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クリサンセマムは……弱い。よわい。弱い生き物だった。
兎よりもなお弱い。まだ大人になっていない、中途半端な年ごろで、さらに女であっても……普通は、もっと強い。手足は棒よりも細い。肌は、いつまでたっても白い。食事はほとんどしない。毒にも薬にも弱く、血の匂いにさえ倒れる。
拾い得た病をこじらせて、あっけなく儚く散ってしまわぬのが、不思議なほどだ。
今、こうして寝付いている……目を離したその隙に。
小さな呼吸は止まってしまう気がしてならない。
***
扉を後ろ手に静かにしめた後、ワッと足音を殺した仲間たちに囲まれることは、ザラだった。
そして大抵、最初の言葉はいつも同じだ。
「なあトウツ。どうだ、様子は」
苦笑を返す他に、どうすればいいのだろうか。
「ただの風邪ですね。大袈裟なんですよ、これしきのことで。クリサンセマムの方が、よほど落ち着いています」
「つったってなあ。俺たちじゃあ、どうしたらいいのか、さっぱり分からん」
「別に何をするってほどでもない気がしますよ、ハレ。熱さましの薬はクリサンセマムが持っていますし、あて布も冷水もあの子が自分で言い出した。違いますか?」
「布は自分で持っていたぞ」
「慣れているんです。私たちを呼び戻す必要はなかったでしょう」
正論を突かれて、ハレはついに黙り込んだ。トウツは眉根を寄せたままの男をじっと観察する。腕力はからっきし、武器は暗器を使った速度と正確さの自分自身とは違い、ハレは上背もあればガタイもいい。当然、真正面から敵とぶつかっても、当たり負けをしないだけのつよさがある。
顔も優男だと揶揄されるトウツからすれば、充分に迫力のある目つきや太い眉がある。有体に言えば強面なのだが、そんな優秀な傭兵が、子供の風邪で毎度毎度落ち着きをなくすのだ。
ハレだけではない。
後ろの、これまた似たような傭兵たちが、揃いも揃って、同じような顔できまり悪く視線をそらしている。
総勢、十数名。
これを可笑しいと言わずして、なにを笑えばいいのか。
「……だがよ、トウツ。こちとら風邪なんぞ、生まれてこの方引いたことねえんだぞ。もし違う病気だったらどうすんだよ」
これまた、言い訳も変わらない。
「そうだよなぁ」
「熱なんて……」
「なあ。いつも熱いくらいだけどよ」
「ワシなんぞ、記憶さえ定かでないわい」
「そりゃボケが始まってんだろ、ラビ」
どっと沸く。馬鹿な事を、と先ほどとは違う意味でトウツは笑いたくなる。
もとより、トウツも……そしておそらくは野兎も、期待などはしていない。頑健さだけが売りのようなヤツラなのだ。仕事ははっきり言ってまともでないし、普段の行いはそれに輪をかけて悪い。
「その時はクリサンセマムが気づきますよ。あなた方と違って、あの子は『慣れて』いますから」
常のことであれば、そうかあ、で終わるのだが。
「けどさ。もしかしたら、そのままぽっくり逝っちまうかもしれないぜ」
「……」
不用意な発言をした馬鹿を、トウツは逃さなかった。ごく細い、針のような剣が飛ぶ。
掠めたのは、レプレの頬。
最年少のまだ少年じみた顔をしたレプレは、鋭すぎる一撃に身動きも出来なかった。
「で、野兎は?」
無視し、ハレは話題を変える。
「例によって、あの子が離さないようですね。寝台の脇にいますよ」
「――あんたには、そう見えんのか」
「なんですって?」
ぼそっと呟かれて、トウツが聞き返す。ハレはただ、首を振った。
早駆けを得意とする事を生かして、トウツと野兎が物見に出た。そこをわざわざ名指しして両方の帰還を促したのはハレだ。
トウツと、野兎。
二人の帰還。だが本当に必要なのは、ただ一人。
名を書かなければ、戻ってくるのは一人だけ。それをハレは経験で知っている。
だからこそ、二人の帰還を求める。きちんと名前も書く。
叫んでも届かない距離にいる男に、戻って来いと伝えるために。
***
熱のせいか、ぐったりとしたクリサンセマム。
荒い呼吸は苦しげで、眉間には浅く皺が寄っている。落ちそうになっていた額の布を、水にさらしてから乗せた。と、薄く目を開く。
唇が動いた。声にならない、吐息がこぼれる。
野兎は動かなかった。ただ伸ばされた手に、じっと視線を注ぐだけ。細い腕は、すぐに力を失って落ちた。掛布から出た腕を、野兎が戻す。
ずっと変わらない。
棒のような手足も、胸よりも低い身長も。
ふらふらとした歩き方、ちっともよくならないおめでたい頭も。
寝込みながら、囁く名前も。
そして……縋りつかれる度に、立ち尽くす野兎自身も、変わらない。
「……」
もう一度、ただ呼ばれた。
***
ハレは、思う。
そばにいたいと告げるのは――少女。
傍らに立たねばならないのは――男。
別れに耐えられぬのは――――