第百五十八話 Episode:光流【師匠】
「……あっ……」
俺は手で鼻を押さえた。
こんな姿、最悪だ。
「下向いちゃだめ!上向いて!」
「は、はい!」
顔を上げたら、茜色の空が見えた。
――空って、綺麗だったんだ。
鼻血が喉に落ちて、じんわり鉄の味がした。
*
「……君さ、見える子だよね」
俺たちは、堤防の斜面に並んで座った。
「え?」
「わかるよ。霊力すごいもん!」
「霊力……?」
女性は、抱えた膝に顔を埋めて俺の方を見た。
風に揺れた茶髪が、頬の横でさらりと流れる。
「羨ましいくらい!」
彼女は目を細めて笑った。
意地悪っぽいのに、不思議と柔らかい。
心臓が鼓動を早めた。
膝越しに覗くその笑顔は、
さっきの空より綺麗だった。
「君、よく霊に絡まれない?」
「……めちゃくちゃ絡まれます」
「でしょ?
霊から見たら君、めちゃくちゃ魅力的なんだよ」
「そうなんですか?」
「霊力って、霊からしたら生命力だからね」
言われてみればこれまでも、
見えてないやつらより俺の方に来ることが多かった。
「君。祓い師って、聞いたことない?」
――祓い師?
眉を寄せた。
「その反応は、ないっぽいね!
霊を還す人たち……まあ、霊媒師みたいなもんよ!」
彼女はまた、にやっと微笑んだ。
「興味があるなら、教えてあげるけど」
――厄介なことには、巻き込まれたくない。
平穏のレールから、逸脱するかもしれない。
それでも。
「……教えてください!」
祓い師とか霊とか以前に、
俺は、彼女に惹かれていた。
初めてだった。
誰かの元へ、自分から行きたいと思ったのは。
「じゃあ、教えてあげる!
私は、木ノ下芽衣。大学四年生」
芽衣さん。
嬉しかった。
名前を知ったら、もう他人じゃない。
ゆうちゃんも、こんな気持ちだったのかな。
「君は?」
「朝倉光流です!」
ぴしっと敬礼した。
「光流!良い名前だね!これからよろしく!」
芽衣さんは、俺の師匠になった。
「光流、今いくつ?」
「十一歳!小五っす!」
「五年生……あの子たちと、同い年か」
「え?」
「ううん!何でもない!」
俺は、芽衣さんにゆうちゃんのことを話した。
「で、霊害になっちゃったわけね」
「霊害?」
芽衣さんは、祓い師の世界を教えてくれた。
霊害も、霊力も、何も知らなかった俺に。
その時初めて、
見えるだけじゃ何もできないって知った。
「光流。自分のこと、責めなくて良いよ。
ゆうちゃんが霊害になったのは、タイムリミットだから」
芽衣さんは、真剣な顔をして言った。
「それでも悪いと思うなら、
強い祓い師になって、代わりにたくさん救ってあげな」
その言葉は、俺の胸の深いところに落ちた。
それから俺は、この堤防の河川敷で、
芽衣さんから祓い方を学んだ。
「霊力は押し出すんじゃなくて、流す感じ!
リラックス〜」
芽衣さんが、波のように両手を揺らす。
「流す感じ〜?」
ポウッ。
青白く暖かい光が、指先に灯る。
「そうそう!光流、才能あるよ!!」
褒められるたび、胸が熱くなった。
失敗しても、大丈夫な気がした。
「芽衣さんは、守護霊いないんすか?」
芽衣さんが目を伏せる。
「……前はいたんだけどね。お別れしたの。
結構辛かったからさ、当分、新しい契約はできないかな」
そうか。契約しても、別れは来るんだ。
祓い師の仕事は、“在るべき場所に還すこと”だから。
「それくらい、良い関係だったんだ」
「そうだね〜。
光流もさ……いつか、素敵な守護霊に会えるかもね」
「……どうっすかね」
想像もつかない。
「そういう時って、突然来るものなんだよ」
そう言って、芽衣さんは笑った。
そんな――胸の奥がくすぐったい日々が続いた。
学校が終われば、
友達と遊ぶよりも、出勤前の母さんに会うよりも、
俺はこの時間を選んでいた。
だけど、半年ほど経った頃から、
河川敷に一人で行く日が、少しずつ増えていった。
社会人になって忙しかったのかもしれない。
身内に不幸があった、とも聞いた。
会える日は、少しずつ減っていった。
とにかく、俺なんかに構っていられないほど、
芽衣さん自身が大変だったんだと思う。
それでも、
一ヶ月に一回くらいは顔を見られたし、電話もDMも繋がっていた。
もっと会いたいなんて、俺が言えるはずもなかった。
それから三年後。
【光流は、希望の光だよ】
意味深なメッセージが来た後、
芽衣さんとは音信不通になった。
そして、
胸に空いた穴を埋めるみたいに、
俺は麗子に出会った。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:5月10日12時
第百五十九話 Episode:光流【救済】




