鉄血女帝アナスタシア 第六十一話
1914年6月28日
オーストリア陸軍によるボスニアでの大規模な軍事演習は当初の予定通り実施されることになった。そしてその軍事演習を見学するためにオーストリア皇太子夫妻はサラエボに到着。サラエボ市民から熱烈な歓迎を受ける。歓待行事の後、翌日に軍事演習を視察。その後しばらくサラエボ周辺に滞在してヴァカンスを楽しんだ。
皇太子夫妻、特に皇太子妃のゾフィーはオーストリア皇帝から冷遇されていて、ウィーンを離れて夫婦だけの時間がとれることを非常に楽しみにしていたのだ。
ロシアは一般市民に偽装した工作員を多数派遣し、皇太子夫妻にテロリストが近づかないよう極秘に警護をした。セルビア政府によって事前にテロ実行犯が逮捕されたことも有り、皇太子夫妻はヴァカンスを安全に楽しむことが出来た。
1914年7月5日
帰路の列車が爆破されて皇太子夫妻が重傷を負う。
◇
「はぁ、セルビア人のオーストリアに対する怨念ってものすごいのね。セルビアにあれだけ圧力をかけてテロリストを未然に逮捕までさせたのにテロを起こすなんて」
「テロ組織の中では妨害したアナスタシアを暗殺しようって意見もでてるかもしれませんね。あなたを暗殺してニコライ二世を復位させようとか。ロマノフ朝の時はセルビアに支援をしてましたからね」
オーストリア皇太子を殺害するはずだったプリンツィプらは事前に逮捕してくれたんだけど、黒手組のリーダーはディミトリイェヴィチっていう現役のセルビア軍人なのよね。大きな派閥の首領だから手が出せなかったみたい。
「幸い皇太子夫妻の命に別状は無いみたいですけど、オーストリアの陸軍大将他武官やメイドが30人以上死亡しましたからね。オーストリア国内ではセルビアと開戦するべきって声が大勢を占めてますよ。昨年もオーストリアの政治家が暗殺されましたし」
「せっかくサラエボでの暗殺は防いだけど、これだけされたらオーストリアは最後通牒を突きつけるでしょうね。口実があればセルビアを併合したいって思ってるんだから」
◇
1914年7月24日(史実より1日遅れ)
オーストリアがセルビアに対して最後通牒を突きつける。内容は明らかにセルビアの内政に干渉するもので、最初から受け入れられる事を期待してはいない。回答期限は7月26日午後6時
1914年7月25日
ロシアがオーストリアに対して最後通牒を取り下げるように要請。開戦に踏み切れば悲惨な結果が待ち受けていると警告。
1914年7月26日
オーストリアとドイツが共同で、ロシアの恫喝は宣戦布告に等しいと反発。国境から50キロ以上ロシア軍を下がらせるよう要請。ロシアは当然受け入れなかった。
1914年7月28日
オーストリアがセルビアに対して宣戦布告
1914年7月31日
ドイツはロシアとフランスに対して中立を宣言するように要請。中立宣言が成されない場合は両国に対して宣戦を布告すると最後通牒を発した。回答期限は8月1日
1914年8月1日
ドイツとオーストリアが無謀な侵略戦争を始めるのであれば、ロシアはあらゆる手段によって世界の平和を守ると宣言
この返答に対し、ドイツはロシアに宣戦布告を即時宣言
1914年8月2日
ドイツが中立国であるルクセンブルクに突如侵攻
1914年8月3日
ドイツがフランスに対して宣戦布告
1914年8月4日
ドイツが中立国であるベルギーに対して宣戦布告。同日侵攻
同日、ベルギーの安全を定めたロンドン条約(1839)違反を理由にイギリスがドイツに最後通牒
これに対しドイツはベルギーからの撤兵を拒否
同日午後7時、イギリスがドイツに対し宣戦布告
◇
「うーん、これが本当にたった10日間の出来事なんですね。高校では世界史をとってなかったんであんまり興味無かったんですが、実際目の当たりにするとすごい事ですね。“かぜで一週間寝込んで週明けに学校へ行ったら世界がゾンビだらけだった件”みたいな感じですよ。特にドイツの暴走っぷりは常識を疑いますね」
「蒼龍、その例え、全然解らないんだけど。まあドイツとしてはせっかくシュリーフェン・プランを試す機会に恵まれたからやってやろうって感じなんでしょうね。本当にバカな連中だわ」
※シュリーフェン・プラン ドイツ軍が計画していたフランス侵攻作戦
ある程度準備をしていたとはいえ事態の急激な悪化に、ロシア政府庁舎では息つく間もなく人や電信が行き来し言葉は矢のように飛び交っていた。ルスランもこの10日間、各部署との連絡や調整で忙しくしていて今日も昼前から参謀本部に行ってもらってる。私の意向を説明してもらってるんだけど、男装の麗人でものすごい美人だから参謀本部のおっさん達をメロメロにしてるのよね。だから私が説明するよりみんな言うことを聞いてくれるのよ。ほんと男って美人に弱いのよね。
「でも売られた喧嘩は買わないわけには行きませんよ。それに、まだ反攻の準備が出来てませんからね。少なくともあと半年は現状のまま東部戦線を維持してもらう必要があります」
蒼龍が準備をしてくれている航空機や戦闘車両や装備はこれから量産に入るのよね。さすがに1年足らずじゃ準備が間に合わなかったわ。でも、塹壕を掘るトレンチャーって重機や有刺鉄線を張っていく作業車はそれぞれ100台以上準備ができてるから、この10日間で200キロ以上の塹壕を掘ることが出来たわ。それに機関銃や防御的な一部の武器は数を揃えることが出来たし。これで東部戦線はほとんどロシアに犠牲が無く守れるはずね。
「戦争が始まったから国家総動員法に基づいて労働力や資本を戦争に振り向けることが出来るけど、食料の供給に問題が出ないようにお願いね。食料省へのアドバイスよろしく」
史実ではロシア革命の起きた大きな要因の一つが食糧不足なのよね。農村地帯からサンクトペテルブルクへ小麦が入ってこなくなったの。農家の男達が兵隊に取られて食糧生産が下がったことと、季節は冬だったから鉄道以外の輸送手段が無くなったこと、それに農村が出荷を渋ったことによる。誰しも自分の食べる分をまず確保したいっていうのは解るんだけど、それでも都市部で餓死者が出るようなことは容認できないのよ。だから農村からは強制的に小麦を買い取って配給制にする。でもそこで不満が出ないように対策を採らないとね。
「昨年から窒素肥料と農業機械の大増産をしていますから、今年の春蒔き小麦の収量は昨年の二倍近いと予測が出ています。大丈夫でしょう。もうすぐ収穫なので急ピッチで小麦を保管する倉庫を建築しているくらいです。これだけ豊作になると普通は穀物価格が下がりますが、戦時と言うことで政府が高値で買い取ります。より多く売却してくれた農家には、農機具や衣服・日用品を現物支給するので不満も無いでしょう」
この時代の農村部では現金を持っていても使うところが無いのよね。地方にデパートなんてないし。だから現金じゃなくて品物や穀物以外の食料品で支払うのよ。さすが蒼龍ね。おかげで食糧の心配は無さそうで安心したわ。でもイギリスやフランスは自国の農業生産の低下分を植民地から奪うのよね。それで植民地人を何百万人も餓死させるなんて本当に許せない。これから多くの子供たちが食べるものも無くやせ細って徐々に死んでいく。こんな状況を神様が放置するなんて、蒼龍の言うとおり神様は人間のことなんか興味ないのだろうか?
「どうしたんですか?アナスタシア。涙を流してますよ」
えっ?涙?
「本当だ・・・。これから植民地で餓死者がたくさん出るかもって思ったら涙が出てきちゃったみたい。私、エカテリンブルクからニコラエフスクへ逃げる間のことあまり詳しく話してなかったけど、本当につらかったの。何日も食べる物が無くて、野草や小動物をルバノフがなんとか採ってきてくれて焼いて食べたりしたの。水は小川や沼の水でなんとかしのいだんだけど、時々お腹を壊しちゃうのよね。下痢をして下着はいつも糞尿まみれだったわ。やせ細って骨と皮だけみたいだったの。ニコラエフスクに到着してなんとか回復したんだけどね、それまで死んだ方がどんなに楽だろうって思ったことは何回もあった。でも、ルスランの“ロシアを救って下さい”って最後の言葉を守る為に生き抜いたのよ。私は何とか命を繋ぐことが出来たけど、これからたくさんの子供が死んでしまうわ。食べるものが無いのは本当につらいことなのよ・・・・。それなのに、何で神様は手をさしのべてくれないんだろうって・・・」
蒼龍は豊かな時代に生まれて、転生先も男爵家だから食べるものに不自由をしたことがないのよね。じっと私の方を見てるけど、どう返答すればいいか苦慮している表情ね。
「ごめんね、蒼龍。リリエルさんも聞いているんでしょ。それなのに神様を疑うような事を言っちゃって・・・」
「いえ、アナスタシア。俺は神なんか全く信じてませんでしたけど、今なら信じることが出来ますよ。このクソみたいな時代に、あなたの魂を送ってくれたんですから。あなたは人類の希望ですよ」
蒼龍ってこんな優しい顔も出来るのね。でも本心からの言葉なのかな?不安になってる私を慰めてくれてるだけ?蒼龍はこっちに来てからも身長が伸びて、もう170センチ近くになってる。筋肉も付いてきて体格も少しがっしりしたような気がするわ。そんな蒼龍に優しい表情を向けられると顔が熱くなって来ちゃう。私だって誰かに頼りたいこともあるのよ。
「え?アナスタシア・・・」
私は蒼龍の背中に腕を回してゆっくりと抱き寄せた。そして蒼龍の胸に顔を埋める。蒼龍の胸ってこんな匂いがするんだ。
蒼龍は戸惑ったように体を後ろに引こうとしたけど、私は腕に力を入れて強く抱きしめた。こうやって男の人の胸に体を預けるのって何十年ぶりだろう。ああ、温かいわ。
蒼龍は諦めたのか左手を私の細い肩に置いて、右手で私の髪をなでてくれる。やっぱり蒼龍は優しいのね。
「ねぇ、蒼龍・・・・・」
「アナスタシア・・・」
「あなた、ルスランと“した”でしょ?」
「!な、な、なななな何を突然!」
蒼龍が無理矢理に私を引きはがした。ちょっと屈辱を感じてしまったわ。しかし非道い男ね。ルスランに手を出しておきながら平気で他の女を抱きしめるなんてサイテーよ。
「朝からルスランの様子がなーんかおかしいなぁって思って問い詰めたらゲロったわよ」
蒼龍の顔が一瞬でまっ赤になっちゃったわ。耳までまっ赤よ。蒼龍のこんな表情初めて見たわ。
「皇帝陛下!!申し訳ございません!!!」
あ、蒼龍がジャンピング土下座した。すごい。こんなの前世のマンガでしか見たことなかったわ。本当にする人居たんだ。
「いいわよ。あなたも13才だからそろそろ色気づく頃ですものねぇ。ホルモンバランスの変化にはあらがえなかったのかしらぁ。ふふふ」
蒼龍が額を床に当てたまま小刻みに震えてるわ。いつもの合理的で生意気な蒼龍の面影が全くない。なんて面白いのかしら。
「土下座なんかしないでよ。とりあえず立って」
蒼龍がおそるおそるって感じでゆっくりと立ち上がったわ。ちょっと猫背気味でいつもより小さく見える。
「あの、そのぉ、ルスラン、何て言ってました?今日はまだ会って無くて・・・もしかしたら冷静になって嫌われたんじゃ無いかって・・・・」
へー、蒼龍でもそんな風に思うことあるんだ。新しい発見だわ。
「大丈夫よー、朝イチから2時間くらい惚気話聞かされちゃったくらいだから」
まあ私も面白かったからいろいろと聞いたんだけど、話し始めたらルスランがなかなか止まらなくなったのよね。ちょっとお腹いっぱいよ。
「ほんとに?」
「ほんとよ。ルスランは両足の傷のことをコンプレックスに思ってたみたいだけど“蒼龍は傷口に優しく口づけしてくれて”この傷はキミの忠義と心の美しさの勲章だよ“って言ってくれたんです。それでそのまま唇を私のあ、あ、あそこに・・”って言ってたわよ。あなたジゴロねー。聞いてる私が恥ずかしくなっちゃったわ」
うわー、蒼龍が指の先までまっ赤になっちゃった。この男でも恥ずかしいって事あるのね。
「えっと、どこまで聞きました?」
「全部よ」
「全部?」
「そう、どんな会話をしたとかどんな格好でしたとか何回したとか大きさとか」
「・・・・・・・・・・・」
「ルスランが私の質問に答えないわけ無いでしょ。あなたは前世でいろんな女と経験があるんでしょうけど、初めてのルスランにあんまりアクロバティックな事しないであげてくれる?あんなのが普通だって勘違いしちゃうわよ。そういうのはもうちょっと慣れてからじゃ無いの?」
「・・・・申し訳ありません・・・・・。すごく・・・気分が乗っちゃって・・・・」
シュンってなっちゃった。面白いわ。ルスランは最初痛かったけど、蒼龍が優しくしてくれて嬉しかったみたいだしね。しかし二人だけでイイ事をしてちょっと腹が立つわね。勝巳を無理矢理にでも連れてこようかしら。そんな事を考えてたら昔のことを思い出した。勝巳は初夜のとき、ものすごく緊張して最初全然ダメで、私が悪いのかもって落ち込んじゃったのよね。しばらくくだらないことを話しながら刺激してあげたらうまく出来たけど。
「いいわよ。私もルスランの恋が成就して嬉しいのよ。この戦争が終わったら結婚ね。アズナヴール男爵の身分のままで結婚しちゃう?それとも高城男爵令息として結婚する?」
◇次回更新は確定申告が終わってからです。多分来週のどこかでは更新します




