鉄血女帝アナスタシア 第四十三話
ロシアの一番長い日(5)
マンネルヘイム連隊
「交渉は決裂だ。全員戦闘配置に着け!銃構え!敵は逆賊アナスタシア親衛隊!」
マンネルヘイムは隊員に指示を出す。その命令は最悪の事態への号令に他ならない。
「ん?復唱はどうした!副長!」
「連隊長・・・我々は・・・非武装の市民に・・・聖女様に銃を向けることは出来ません!」
「副長、勅命に逆らうというのか?それは逆賊になると言うことだぞ」
副長は何も言わずマンネルヘイムを見て頷く。その覚悟は出来ていると。そして中隊や小隊の隊長達も市民や聖女様に銃を向けることは出来ないと口々に叫んだ。
◇
ヤンコフスキー邸
「ルスラン隊長!敵第一連隊が人民に対して発砲を始めました!」
「狙撃部隊!攻撃を開始!指揮官だけを狙え!」
ルスランの命令は無線通信によって各部隊に瞬時に届けられた。そして、屋敷の上階にカモフラージュをして待機していた狙撃兵達にも伝えられ、正確無比な射撃が始まった。
距離はせいぜい300mほどだ。騎馬に乗って目立つ上級士官に対して斜め上からの射撃は、良く訓練された狙撃兵にとって外す方が難しいだろう。
狙撃部隊の射撃が開始されると、あっという間に騎馬に乗っていた上級士官だけバタバタと落馬していった。それでも一度命令を受けた近衛兵達からの銃撃はすぐに止まらず、銃撃を受けた市民達が雪崩を打って逃げ惑っている。
「近衛第一連隊に告げる!市民に向けての攻撃をすぐに中止しろ!もし現時点以降攻撃を続けるようなら容赦はしない!市民に銃を向けることは新生ロシア帝国において最も罪は重いのだ!鉄血女帝アナスタシア・レーニナ様の命令に従わない者は逆賊として処罰する!」
ルスランが大音量で放送したにもかかわらず多くの兵士が銃撃をやめない。この時代、命令は部隊の末端まで伝わるのが難しく指揮官が死亡していることすら気付かないことが多いのだ。
「くそっ!擲弾兵!擲弾投射だ!市民を守れ!」
※擲弾 手榴弾やグレネード弾のこと。現代のような擲弾は第一次世界大戦中に開発された。1913年時点においてルスランが使用したような擲弾投射器はまだ実用化されていない。
ルスランの命令で用意してあった擲弾筒数十本が並べられる。擲弾は銃弾より広範囲に殺傷能力を発揮するため使いたくは無かったが、これ以上市民の犠牲を増やすことも出来ない。
近衛第一連隊の中で次々に爆発が起こる。その爆発一回毎に数名から5名程度の兵士が吹き飛ばされていく。そしてそれを大砲による砲撃だと勘違いした兵士達は負傷した者を引きずって撤退を始めた。
◇
「マンネルヘイム連隊長、あなたの賢明な判断に感謝致します」
「はい、アナスタシア新皇帝陛下。我々は陛下の盾となり剣となり戦いましょう。全ては一億ロシア国民の為」
マンネルヘイムは当初親衛隊に銃を向けるように指示を出した。しかし、副官を含め連隊の小隊長や中隊長がそれに従わなかったのだ。そして近衛兵の銃は市民を殺すためのものではないと一般兵に聞こえるように大きな声で訴えた。マンネルヘイムはその上申に理解を示しアナスタシア親衛隊に恭順を示した。その英断に連隊の一般兵達は歓喜する。
“ここまでは予定通りね”
マンネルヘイム連隊長にはこの一年間何度も直接会って説得をしたわ。元々フィンランド出身のマンネルヘイムの望みはロシアに支配されているフィンランドの独立なんだから、私がロシアの実権を奪ったらすぐにフィンランドを完全独立させるって約束したの。お母様の浮気現場の証拠を押さえてラスプーチンをその場で確実に殺すこともあらかじめ計画したとおりよ。
もちろんその事は秘密なので、一般兵や市民に見えるように茶番劇をしている。これでマンネルヘイムが私の“徳”に恭順したとみんな思うわよね。
「マンネルヘイム隊長。ヤンコフスキー邸に向かった第一連隊の制圧に成功したと連絡がありました。私たちは二方向から王宮を目指します。あなたの部隊は親衛隊の旗を掲げて国会と警察本部を制圧して下さい。連絡用に無線機をお渡ししますわ。操作方法は以前説明したとおりです」
親衛隊のメンバーが肩掛けタイプのポータブル無線機を持ってくる。重さは5キロほどでこの時代の無線機としては非常識なほど小型に作られているらしい。蒼龍の設計図を基にヤンコフスキー家の工場で50台ほどが完成している。Dセル(単一)の乾電池12本で約20時間動作をするそうだ。
「ありがとうございます。新皇帝陛下」
◇
警察本部
「どういうことなんだ!首相とは連絡が取れないのか!?」
警察長官のベレツキーが秘書官に怒鳴り散らしていた。近衛連隊がヤンコフスキー邸とアナスタシア親衛隊本部に向かったという情報は掴んだ。しかし、現時点で内務省管轄の警察本部には何の連絡も指示もないのだ。しかも電話線が切られたのか電話も完全に使えなくなっている。ヤンコフスキー邸の方面からは銃声や爆発音が聞こえてきており、近衛連隊と親衛隊との間で武力衝突があったことは間違いないだろう。だが情報が全くない。
「長官!近衛連隊がアナスタシア親衛隊の旗を掲げて迫ってきています!」
「近衛連隊が親衛隊の旗をだと!?」
◇
王宮
「マンネルヘイムが裏切っただと?しかも第一連隊は壊滅?どうなっているのだ・・・・。近衛連隊の中で最も信頼を寄せていたマンネルヘイムが裏切ったとは・・・・・。さらに陸軍参謀本部とも電話線が切られているようで連絡も取れないだと?これだけの事を本当にアナスタシアがやってのけたのか?この日のためにここまで周到に準備をしていたと言うことなのか?」
ニコライは報告に来た近衛連隊の伝令を下がらせ一人になる。この数日で何もかもが変わってしまった。妻は不貞を働きラスプーチンは殺されアナスタシアは反乱を起こした。そしてマンネルヘイムが反乱軍に加わって近衛連隊を率い王宮を目指している。頼みのコサック兵団は郊外に駐屯していてすぐに来る事は出来ない。もはやアナスタシア親衛隊と裏切ったマンネルヘイムを止める手段が全くないのだ。王宮の警護をしている近衛兵や憲兵達だけではまさに蟷螂の斧だろう。
「お父様!何が起こっているのでしょうか?アナスタシアが反乱を起こしたと聞きました。本当なのですか?」
「オリガ、タチアナ、マリア。お前達は危ないから自分の部屋に入っていなさい。警護は厳重にさせる。心配するな。反乱はすぐに収まる」
※オリガ、タチアナ、マリア アナスタシアの三人の姉
「やはり反乱は本当なんですね・・・。アナスタシアが・・・・。でも、反乱を収めるということはアナスタシアを殺すということですか?それに先日からお母様が何処にもいらっしゃらないのです。お父様」
長女のオリガが心配そうにニコライを見上げている。ロマノフ家の4姉妹はとても仲が良いことで有名だったのだ。それなのにアナスタシアが反乱を起こしたと言うことがどうしてもオリガ達には信じられなかった。
「心配するな。アナスタシアはヤンコフスキー男爵にそそのかされているだけだ。この騒動が収まればきっと正気に戻るだろう。アナスタシアはまだ12才の子供なんだから重たい罪に問うようなことは無いよ。それにアレクサンドラはアナスタシアの説得のために動いてもらっている。そっちも大丈夫だ」




