35話 答えを探していたわけじゃない
反町先輩と話を終えた私は、足に重しが付いているような倦怠感を抱えながら、ゆっくりと寮の廊下を歩いていく。
反町先輩の熱い気持ちは、物凄い熱量があった。それは、態度、言動、などから、節々まで感じた。
全員が苦しみから解放されるには、私が憧れを捨て去るか、私が絶望に堕ちなければいい。
それだけで全てが解決する。万々歳だ。
前者は簡単だ。私が憧れを捨てればいいだけだから。
問題は、後者だ。
「……雫さんとパートナーになった後、か」
そんな想像したことがなかった。
妄想はしたことあるけど、妄想なんて、自分に都合のいいことばかりを並べた夢物語でしかない。
想像しただけで、私は息が詰まるほどに苦しかった。反町先輩と臼井先輩は、どれほどの地獄を味わったのだろう?
分からない。怖い。
「ん。神崎さん」
「ひゃっ! ひゃい!」
考え事に没頭していた為、不意に声をかけられた私は驚きに満ちた返事を返してしまう。
左に首を捻ると、少し眠そうな眼をした臼井先輩の姿が。
「ん。渚と何の話をしていた?」
「ふぇ!? えっと、その、あ、あはは……ちょっと、お菓子をご馳走に」
私は乾いた笑みを浮かべながら、その場を取り繕った。
先程の内容は、反町先輩から口止めはされていないものの、わざわざ、二人だけで話す機会を作ったのだ。
それは、暗に誰にも口にしないでと言ってるのと同義だ。
「ん。本当に?」
臼井先輩は私の言葉が信用ならないのか、ジト目で疑いの眼差しを向けてくる。
「ほ、本当です!」
「ん。じゃあ、私の予想を推理していい?」
「す、推理って……」
臼井先輩は完全に私の言葉を信用してない感じだった。
――なんか、私の言葉って全然信用ならないのかなあ。この学院に来て、凜ちゃん以外に信用されてない気が……。
いや、まあ。嘘をついている私が悪いんだけれども。
「ん。まずは前提として、渚は休みの日は絶対に私をどこかに遊びに行こうと連絡してくるのが、常。でも今日はそれが無かった。ということは、渚はそれ以上に優先することがあったと推測」
臼井先輩は淡々と推理を私に披露する。
「ん。渚は誰かと遊ぶときも、必ず私に一言、誘うことを連絡する。口頭でもメールでも。それは神崎さんの場合でも同じなはず。しかも、神崎さんとは昨日の今日で顔見知り、渚が私に連絡しないなんてありえない。と言うより――」
そこで一拍置き、臼井先輩は小さく首を振った。
「絶対に私の部屋まで突撃してくるはず。渚のことだから……はあ」
頭が痛そうに心底疲れたようなため息を漏らす臼井先輩。
その反応だけで、これまで幾度となく反町先輩の突撃訪問の被害に遭ってきたのだと察せられた。
もはや予想ではなく、積み重ねられた実績に裏打ちされた確信なのだろう。
「ん。神崎さんと一緒ならなおさら。昨日の任務で、ある程度は顔見知りになったわけだから。それなのに、私の部屋に突撃しないってことは、私に聞かれたくない話を神崎さんとしている可能性が高い」
そこまではいつもの調子だった。けれど次の言葉を口にする瞬間、臼井先輩はわずかに眉をひそめる。
「渚は知ってる。私が五日前のパートナー選抜で、神崎さんが雫ちゃんに憧れを壊され、絶望のあまり発狂する姿も、それを見た私が……恥ずかしいから言いたくないけど、耐えかねて涙を流してしまったことも」
苦々しさと気恥ずかしさが入り混じった、なんとも複雑な表情をする臼井先輩。
冷静沈着な彼女からすれば、自分が取り乱した過去を口にするのは相当居心地が悪いのだろう。
「ん。渚はああ見えて、人情家。だから神崎さんに何かを伝えるとしたら、それは自分のためじゃない。私と雫ちゃん、それに神崎さん自身のため」
反町先輩が、人情に厚い人物だということは、先の一件で痛いほど理解させられた。
あれほどまでに容赦のない罵声を浴びせれば、彼女の印象が著しく損なわれるのは避けられない。
相手からどのような目で見られることになるのか、想像するのも容易ではない。
それでも反町先輩は、それを承知の上で、人が救われるのならと、自らその役目を引き受けた。
自分がどう思われるかなど後回しにして、私に鋭い言葉を突きつけたのだ。
その行為が、どれほどの反発や悪評を招くのかも分からないままに。
ひょっとすれば「酷い先輩だ」と陰口を叩かれ、誰かに告げ口され、それが学院中に広まり、軽蔑の視線に晒される可能性すらあった。
やがては孤立し、息の詰まるような日々を強いられていたかもしれない。
それでも彼女は、その全てを引き受ける覚悟を選んだのだ。
そして、すべての“罪”を自分に背負うようにしてでも――。
私が彼女と同じ絶望に沈まないように。
雫さんが、これ以上の苦しみを抱え込まないように。
臼井先輩が、大切な友達が、そして“パートナー”が、これ以上傷つかないように。
私達を救うために、反町先輩は自己犠牲の覚悟をもって、私に真正面からぶつかってきた。
「たぶん、神崎さんは渚からこう言われたと思う――『雫ちゃんに”憧れ”を抱くのを諦めてって』」
「!?」
臼井先輩が予想した反町先輩の発した言葉は、ほとんど模範解答で、私は心臓をきゅっと掴まれた感覚に陥った。
「ん。私の推理、間違ってる?」
臼井先輩は小首を傾げて、今の推理の合否を私に確かめてくる。
今の推理に穴はない。全くもって。
満点以外の何ものでもない。満点以上だ。
完膚なきまでの正しい推理。
「ん。沈黙ってことは、合ってるってことで言い?」
「そ、それは……」
あまりにも完璧すぎて言い訳の余地が無くて、私は口ごもる。臼井先輩は自分の推理に自信が表情に物語っている。
たぶん、私が反論しようが、沈黙を貫こうが、臼井先輩の考えは変わることはないだろう。
それに、私はあまり嘘を吐くのが得意でないことは、入学してからしみじみと実感している。
「そう、ですね。臼井先輩の推理は合ってます」
私は観念して、臼井先輩の推理に正しさを肯定した。
「ん。そう。だったら、神崎さんに一つだけ伝えとく。”私のことは気にしないでいい”」
気にしないでいい。
臼井先輩のその言葉の真意は、たぶん、選抜パートナーの時の罪悪感に押しつぶされたことを言ってるのだろう。
「ん。確かに私は、罪悪感に耐えきれず、涙を流した。でも、あれは私の覚悟が足らなかっただけ。私は渚と罪を背負うと決めた。それに、もう、私はあんな失態は犯さない。だから、神崎さんは、私のことなんか気にせず、自分の決めた道を突き進めばいい。それだけ」
臼井先輩の黄色の瞳は、陰りは無く、そこにあるのはただ、毅然とした覚悟だけだった。
「……臼井先輩。私、どうしたらいいんでしょうか」
私は気づけば、臼井先輩に自分の気持ちを吐露していた。
「ん? どうするって?」
「私、反町先輩に言われて、白雪先輩とパートナーになった後のことを想像したんです。それで、その、ずっと背中に追いつかない日々を送る私が、絶望に堕ちる姿が目に浮かんだんです」
臼井先輩は私の話を遮ることなく、黙って真剣に聞いてくれる。
「私、怖くなって。そこから、気持ちが揺らいじゃって、どうしたらいいのか分からなくなって……臼井先輩、私、どうしたらいいんでしょうか?」
反町先輩との話を終えてから、私の脳裏に焼き付くのは、雫さんとパートナーになった後の自分の姿だった。
臼井先輩は自分のことなんか気にしないでいいと言うが、それ以前の問題で、私は、パートナー後の未来に戦々恐々としている。
「ん~? どうしたらいいって……。今の言葉で答えは出てる気がするけど……」
「え!? そ、そうなんですか!?」
臼井先輩は気持ちを零した私に、小首を傾げて疑問符を浮かべる。逆に『何で分からない?』といった風な雰囲気すら漂っていた。
今の言葉にどこに答えがあるのか、私にはさっぱり分からない。今も、自分の言葉を思い返してみるけど、やっぱり分からなかった。
「ん。神崎さんは、雫ちゃんとパートナーになる未来を想像した。そして、その先で挫折して、絶望している自分を想像し、怖いと思った」
「は、はい。そうです」
「ん。でも、それなら、普通、逃げる選択肢を取るはず。人は本気で無理だと感じたことに、そんなに長く悩まない」
臼井先輩は首を振る。
「才能の差も見えている。追いつけない未来も想像できている。諦める理由はたくさんある。それなのに、神崎さんはまだ悩んでいる。迷っている」
「……」
「それは、諦めたくないと言う気持ちが強いから。ううん。そもそも、もともと諦めてなんかない」
臼井先輩の真っ直ぐな眼差しが私を射抜く。
「もとも、と、諦めてない? わ、私こんなにも悩んでるのに……?」
「ん。神崎さんが悩んでいるのは、憧れを追い求めるかどうか、諦めるかどうか、その”答え”を知りたいわけじゃない」
「ど、どういう意味ですか?」
「神崎さんは、たぶん。誰かにその一歩を踏み出す背中を強引にでも押してもらいたかっただけ」
その言葉に胸が小さく震えた。
否定できなかった。
私はずっと、自分で答えを探しているつもりだった。
けれど本当は違う。
雫さんを追いかける未来も、そこで挫折するかもしれない未来も、想像した。怖かった。
でも、それは、諦めたいとかじゃない。
ただ、自分で決める覚悟が持てなくて、誰かに背中を押してほしかっただけだっただけ。
ただ、それだけだった。
「わ、たしは、どう、したら……いいんでしょうか?」
気づけば、私はもう一度同じ問いを口にしていた。
覚悟の決まらない私の背中を強引にでも押して、強引に一歩を進めてくれる、そんな言葉を求めて。
「ん。ごめん。それは言えない。言うつもりもない。その決断は神崎さんの今後の行方を決定づけることだから。私が無責任に背中を押して、もし、そのせいで、神崎さんの今後をめちゃくちゃにしたら、その罪は、背中を押した私にも襲い掛かる。私は、今でも自分の罪で一杯一杯なのに、これ以上はとても無理」
臼井先輩の表情は少しだけ、陰鬱とするも、すぐに淡白な表情に戻る。そして、私の方へと黄色い瞳を向けながら、
「ん。それに、この手の大事な決断は自分で決めるべき」
そう言った。
確かに臼井先輩の言う通りだ。
誰かに背中を押してもらうということは、その選択の責任の一端を相手に背負わせるということ。
ましてや、それが人生を左右するような決断なら尚更だ。
自分の未来を決める責任ですら重いのに、その責任を他人にまで負わせようとしていた。
それを理解した途端、なんて身勝手で、なんて浅はかなことを臼井先輩に訊いてしまったのだろうと、自分の愚かさ嫌気が差した。
「す、すみません! 私、臼井先輩になんて愚かなことを」
「気にしないでいい。私が伝えたいのはそれだけ。後は、神崎さん次第」
そう言って臼井先輩は踵を返し、私の目の前から去ったのであった。




