第22話 帰る場所
澪の声を聞きつけ、先に砂浜へ姿を現したのはナイラだった。
長い黒髪はほどけかけ、額には大粒の汗が浮かんでいる。いつもは歩みの遅いマレアも、その後ろから杖で砂を突きながら懸命についてきた。
澪が手を振ると、ナイラは足を速めた。安心した顔を見せてくれると思っていた澪は、近づいてきたナイラの険しい表情に戸惑った。
「ナイラ?」
ナイラは澪の肩と腕を確かめ、膝についた砂を払った。新しい傷がないと分かった途端、その身体を強く抱きしめる。
潮と汗の匂いがした。背中へ回された腕は、少し震えていた。
「勝手にいなくなったら駄目でしょう。どれほど心配したと思っているの」
声は厳しいのに、澪を抱く力は優しかった。
言葉の意味が分からない澪にも、ナイラが怒っていることは伝わった。
「ごめんなさい……」
小さく謝ると、ナイラはその言葉を知らないはずなのに、澪の後頭部へ頬を寄せた。
ようやく追いついたマレアは、澪の前へ腰を下ろした。皺の深い顔をいっそう険しくし、杖で地面を二度叩く。
それから、誰もいない寝台を示すように両腕で四角を作り、胸を押さえて苦しそうな顔をしてみせた。続いて澪を指さし、勝手に歩いていった足跡を杖の先でなぞる。
何も言わずにいなくなり、どれほど心配させたのか。
その叱り方は、言葉が通じなくても十分すぎるほど分かった。
「マレアも、ごめんなさい」
澪は頭を下げた。
マレアはしばらく厳しい目で見つめていたが、やがて深く息を吐いた。澪の額へ手を当て、熱がないことを確かめると、乱れた髪を指で整える。その仕草に、澪の胸が少しだけ温かくなった。
父と母を探しているのは、自分だけだと思っていた。けれどマレアとナイラも、自分がいなくなれば探しに来てくれる。息を切らし、汗をかき、見つけたら怒るほど心配してくれるのだ。
ナイラに抱き上げられた澪は、帰り道で何度も後ろを振り返った。
テヴァは空になった籠を持ってついてくる。澪と目が合うたび、もう一人で行くなと言うように首を横へ振った。
「もう、ひとりでいかない」
澪が答えると、テヴァは言葉の代わりに小指を差し出した。意味は分からなかったが、澪も自分の小指を絡めた。
マレアの家へ戻ると、澪は寝台へ座らされた。足の裏についた細かな砂をぬるい湯で洗われ、乾きかけた膝の傷には新しい薬草が当てられた。
処置を終えたマレアは、澪の掌に握られた二つの石へ目を留めた。
「だめ。これは、パパとママなの」
取られると思った澪は、慌てて胸元へ隠した。
マレアは首を横へ振った。
部屋の奥から平たく削った木の板を持ってくると、壁の低い位置へ渡し、小さな棚を作った。その上へ編んだ葉を敷き、庭から摘んだ白い花を一輪置く。
そして、澪へ手招きした。二つの石を、ここへ置いてよいのだと伝えているらしい。
澪は迷ったが手放せば、父と母まで自分から離れてしまうような気がした。
それでも石を置く場所ができたことは、少し嬉しかった。寝台の上では転がり落ちてしまうが、そこなら二つを並べておける。
澪は大きい石と細長い石を、互いに触れ合うようにそっと置いた。その間へ、桃色の筋が入った巻き貝を立てかける。
「パパ。ママ」
呼びかけても、返事はなかった。
代わりに窓から風が入り、白い花を小さく揺らした。マレアは棚を指さし、それから家の中を示すように両腕を広げた。
「ファレ」
「ふぁれ?」
澪が首を傾げると、テヴァが床や壁、屋根を順番に指さした。
「ファレ」
どうやら家を意味する言葉らしい。
「マレアの、ファレ」
澪が言うと、マレアは少し考えてから首を横へ振った。
マレアは自分を指さし、次に澪を指す。そして二人を包み込むように腕を広げ、もう一度告げた。
「ファレ」
ここは自分だけの家ではない。そう言われた気がして、澪は新しく作られた棚を見上げた。
「パパとママも?」
マレアは二つの石へ目を向け、ゆっくりとうなずいた。澪はまだ、この場所を自分の家とは呼べなかった。
それでもその夜、眠る前に二つの石へ「おやすみ」と告げたあと、マレアにも同じ言葉をかけた。
「おやすみ、マレア」
意味を知らないマレアは、澪の頬を撫でながら、同じ音をゆっくりと返した。
「オヤスミ、ミーオ」




