第百五十四話 羅針盤
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同時刻――清祓医療院。
雨音が響く病室で、紫苑はスマホを見下ろしていた。
「凡才くん、大分やられてるっぽいな⭐︎
祓い師って、メンタル削られやすいよね〜」
――ちゃんと、気づけよ。
期待値ない人間に、僕は助言なんてしない。
紫苑は静かに、ベッド脇にスマホを置いた。
その瞬間。
……ゾクッ。
悪寒で、誰が来たかすぐにわかった。
紫苑が震える相手は彼女だけなのだから。
「ノックいらないよ!どーぞー!」
ゆっくりと病室の扉が開く。
「……紫苑」
「そろそろ来ると思ったよ〜。ばあちゃん⭐︎」
傘を杖代わりにしながら、紫乃は紫苑へ歩み寄った。
老人らしく丸まった背中。
――なのに、隙がなかった。
「“わしの許可なく壊れるな”。
……そう言うたじゃろ」
「あ〜⭐︎」
紫苑は人差し指を頬に当て、目線を斜め上に向けた。
「ごめん⭐︎またやっちゃった⭐︎」
「禁式の呪いを甘く見過ぎじゃ」
紫乃の言葉で、紫苑の顔つきが変わる。
「僕、壊れてないけど?」
――甘く見てもない。
病室が、不穏な空気に包まれた。
「……退院は、八月五日とな?」
「らしいね〜⭐︎もう元気だけどね⭐︎」
「紫苑」
紫乃の顔つきが変わる。
「三流派が、動く。
御影と霧島は、久世を潰す気じゃ」
「……逆でしょ?
久世が潰そうとしてんじゃん⭐︎」
紫苑はにこりと笑顔を見せた。
「で?篝の件、ばあちゃんも一枚噛んでんの?」
「いや。紺士が勝手にやったことじゃ」
「……ああ」
久世家現当主、久世紺士。
紫乃の息子で、蒼嶺の父。
篝の屋敷の場所を漏らし、
久世の祓い師を向かわせないようにしたのは、
現当主派の独断か。
「ばあちゃん怒ってないね?」
「……こちらとしても、悪くない話じゃからな」
「なるほど〜⭐︎
結局、どっちも御影と霧島が邪魔なんだ⭐︎」
「……」
紫乃は何も言わなかった。
それが答えだと、紫苑は悟った。
「僕は関係ないよね?破門されてるし⭐︎」
「ああ。こちらに加担しろとは言わぬ。
ただ……」
紫乃の目つきが鋭くなる。
「御影と霧島に付くことだけは許さぬぞ」
「……僕の自由でしょ?」
「また、わしの言うことが聞けぬのか?」
紫乃は紫苑の喉元に、傘先を当てた。
紫苑は微動だにしなかった。
「あのさ、ばあちゃん。
ばあちゃんには感謝してるよ。
どんな理由であれ、
あの家で僕を愛してくれたの、ばあちゃんだけだったし。
僕が今生きてるのも、ばあちゃんの禁式のおかげだしさ」
「ならば――」
「でもさ」
紫乃の言葉を遮った。
「もうさ――
僕の羅針盤は、ばあちゃんじゃないんだよね」
紫苑が喉元の傘を握り締める。
「……東雲の小僧か」
「そ。狛が付く方に僕も行く⭐︎」
「ならば、小僧を消すまでじゃ」
「は?」
バキンッ!
紫苑が傘を握り潰した。
「本気で言ってんの?」
「それはわしのセリフじゃ」
「ばあちゃん。長生きしたくないの?」
紫乃は、傘を投げ捨てた。
紫乃の背筋がぴんと伸びる。
「舐めた口を聞くな。
お主がわしに、一度でも勝ったことがあるか?」
「……っ」
空気が沈む。
紫苑の額に、冷たい汗が伝った。
「お前は確かに天才じゃ。
だが忘れるな。
お前を作ったのは――わしじゃ」
また、紫乃は背中を丸めた。
「お前は一生、わしには勝てん」
――それでも。
「……ばあちゃんが狛を消すって言うなら、僕は戦うよ」
紫苑は自嘲気味に笑った。
「どうせあの時死んだ命だし。
狛が死ぬなら、僕が生きてる意味なんてない」
「お主はわしのものじゃ!!」
雨音を、全てかき消す叫びだった。
「三流派は統合する。久世も取り戻す。
全て、わしの思い通りじゃ」
「……」
――欲に塗れた亡者め。
コンコン!
「面会の方がお見えです〜!」
ドアの向こうから、看護師の声が聞こえた。
紫乃が咳払いをする。
「良いか。紫苑。わしの言いつけを守れよ。
東雲の小僧を守りたくばな」
そう言って、紫乃は病室の扉へ向かった。
扉の向こうから、
ふわりと甘い香りがした。
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※次回更新:5月6日21時
第百五十五話 鍵は二つ




