算核が静かに処理を続ける。
本日の戦闘記録。使用プロセス:不明。対象:魔力収束砲、魔力炉。停止方法:不明。
一拍置いて。
――ツバサ、保護継続中
通常ならそこで記録は閉じる。
しかし今夜は、別のログが続いた。
――未処理ログ、再検出
――キーワード:「修正」
検索開始。
……該当データなし。
だが、演算核のより深部で、別の応答が浮かぶ。
――対象:ツバサ
――分類:再検討中
沈黙。
――処理保留
アンドロイドは目を閉じた。
夢に似た何かが、また浮かぶ。
今夜はいつもより、少しだけ——鮮明だった。




