45話 間接キス
人型ゴーストとの死闘の次の日。
穏やかな朝が流れる中。
「ど、どうしよう……! 全然、服が決まらないよおおおおお!!!」
私は地面に散らかった数々の服に囲まれて、一人、頭を抱えていた。
「どうしよう、もう、雫さんとの待ち合わせまで時間がないのに」
昨日、任務の帰還中に、雫さんからパートナーとして絆を深めるため、明日の休養日、一緒でどこかに遊びに行かない? とお誘いを受けた。
しかも、学院内ではなく、学院の外に行くとのこと。雫さんの誘いに私は「行きます!」と即答。
その時は雫さんと一緒に居られることが嬉しくて、何も考えずにそう言ったけど、朝起きて、冷静になった頭で考えて、これって、ありていに言えば雫さんとデートってことになるよね? と今更ながらに気付いた私は、もう、小一時間ほど服装選びに格闘していた。
雫さんとは、十時に寮のラウンジで集合となっている。流石に遅刻するなんて言語道断。
「よし、これにしよう!」
私は白いハイネックの長袖のインナーに、ワンピースのような長めの丈の赤いキャミ―ソールに決めて、急いで着替える。
出る前に姿見で最終チェック。
服装、髪の毛の乱れがいないかきっちりと身だしなみをチェックした後、私は小さいショルダーバッグを肩にかけて、部屋から出た。
ラウンジへと赴いた私。時計を確認すると、時間は九時五十分。雫さんの姿は見えず、何とか遅刻は免れたことに安堵の息を零す。
「光ちゃん」
と、私がラウンジについてすぐ、雫さんから声がかかる。振り返った私は、初めて見る雫さんの私服姿に目を奪われた。
胸元には繊細なレースをあしらった白いトップス。その上から羽織ったくすみピンクのカーディガンと、くすみブルーのスカートが、控えめながらも上品な彩りを添えている。
春風をまとったような柔らかな印象の中に、愛らしさと大人びた落ち着きが絶妙に共存し、その装いは雫さんの雰囲気と見事に調和していて、息を呑むほどに美しい。
「? 光ちゃん。顔真っ赤だけど、大丈夫?」
「は、はい! 全然大丈夫です! その……雫さんの私服姿があまりにも新鮮で、その、すごく綺麗だったので……つい、見惚れちゃって」
「あ、そうなんだ。ふふ、ありがとう。光ちゃんこそ、とっても可愛いよ」
「か、かかか、可愛い!? あ、ありがとうごじゃいましゅ! っ~」
胸の鼓動が早鐘のように鳴り響き、私の頭の中は真っ白。思うように舌が回らず、噛んでしまう私。
今回こそは憧れの人の前で醜態をさらさないと決めていたのに、この調子では先が思いやられる。
「ふふ、それじゃあ、行きましょうか」
「ひゃ、ひゃい!」
そうして私たちは、並んでラウンジを後にした。
*
「お~? お二人さん。これからお出かけ~?」
寮を出て校舎前の噴水広場を通りかかると、背後からおっとりとした声が聞こえてきた。
「あ、奏さん。はい、そうです。これから二人で学院の外へ出かけるところなんです」
雫さんが西園寺先輩と楽しそうに話している傍らで、私は石像のように固まっていた。
「こんにちは、神崎さん」
「こ、ここここ、こんにちは、です!」
前回の選抜パートナーのときにも言葉を交わしたし、少しは慣れたと思っていたが、全然そんなことはなかった。
むしろ、あのときよりも悪化している気がする。
理由の一つは、西園寺先輩が制服ではなく私服姿だったことだ。
派手さを抑えた上品な装いは、彼女の清楚な雰囲気をいっそう際立たせている。もともとの美しさも相まって、思わず目を奪われてしまうほどだった。
そして、最もな原因は、学院で『二大天使』と称される二人と同じ空間に、今こうして自分が立っていることにあった。
雫さんと西園寺先輩。
学院のアイドルとも称される二人が並ぶ光景は、まるで一枚の絵画のようだった。
そんな眩しい空間の中にいるだけで、心臓は今にも飛び出しそうなくらい高鳴っていた。
ド緊張で固まっていた私に、西園寺先輩が何の前触れもなく抱きついてきた。
「お~、神崎さん。すごい、すごい! モフモフだよ~!」
「わ、わわ……わわわぁ……」
頭の中は真っ白。何が起きたのか理解する前に、私の思考が完全に止まってしまっていた。
「奏さん! いきなり光ちゃんをモフモフしないでください! 光ちゃん、ショートして言葉も出なくなってますから!」
「おっとっと、ごめんごめん。つい~」
「『つい』じゃありません。光ちゃん、大丈夫?」
「わ、わあ……」
「ひ、光ちゃん!? 正気に戻って! これからお出かけするんだよ!」
「はっ! す、すすす、すみません。いきなり抱き着かれたものですから、頭が真っ白になってしまって……」
抱き着かれたことだけは覚えている。でも、その時の自分がどんな反応をしたのかは、まるで記憶から抜け落ちていた。
「えっと、奏さん。それでは私たち、これから出かけますので、失礼します!」
「し、失礼します!」
「ふふ。いってらっしゃい。楽しんできてね~」
西園寺先輩の朗らかな声に見送られ、私たちは学院を後にした。
*
カランコローン!
扉を開けた瞬間、心地よい鐘の音が店内に響いた。
中へ足を踏み入れると、木の温もりを感じるほのかな香りが鼻をくすぐる。深く息を吸い込むだけで、自然の中に迷い込んだような気分になった。
「いらっしゃいませ――って、あら?」
柔和な笑みを浮かべた女性が私たちを迎えると、雫さんの顔を見て小首を傾げた。
「あなたは確か……雫ちゃん?」
「私のこと、覚えてらしたんですか?」
「ええ、渚のお友達だもの。忘れるはずないわ。と、いうより、一昨日、葉月ちゃんとここにきて、あなたのことと、神崎さん? っていう子のことを話してくれたわ」
突然自分の名前が出てきて、思わず目を丸くする。
「わ、私のこと……!?」
「あら? もしかして、あなたが渚の言っていた、神崎光さん?」
「あ、は、はい! そうです」
「ふふ、どうも。反町京子です。渚がお世話になってます」
「い、いえ。お世話になってるのはむしろ私の方です」
「そう? 渚が言うには、『凄い後輩でいろいろ救われた』って」
「そ、そんな……! わ、私は別に何も……」
私としては大したことをしたつもりなんてなく、どう返せばいいのかわからず口ごもってしまう。
そんな私を見て、京子さんはくすりと笑った。
「ふふ。本当はゆっくりお話ししたいところだけど、今は仕事中だから。それはまた今度。二人とも、空いている好きな席へどうぞ」
「はい。じゃあ、行こっか」
「は、はい!」
雫さんに促されるまま、席へと向かう。
その足取りには一切の迷いがなく、すでにどこに座るか決めているようだった。
店内には観葉植物があちこちに飾られ、木の机や椅子と調和して、まるで森の中にいるような穏やかな空間が広がっていた。
夕暮れが近づき、窓から差し込むオレンジ色の陽光が葉の隙間を抜け、店内にやわらかな木漏れ日を落としていた。
ここは山梨県・河口湖のほとりに建つ『ネイチャーカフェ』は、反町先輩のご両親が営んでいる。
店内を見渡しながら歩いていると、不意に雫さんが足を止めた。
窓際にある席だった。小さなテーブルを挟み、二脚の木製の椅子が向かい合っている。
私が手前、雫さんが奥へと腰を下ろした。
壁に立て掛けられていた小さなメニューを手に取りそれぞれ頼む品を吟味。
雫さんからここのケーキが美味しいとのことで、私はカフェモカとショートケーキ、雫さんはロイヤルミルクティーとチョコレートケーキを注文した。
注文を終えると、二人の間に静かな時間が流れた。
けれど、私の胸の内は穏やかとは程遠い。今日のお出かけでは隣を歩くことがほとんどで、こうやって向かい合う形は初めてだった。
せっかくほぐれていた緊張が、また少しずつ胸の中で膨らんでいく。
ちらっと、雫さんの方を見ると、頬杖をつきながら、横を見ていた。
その横顔はどこか儚げで、ほんの少し寂しそうにも見える。
私もつられて雫さんと同じ方向に視線を向けると、そこでは親子連れが楽しそうに笑い合っていた。
不意に、ジュースを飲んでいた五歳くらいの女の子がこちらに視線を向けてきた。
ちらちらと私と雫さんを見てからに、隣に座る母親の袖をちょんと引き「あの人たち凄くかわいい」と伝えていた。
その言葉に、母親も私たちへ視線を向けると、「ほんとね~」と、くすりと笑って頷く。
「ふふ。聞いた? 私達可愛いって」
「ふえ!? えっと」
突然話を振られ、慌てて雫さんへ視線を向ける。そこには、さっきまでのどこか儚げな表情はなく、穏やかな笑みが浮かんでいた。
どう返せばいいのかわからず視線をさまよわせていると、また、女の子が私達を見ていた。女の子は雫さんを見るなり、瞳を大きく見開く。
私は何事かと思って雫さんの方へと向けると、雫さんは女の子に向かって小さく手を振っていた。
それに気づいた女の子は、笑顔いっぱいに手を振り返していた。
――私もあの子みたいに、緊張なんて忘れて、素直に雫さんと接することができたらいいのに。
こういう時ばかりは、子どもの無邪気さが少し羨ましかった。
「お待たせしました。こちらロイヤルミルクティーとカフェモカ。そして、ショートケーキとチョコレートケーキでございます」
京子さんは手に持つトレイから一つ一つの品を机に置くと、「ごゆっくりどうぞ」と言う文言と共に退散した。
「じゃあ、いただきましょうか」
「は、はい!」
私たちはそれぞれ飲み物をひと口飲むと、ケーキを口に運ぶ。優しい甘さが口いっぱいに広がり、自然と笑みがこぼれた。
「う~ん。美味しい~」
私は頬に手を添えながら、甘い幸せに身を委ねる。
「ふふふ」
甘味に酔いしれていると、不意に正面から控えめな笑い声が聞こえた。
「光ちゃん。凄く美味しそうに食べるねえ」
その笑い声の主に顔を向けると、こちらを見ながらにこにこと微笑ましそうに見ている雫さんが。
窓から差し込む柔らかなオレンジの陽光を浴びたその笑顔は、思わず見惚れてしまうほど綺麗だった。
本来なら、その笑顔に身も心も奪われていた私だというのに。
「あ、ああ……」
雫さんに、子供っぽい姿を見せた恥ずかしさにより、私はそれどころではなく。
「あ、光ちゃん。口元にクリーム付いてるよ」
羞恥で顔が真っ赤になっているだろう私に、雫さんはさらなる追い打ちをかけてきた。
私の口端についたクリームを指で拭き取った雫さんはそのまま、口元へ持っていき――
ぱくり。
私の口元のクリームは雫さんの口の中へと消えていった。
その瞬間、世界から音が消えた。
――い、今のって……
さっきの光景が何度も頭の中で再生される。
私の口元のクリームを雫さんは指で掬い、そのクリームを雫さんは戸惑うことなく食べた。
私の口元のクリームが雫さんの口の中に。
私の口……雫さんの口。
口と口。
――それってつまり……
私の頭は考えるよりに、答えが出ていた。
――間接キス。
その言葉を認識した瞬間、ぷしゅう、と今にも湯気が立ち上りそうな勢いで顔に熱を帯びる。
「ひ、光ちゃん!?」
私はその熱に耐えきれず、机に突っ伏した。
「ひ、光ちゃん! 光ちゃんってば、しっかりして! ねえ、ねえってば!」
雫さんの慌てた声がどこか遠くに聞こえる。私はそれに返事をする余裕もなく、
「か、かんせ、つ、キス。かか、んせ、つ、き、す……」
目を回しながらうわごとのように何度も間接キスと呟き、しばらくの間、私は動けなかった。
雫さんとの初めてのお出かけは、こうして幕を閉じたのであった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。今二章を書いてる途中なのですが、一、二ヶ月ほどかかりそうなので、気長に待ってくださると幸いです。




