5話 ホームルーム
ネイビーブルーの軍服を纏い、紫の髪を高く結い上げた一人の女性が、手にプラスチックの箱を乗せた台車を動かしながら、静かに教室へと姿を現した。
ポニーテールが歩みに合わせて揺れ、そのたびに、張り詰めた空気にわずかな律動が生まれる。
規則正しい足取りで教壇まで進むと、彼女は台車を脇へと寄せ、教卓の前にすっと立った。
「はーい! みんな、入学式お疲れさま」
先ほどまでの厳粛な空気とは打って変わって、明るく弾んだ声が教室に広がる。
「初めての環境で疲れてると思うけど、あと少しだけ頑張ってね。さてさて、まずは自己紹介からいきましょうか」
彼女は白いチョークを手に取ると、黒板へ向き直る。
キュッ、キュッ、と小気味よい音が教室に響く。その音はどこか心地よく、張り詰めていた空気を少しずつ和らげていくようだった。
タン! と軽やかな音を最後に、手が止まる。
振り返ったその背後、黒板には白くくっきりと名前が刻まれていた。
「朝倉咲です。今日から皆さんの担任になります。これからよろしくね」
にこりと微笑み、最後の「ね」で軽くウインクを添える。
どうやら、思っていたよりもお茶目っ気があって親しみやすい人物らしい。
「さて、さっそくだけど、みんなに配るものがあるわ。名前を呼ばれたら前に来てね」
朝倉先生は名簿に目を落とし、一人ひとりの名前を丁寧に呼び上げていく。
呼ばれた生徒は順に前へ出て、プラスチックの箱の中に収められていた黒い端末を受け取っていった。
私の番が来て、それを手にしたとき。
ずしり、とした重みが掌に伝わる。ただの電子機器とはどこか違う、妙な存在感があった。
席に戻り、電源を入れる。
エメラルドグリーンを背景に日付と時間、曜日が記されており、時間の上には、小さな錠前のマークが表示されていた。
顔認証だからか、画面に表示された時点で、錠前は解除されており、私の指は自然と次の段階へと移行していた。
画面は移り変わり、計算機やカレンダーなどと言った見慣れたアプリが整然と並ぶ中、一つだけ一般的なスマートフォンには存在しない異様なアプリがあった。
それは『学生証』というアプリ。
「今、皆さんに手渡した端末は、防水機能や耐久性、耐熱性に優れた品物で、たとえ海の底に落としても、何百、何千メートルの高さから落としても、何千度の炎に飲まれても、この端末が壊れることはないので、ご安心を」
朝倉先生の説明を横目に、私は試しに学生証と書かれたアプリをタッチすると、その名の通り、私の顔写真や所属する学校名、その学校の校章などの要項が記載されていた。
さらに視線を下げると、『学生証』『規則』『学内地図』『口座』『鍵』『その他』と並ぶ項目。
何気なく『口座』に触れた、その瞬間。
――なっ!?
思わず息を呑む。
そこに表示されていた金額は、あまりにも現実離れしていた。
「……もう気づいた子もいるみたいね」
朝倉先生の声が、静かに重なる。
「その学生証アプリの口座。確認した通り、全員に百万円が振り込まれてるわ」
教室がざわつく。
「しかもそれは毎月支給されるの。最低でも百万円。任務をこなせば、その分だけ追加報酬も出る」
ざわめきは、もはや抑えきれない波となって広がっていく。
――毎月、百万円。
一学生に与えられる額としては、あまりにも規格外だった。
「驚くのも無理はないわ」
朝倉先生は、しかし落ち着いた声で続ける。
「でも、よく考えてみて。あなたたちはこれから"死ぬ"かもしれない場所に向かうのよ。命を懸けてゴーストと戦い、日本の未来に希望を繋ぐ。あなたたちは、国にとっての"宝"よ。だからこそ、それに見合う対価は支払われるべきだと、私は思う」
朝倉先生から告げられた"死ぬ"という言葉は、ざわついた教室を一気に塗り替え、重たい沈黙を浸らせる。
何人かは死という重圧により、目を伏せたり、腕を抱きぷるぷると震える身体を抑えたりなど、十人十色の表現技法を用いて、心情を露にしていた。
「ごめんなさい。入学早々、皆さんを不安にさせるような言葉を使ってしまって……さて!」
朝倉先生は柔らかな笑みを浮かべ、わざとらしく元気はつらつな声を出す。手をパン! と鳴らして、クラスメイト達の意識を無理やり不安から逸らさせた。
「今、渡した端末に学院の説明が全て記載されているので、各自でよく読んでください。皆さんお疲れでしょうから、今日は英気を養って、また明日、この教室で元気な姿を見せてくださいね。では、今日はこれにて、解散!」
朝倉先生の快活いい解散宣言で、クラスメイト達はぞろぞろと教室の外へと出て行き、自分たちなりの英気を養う。
「凜ちゃんは、このあとどうするの?」
人の流れが落ち着いたころ、私は隣の凜ちゃんに声をかけた。
「え、えっと、ま、まだ考えてなくて……ひ、ひか、りちゃんは?」
「私は、学院の中をちょっと見て回ろうかなって」
「あ、じゃ、じゃあ。もし、お、お邪魔じゃなかったら……わ、わたしも一緒に、付いて行ってもいい、かな……?」
凜ちゃんはためらいがちにそう言って、互いの人差し指をちょん、と触れ合わせる。
指先は落ち着きなく揺れていて、その小さな仕草に、胸の内の不安がそのまま滲み出ていた。まるで、拒まれることを前提にしているみたいに。
「もう、凜ちゃん。私達は友達なんだから、お邪魔なんて思わないよ。むしろ一緒に行こ?」
私の言葉で憂いを帯びた表情が、一気に花が咲いたように、嬉しさに満ち溢れていた。
「う、うん!」
こうして私と凜ちゃん肩を並べて学院内を散策し、気づいたころには辺り一面、夜の海へと沈んでいた。




