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鉄血女帝アナスタシア 第四十七話

今日は紀元節ですね。おめでたい。


 8月の正午にもかかわらずサンクトペテルブルクの太陽の位置は低い。そしてこの北の街の夏は短くてすぐに逃げていって、それはまるで短く光り輝いて去って行く想い人の後ろ姿のようでもあった。


 クーデターより4日後


「ココツェフ首相、ここに短期的な政策をまとめてあります。まずはこの関連法案をすぐに可決させて下さい。期限は一週間です。あなたなら出来ますよね」


 私はクーデター前の内閣をそのまま留任させて、すぐに改革の実行に入った。もしも私の知っている歴史通りになるとしたら、来年の今頃には世界大戦が始まっている。それまでに出来ることは全てやっておかなければならない。


「皇帝陛下・・・しかしこれだけの事を実行しようとすれば、各方面からの反発は必至です。特にシベリア鉄道株の売却と貴族への資産課税には慎重にならなければならないと思います」


 私が首相に提案した政策は主に以下の通りだ。本当は蒼龍の提案なんだけど。


 ・シベリア鉄道本線を株式会社化して株を売却

 ・シベリア鉄道を売却した資金で、国内に様々な工場を建設

 ・贅沢品に物品税を導入して生活必需品の物品税を廃止

 ・人頭税の完全廃止

 ・貴族特権の完全廃止

 ・所得税と法人税の導入(基礎控除を多めに設定して、低所得者は非課税)

 ・複式簿記の義務化

 ・株の配当への課税強化

 ・一定以上の保有現金や株式・金などの資産に課税

 ・固定資産税の強化

 ・最低賃金の設定

 ・15才までの義務教育を導入。当然無償

 ・国立大学の無償化

 ・主要な油田の国有化

 ・小麦・ライ麦・大麦の買い取り価格安定化

 ・タングステン・ニッケル・コバルト・プラチナ鉱山の新規開発

 ・その他社会インフラ整備の推進


 この時代のロシアの税収は非常にいびつな構造をしている。税収の半分近くが砂糖や塩や燃料などの生活必需品とウォッカやタバコの嗜好品に課税されている物品税なのよね。これは農民や商人の所得を把握しにくいからという理由もあるんだけど、工場労働者の所得への課税に資本家が反対しているという事情もある。労働者に課税すると収入が目減りするから、その分労働者に不満が溜まる。その不満を解消するには給料を上げないといけないんだけど、資本家は給料を上げたくないのよ。だから労働者の味方を気取って所得税の導入に反対している。それに、高所得者ほど所得税は払いたくないだろう。だからロシアはいつまで経っても所得の再分配が進まない前時代的な税制のままなのよね。


「反発?何処に反発する要素があるのかしら?貴族への課税強化に反発があるんだったら丁度良いわ。反対する貴族は逆賊よ。家長を処刑して資産を全て国庫に入れる事ができるわね。自らの“血”で税を払ってもらいましょう。まさに“血税”ね。うふふ」


 資本家や貴族に対する資産課税は、個人資産100万ルーブル(21世紀前半の価値で約30億円)の部分までは低率課税としてそれ以上の部分に年11.25%の税を課すというものだ。ほんの一部の大金持ちには受け入れがたい事だろうけど、今まで様々な優遇措置によって蓄財したんだから少しは吐きだしてもらおう。それが嫌なら自分の“命”を吐き出すことになるんだけどね。


「・・・鉄血女帝・・・・・」


「ココツェフ首相、何か言ったかしら?」


「・・いえ・・・何でもございません・・・」


「ココツェフ首相、勘違いしないでいただきたいの。現在私の権限によって憲法は停止しています。法律は従来のモノを臨時で使用していますが、私の許可の下一時的に施行されているに過ぎません。議員であれ首相であれ貴族であれ、私に逆らうことがどういう結果をもたらすかよく考えて行動して下さい。あなたが賢明な首相である事を私はよく知っていますよ」


「・・・はい、皇帝陛下・・・」


「皇帝陛下!皇帝陛下!」


 私がココツェフ首相と和やかな雰囲気で打ち合わせをしていると、慌ただしく侍女が駆け込んできた。


 ◇


「ルスランが!?」


 侍女からルスランの意識が戻ったと聞かされた私は、車を回してもらってマリンスカヤ病院に急いだ。この病院の特別室にルスランは入院している。


 私は玄関のロータリーで車を降りて全力で駆け出したんだけど、護衛の衛兵たちに掴まれて囲まれてしまった。先日のルスランの件があって以来、私の警護は信じられないくらい厳しくなってる。ルスランが入院している部屋の窓ガラスも、板ガラスを20枚重ねた防弾仕様よ。私が見舞いに来たときに狙撃されることを防ぐためだ。


 ああじれったいわ。早くルスランに会いたいのよ!


 私は護衛に囲まれたまま病院の階段を駆け上がっていく。もうすぐルスランの部屋だ。


 私は部屋に飛び込んでベッドの傍らに駆けよった。優しい陽光に包まれてルスランがこっちを見ている。まだ起き上がることは出来ないけど、ちゃんと目を開けて私を見てくれているわ。本当に、本当に良かった。


「皇帝陛下、申し訳ありませんでした・・・」


「何を謝るの?私はあなたが守ってくれたから生きているのよ。わたし、あなたをまた死なせてしまったんじゃ無いかって・・うう・・・うわーーーーーーーーーーん!」


 ルスランを抱きしめたいけど大けがをしているルスランにそんなことは出来ないから、ルスランの右手を握って思いっきり泣いた。本当に思いっきり泣いたわ。そんな私をルスランは優しい目で見てくれている。ああ神様、ありがとうございます。


「こんな大けがをしていたとは知りませんでした。足を撃たれただけだったのでたいしたことは無いと思っていたのですが、そこから記憶が全くなくなってしまって・・・」


「先生が言うには大腿大動脈が裂けていたそうよ。普通なら助かるようなケガじゃ無かったって。でもコロトフ先生とハザマ先生のおかげで奇跡的に助かったの」


 ◇


「申し訳ありません。大腿回旋動脈の分岐の前で圧迫していますが血が止まりません。私も露日戦争に従軍しましたが、この傷で助かった兵士は残念ながらおりませんでした」


 そんな・・・・


「嘘をつくな!ルスランが死ぬはずが無い!死ぬはずは無いんだ!!ルスランを死なせたら・・・・・」


 私は“ルスランを死なせたらお前を死刑にする”と言いかけて下唇を思いっきり噛んだ。そんな事を言ってしまったら私は一生ルスランから軽蔑されてしまうだろう。ルスランを失うことも、ルスランから軽蔑されるようなことも私には耐えられない。


「う・・うう・・ううぅぅぅ・・・・」


「皇帝陛下!お医者様が到着しました!昨日修道院でけが人の治療をしてくれていたお医者様です!」


 廊下の向こうから複数の人間が走る足音が聞こえてきた。大理石の床の上を走ると良く響く。いつもは冷たい印象を受ける大理石の音だけど、今は白馬の蹄の音のように聞こえる。


 王宮に居るコロトフ先生とは別に、昨日のクーデターでケガをしていた人たちの治療に当たっていた医者も呼んでいたらしい。病院に収容しきれなかったけが人はまだ修道院に留め置かれているとも聞いている。今現在でも生死をさまよっている患者がいるのだろうけど、ルスランのために来てくれたのは純粋に嬉しかった。そう思うと同時に、私は罪の無い市民の命よりも、このクーデターを一緒に引き起こして市民を死なせてしまったルスランの命の方を大事だと思っていることを自覚する。でも、それでもいい。罰ならロシアを救った後にいくらでも受けるわ。おそらく私の魂は地獄の業火に焼かれるのだろうけどかまわない。そんな安いモノでルスランが助かるんだったら。


「こちらです!ハザマ先生!」


 若い文官が走ってきてルスランを指さした。その後ろには目が隠れるくらいの黒髪をした男性が走ってきている。よく見ると右側の髪の一部が白髪になっていて顔の左側には広範囲な火傷のような黒いあざがある。


 ハザマ先生はルスランの状況を見て、手カバンを床に置いた。


「適切な圧迫止血だ。あなたは?」


「私は医師のコロトフだ。しかし、これ以上のことは何も出来ない・・・・残念だが・・・」


 コロトフ先生は本当に残念そうに首を横に振った。露日戦争で負傷兵の治療に当たった経験から助からないケガだと判断しているのが見て取れる。


「大丈夫だ。オレが来たからには患者を死なせるようなことはない。コロトフ先生はこのまま圧迫止血を続けて下さい」


 ハザマ先生は手カバンを開けて金属製のトレイを取り出し床に置いた。そしてそのトレイにメスやピンセットを並べ始める。


「ゼムクリップとヘアクリップ、フォークとスプーン、ナイフを10本ずつすぐに持って来い!アルコールが足りないな。ウォッカも持って来い!出来るだけ濃い酒だ!スピリタスがあればなお良い!持ってきたら酒で丁寧に洗え!」


 ※スピリタス 度数96度の蒸留酒


「え?あ、はい、すぐに!」


 私は言われた物を持ってくるよう侍女に指示を出した。慌てる私をよそにハザマ先生はハサミでルスランのズボンを切っていく。そして水をかけて傷口を洗うと皮膚が裂けていることがはっきりと解った。傷口は足の付け根近くにあって、心臓の鼓動に併せてまっ赤な血があふれ出している。でも、でも、ルスランの大事な所が丸見えなんですけど!!


 私は侍女にシーツを持ってくるように指示を出した。そして私たちの周りにシーツを持って立たせて目かくしにする。


 厨房が近くにあったのでカトラリー(フォークなど)と金属製のトレイ、それにスピリタスもすぐに準備が出来た。ゼムクリップは衛兵詰め所にあったのでそっちも十分にある。


 私たちはスピリタスで手を良く洗い、そしてマスクを着用した。


「左鼠径部縦切開を始める!ピノコ!切開した筋肉をフォークで広げてくれ!」


「ピ、ピノコ?」


「返事はどうした!」


「は、はい!先生!」


 ハザマ先生はメスを使って太ももを大胆に切り裂いていく。そして切り裂いた部分に私はフォークを差し込んで広げた。筋肉って固くて力がいるけどルスランを助けるためよ。頑張らなきゃ。


「よし!出血箇所を確認できた!ピノコ!ゼムクリップ!」


「せ、先生!フォークを持ってるので手が離せません!」


「ちっ!何でお前は腕が二本しか無いんだ!あとで増設してやる!そこの女!トレーの上にあるゼムクリップをピンセットでつまんで渡してくれ!」


 指示をされた侍女は震える手で何とかピンセットを使いゼムクリップを渡すことに成功した。そしてハザマ先生はそのゼムクリップを使って、切れている血管を挟んで止血する。


「コロトフ先生、血液型の判定が出来たら注射器で輸血をお願いします」


「あ、ああ、解った」


 コロトフ先生は性経験の無い侍女(自己申告)を複数人集めて血液を注射器で採取していた。採取した血液を小皿で混ぜて血液型判定をしていたようね。これは私でも解るわ。


 コロトフ先生は適合する人からおっきな注射器で採血してルスランの右腕の静脈に注射していく。傷口からの出血も止まったし、心なしか顔に血の気が戻ってきたような気がする。これでルスランは助かるのよね?ね?


「血管の損傷が激しい。繋ぐには長さが足りないな。右鼠径部の大伏在静脈をグラフトにする。血行再建術だ」


 ハザマ先生はルスランの右太ももをスピリタスで消毒して皮膚を丁寧に切り裂いた。そして皮膚のすぐ下にある黒く太い血管を露わにしてメスで4センチほどの長さを切り取る。


 その血管を左の傷口に持ってきて、切れた動脈と慎重にそれでいて素早く縫い合わせていった。


「す、すごい」


 コロトフ先生は目をまん丸にしてその様子を観察しているわ。


「コロトフ先生、血圧と輸血量は?」


「あ、ああ、93の68、輸血量は3400mlだ」


「遮断解除。これで出血と血圧の低下が無ければ成功だ。血圧はどうですか?」


「90の66だ。大丈夫だ」


「良かった。ルスランの体重は55キロくらいか。コロトフ先生、上の血圧が115になるまで輸血をして下さい。ふぅ、もう大丈夫だ、ピノコ。よく頑張ってくれた」


 ◇


「という事なのよ」


 ルスランはまだ起き上がることが出来ないから、横になったまま私の言葉を聞いていた。そして深く青い瞳から一筋の涙がこぼれる。


「皇帝陛下、申し訳ありませんでした。ご迷惑をおかけ致しました」


「もう!謝らないで!私を守ろうとしてケガをさせてしまったのよ。もう二度とあなたを失うことに耐えられないわ。本当に助かって良かった」


 ルスランの手を握るととても温かい。本当に助かったんだって実感が湧いてくる。


「コロトフ先生には先ほどお会いしたのですが、詳しいことは何もおっしゃらなかったので。ハザマ先生にもお礼を言わなければいけませんね。しかしピノコと言うのは?」


「うーん、かなりクセのある先生というか変な先生というか変なヤツというか・・・・多分もうすぐ来るから会えばわかるとおもうわ。気をしっかり持ってね」


「?」


 ルスランがちょっと不思議そうな表情をしている。私が歯切れの悪い言い方をしたせいよね。


 コンコン


「ハザマ先生が来たようね」


 病室のドアが開いて白衣を着たハザマ先生が入ってきた。身長は165センチくらいでルスランとほぼ同じだ。男性にしてはちょっと小柄で線が細い感じがする。そして目が隠れるほどの手入れのされていない黒髪に一部だけが白髪、顔の左半分は火傷の痕のように黒いあざに覆われている。


「え?あ、あなたが先生?」


「そうだ、オレが無免許医のクロー・ハザマだ。傷口の状態を見る。ピノコ、患部を出してくれ」


 私はちょっとだけ天を仰いでから呆れたような表情を作って見せた。そして“ゴメンね、ルスラン”と心の中で呟く。


「はい、先生」


 私は立ち上がってルスランに被さっている布団を下側からはぐっていく。そしてルスランのお腹の上で折りたたんだ。これなら何をされてるか見えないからルスランの精神的負担も少ないわよね。きっと。


「化膿はしていないようだな。これなら大丈夫だ。あと4日、アスピリンと抗生剤を投与して問題ないなら投薬も終了だ」


 ルスランは顔をまっ赤にして下唇を噛んでるわ。お股がスースーしてるはずだから、自分がどんな状態か理解しちゃったはず。下の毛も綺麗に剃っちゃってるし。女の子としては死ぬほど恥ずかしいわよね。私だったら恥ずか死ぬ自信があるわ。


「意識が戻ったなら尿道カテーテルも抜いておこう。長期間の留置は感染症の原因になるからな。尿意を催した時には看護婦を呼んで尿瓶でとってもらえ」


「えっ?先生が抜くんですか?」


 確かにこういった技術を持った人って今のロシアにはまだ少ないからね。ルスラン、本当にごめん。


 私はタオルをルスランのおしりの下に敷く。そしてルスランの右足を少しだけ動かしてカテーテルを抜きやすいようにした。


 ハザマ先生は尿道の周りの肉を指で押し広げてゆっくりと丁寧にカテーテルを抜いていった。


 “これは医療行為、医療行為よ。変なこと考えちゃダメよ、私”


 尿道カテーテルを挿入するときも手伝ったんだけど、あれはちょっと刺激が強すぎるわよね。私が押し広げる役をしたんだけど。手術が成功した後で気が緩んでたのか、勝巳との事を思い出して逢いたくなっちゃったわ。ちょっと自己嫌悪になるくらい私ってはしたないわよね。ふしだらな私をお許し下さい、神様。あ、ルスランが涙をポロポロ流して歯を食いしばってる。これが究極の羞恥の表情“クッコロ”ってやつなのかしら。顔は湯気が出そうなくらいまっ赤になってるわ。これだけ血行が良ければもう心配することは無さそう。本当に良かったわ。


「経過が良ければ四週間くらいで退院できるはずだ。リハビリのメニューは作っておく。関節を全く動かさないと固着してしまうからな、メニューに従って少しずつ動かすように」


 そう言ってハザマ先生は病室を後にした。ルスランは泣きながら先生が扉を出るまで頷いている。ルスランはもうすぐ20才になるんだけど、多分男を知らないのよね。それなのに医療行為とは言えあんな事をされるなんてお嫁に行けないって思っちゃったかも。


「こ、皇帝陛下・・・・あの・・・ハザマ先生って・・・・蒼龍様ですよね?」


「あ、やっぱりわかっちゃったぁ?」


◇次回更新は2月16日(月)です。

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― 新着の感想 ―
このタイミングで抗生剤を持ってるってだけで身バレは必至w
銃創による血管損傷に大伏在静脈グラフトを使うなんて知りませんでした。医療者なのに恥ずかしい・・・。
ひどい小芝居を見たwww アッチョンブリケ!
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