鉄血女帝アナスタシア 第四十八話
蒼龍はクーデターの10日ほど前にサンクトペテルブルクに到着していた。親衛隊が大きくなってきてからは、在日本ロシア大使館の協力者を通じて蒼龍に資金提供をしていたのよね。何かしらの開発や研究に使ってもらうために。そのお金を使ってロシアに来たって。家族は蒼龍の発明した製図器や“しょうゆチュール”で潤ってきたから、蒼龍の行動を黙認しているらしい。
「アナスタシア、決行の日を教えてくれないなんて非道いですよ」
「ごめんねー、蒼龍。忘れてたわけじゃ無いのよぉ。どんな混乱が起こるか解らないから危険だし、それに万が一にも決行日が外に漏れたら大変だしね」
あ、蒼龍が胡乱な目をしてるわ。私ってすぐ表情に出ちゃうから、連絡するの忘れてたことバレちゃったかな。
「まあいいです。欧州大戦まで一年を切るのでそろそろじゃないかと思って来て正解でしたよ。ルスランも救うことが出来ましたしね」
日本を発ってから一年半ほどが過ぎたけど、その間に蒼龍は20センチ近く身長が伸びたそうだ。12才で身長163センチはかなりの高身長よね。声変わりもしてるし。変装までしてるからすぐに蒼龍ってわからなかったもの。
「ほんとよ。蒼龍がもしあの場に居なかったらって思ったら、今でも背筋が寒くなるわ。でも良くあんな難しい手術が出来たわね」
一緒に手術を手伝ってくれたコロトフ先生がすごく感動していて、ぜひとも大学病院に来て欲しいって泣いて懇願してたわ。
「手塚先生を尊敬しているからですよ。それに、宇宙飛行士になりたかったんですが、その一つのルートとして医師枠を考えていた時期があったんです。宇宙ステーションの長期滞在には医師は不可欠ですからね」
「なるほど、合理的であなたらしいわね。改めてお礼を言うわ。ルスランを救ってくれてありがとう。もしルスランが死んでたら、わたし暗黒面に堕ちてたかも」
大事な人を失った結果、主人公が暗黒面に堕ちる映画やアニメってたくさんあったけど、その気持ちがちょっと解ったような気がするわ。ルスランを襲った侍女とその一族を根絶やしにしてやろうかって思っちゃったからね。
「そういえばアナスタシアを殺そうとした侍女の背景は解ったんですか?」
犯人はマリアお姉様専属の42才の侍女だった。マリアお姉様が生まれてすぐからずっと側に仕えていて、まるで我が子のように慈しんでたのよね。私もよく知ってる侍女よ。でも、マリアお姉様が私に暴行したことで逮捕されて死刑になるって聞いて、しかもクーデターの混乱で19才の一人息子が死んじゃって絶望のあげくあんな凶行に及んだらしい。取り調べでは“クーデターさえなければマリア様も息子も死ぬようなことは無かった”って泣き崩れていたって。拳銃はマリアお姉様がどこかの貴族の子弟から送られたマウザーM1910小型拳銃。護身のために隠していたのをあの侍女は知っててそれを持ちだしたのよね。マリアお姉様は本当は脱出させてるんだけど、それでも息子さんを失った絶望は消えないわ。
「そうでしたか・・。不幸なことですね・・・」
「そうね、私も何とかしてあげたいけどこればっかりはね」
皇帝暗殺未遂には死刑しか用意されていない。国家転覆を謀るような重大事件に甘い判断をすると後々禍根を残すことにもなりかねないのよね。
「仕方ないですよ。罰を与えるのはアナスタシアじゃ無くて法律です。それに、あなたの歩もうとしている道は、そんな生やさしいことを言わせてはくれませんよ」
蒼龍の言うとおりだ。世界大戦を防がなければ、もっともっと多くの人たちが不条理に殺されてしまう。戦争になればロシア軍は私の命令で何十万何百万の人を殺すだろう。もちろんロシア軍にも多数の死傷者が出る。私はその全責任を負わなければならないのよ。
「無線機と拡声器は役に立ったわ。やっぱり蒼龍の言うとおり情報を制する者が勝つのね。でも、私がロシアを掌握する前に技術を出してくれたけど、良かったの?万が一私がクーデターに失敗してたら技術流出になってたわよ」
蒼龍は高度な技術は私が権力を握ってから出すって言ってたけど、真空管技術を提供してくれたわ。私を信用してくれたのね。口は悪いけど良い奴だわ。
「ん?技術なんか出してませんよ」
「え?だって窒素肥料の合成や高性能火薬に無線機の技術を提供してくれたじゃない」
「ああ、あんなの技術に入りません。中学校の夏休みの工作レベルです。窒素肥料はもうハーバー・ボッシュ法が開発されてるし、真空管だって開発されてます。ちょっと触媒を変えたり使い方を工夫しただけですよ」
はぁ、この時代にはまだ無いレベルの無線機や拡声器も蒼龍にとっては中学生レベルなのね。しかし日本の中学生って夏休みの工作で高性能爆薬まで作るって知らなかったわ。恐ろしい国ね。まあでも助かったことに変わりは無いから感謝しておこう。
「ところで、やっぱり欧州大戦は防げないかしら?あんな泥沼の塹壕戦や毒ガス作戦なんてあり得ないわ。為政者の愚かな行為で未来ある若者が死んでしまうなんて有ってはならない事よ」
「オーストリア皇太子夫妻暗殺事件は絶対に防ぎましょう。とにかくオーストリアに開戦の口実を与えないことです。ただ、昨年と今年のバルカン戦争で戦争に対するハードルが極端に下がっています。この戦争に関係した国の全てが講和条件に満足してないんですよ。だから、ちょっとしたきっかけがあればもう一回やってやろうっていう気で満々なんです」
「そうなのよね。ロシアはスラヴ系住民の多いバルカン同盟を公然と援助してたから、敵対していたオーストリアにとっては目の敵でしょうね。そこに統一したドイツの後押しがあればロシアやセルビアの領土を切り取ってやろうと野心を持つのは、この時代なら仕方が無いのかしら」
「ドイツも東方に支配地を拡大するために虎視眈々と隙をうかがってます。史実では、ロシアが国内の動員をかけただけでドイツは宣戦布告して攻め込んできましたからね。みんな戦争のきっかけが欲しいんですよ。“気分はもう戦争”って状態ですね」
「はぁ、本当に愚かなことだわ。戦争が始まっても正直ロシアは参戦したくないのよね。とは言え、バルカン半島のスラヴ系住民を見捨てると国内の世論が黙ってないわ」
「領土拡大の最大のモチベーションは食糧確保です。今のまま人口が増加していったら10年後にはヨーロッパが餓死者で溢れるって予想があります。イギリスやフランスは海外植民地があるのでそこから食料を強奪できますけど、海外植民地を持たないドイツやオーストリアにとっては死活問題なんですよ。土地をぶんどって耕作面積を増やすことを狙ってます。ハーバー・ボッシュ法の窒素肥料の供給もまだ全然足りていませんし」
「そうね、でもそれも非道い話だわ。イギリスの支配下にあるインドでは度々飢饉が発生して、この30年間だけで1800万人が餓死してるのよ。1700年代からの累計だと5000万人以上餓死させてるのに、イギリス人は“飢饉は人口抑制のための自然法則”だって強弁するのよね。ほんと信じられないブリカスだわ」
「それが今の世界の現実です。欧州大戦を未然に防いでロシア国民に被害を出さず、その裏では世界中に民族紛争の火種を残し、列強の植民地支配による年間数百万から数千万もの犠牲者を出し続ける世界を望むのか?それとも欧州大戦に全面介入して、この世界から戦争や差別や貧困を永遠に根絶することを望むのか?アナスタシア、あなたはどちらの未来を選択しますか?」
アナスタシアがクーデターを起こしてロシアの実権を握るところで完結にしようと思ってたんですけどね、ついつい筆が走っちゃって・・・・




