第三百七十三話 誰もいなかった
コツ、コツ。
暗闇の奥から、足音が近づいてくる。
私は、掌に灯した霊力を前へかざした。
青白い光の中に、男の姿が浮かび上がる。
赤い燕尾服。
半分、白く塗られた顔。
「——喝采!?」
以前、山で遭遇した常夜ノ会の男。
あの時、目の前に立っているだけで足がすくんだ。
その恐怖が、瞬時に蘇る。
「あ?」
男が、首を傾げた。
「お前、こいつのこと知ってんのか?」
あの時と同じ姿。
なのに、感じる霊力が違う。
「……以前、お会いしましたよね……?」
「へえ?」
男は、私の顔をじっと見つめた。
「でも、俺はお前のこと知らねぇわ」
「は……!?」
声も同じ。
でも、喝采はこんな話し方じゃなかった。
「あははっ!悪りぃな!」
「……あなた、本当に喝采ですか?」
「あら?いい勘してるじゃない♡」
ジャラ……。
男が短剣の鎖を肩へかける。
「そう♡私は喝采じゃないの♡」
「……じゃあ、誰なんですか?」
「んー?」
男は、少し考えるように顎へ指を当てた。
「名乗る価値もなさそう♡」
「……喝采は、どこにいるんですか?」
「さあ?」
男は、肩をすくめた。
「喝采って、この男のことでしょ?
私が目を覚ましたときには、もう誰もいなかったわよ♡」
「え……!?」
「……共霊……」
伊吹さんが、小さく呟いた。
「奏ちゃん。
今、身体を動かしてるのは霊なんじゃないかな?」
「……喝采は?」
「わからない。でも、共霊なら、喝采の意識が奥に残ってる可能性はあるよ」
「そうなの?私、難しいことはよくわかんないのよねえ。
変な装置にかけられてたのよ。
気づいたらこの身体、手に入れてた♡」
「それって……強制共霊システムなんじゃ……!」
伊吹さんが私を見た。
以前、響もあの装置で霊害をねじ込まれ、自我を奪われた。
あの装置は、霊害だけを対象にしたものじゃなかったんだ……!
私は、ちらりと牢の中へ目を向けた。
管の中を、青白い光が流れている。
——早く、助けなきゃ。
「この男、結構歳いってるし、見た目も変だけど〜♡?」
男は、にやりと口角を上げた。
「肉体があるって最高だよな」
ドクン!
——怖い。
「……あなたは、霊なんですね?」
「そうよ♡」
男が、あっさりと頷いた。
「昔、霧島って家のやつに封印されたの♡」
「……霧島!?」
「あら、そっちも知ってるの?」
そうか。この霊。
——霧島家に封印されていた、特級霊。
常夜ノ会があの日、奪っていったものだ。
霧島家が祓えず、封印するしかなかった霊。
それほどの相手が、今、目の前にいる。
「なぜ、常夜ノ会に協力しているのですか?」
「協力?別にそんなことしてないわ♡
私はただ、やりたいことの続きをやってるだけ♡」
「……やりたいことって……?」
「あら、わからない?」
男は、くすくすと笑った。
「人殺し♡」
「……っ」
思わず、鉄格子を握り締めた。
「……それが、楽しいんですか?」
「ええ♡とっても♡
でもねえ、捕まっちゃって。死刑になったのよ」
男は、残念そうに肩を落とした。
「まだまだ殺したかったのに」
ジャラ……。
男が、肩にかけた鎖を指先で弄んだ。
「それなのに、死んだら今度は封印されちゃってさあ。
ずっと退屈だったんだぜ?」
そして、自分の胸元へ手を当てた。
「今は違う」
その指が、ゆっくりと胸を撫でる。
「心臓が動いてる。血も流れてる。痛みだって感じる」
男は、うっとりと目を細めた。
「……ああ、最高♡
また、生身の身体で人間を殺せるんだもの♡」
——人の命を、何だと思ってるの?
男は、私たちを交互に見つめた。
「ねえ。二人とも」
ジャラ……。
男の肩から、鎖が滑り落ちた。
その先で、赤い刃が揺れる。
「どっちから殺してほしい?」
——ここで、私がやられるわけにはいかない。
牢の中には、まだ助けを待っている霊たちがいる。
私は、ブレザーの内側へ手を入れた。
「私が決めてあげるね♡」
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