26話 親睦会
「あ、神崎さん! こっちこっち」
カフェの奥から飛んできた明るい声に顔を上げると、窓際の席で桃色の髪の少女が大きく手を振っていた。
春先の陽光を受けたその笑顔は妙に眩しく、私は少しだけ背筋を伸ばして歩み寄った。
「初めまして。今日はよろしくね、神崎さん」
少女はにこにこ顔でそう言いながら、私に握手を求めてきた。私はその手を握り返し、
「は、はい、よ、よろしくお願いします。反町先輩」
緊張ぎみに挨拶を返すと、途端に反町先輩は目を輝かせた。
「むふー! はーちゃん、聞いた聞いた? 先輩だって! ねえ、私、先輩って呼ばれた!」
興奮した様子で、隣に座る青髪の少女の肩を激しく揺さぶる。
「ん!? 揺さぶるなバカ渚!」
「だって、だって。ついに先輩の立場になったんだよ! 後輩を導く立場になったんだよ! こんな喜ばしいことないよ!」
「ん! そんなのどうでもいいから、早く私から離れろ!」
青髪の少女は、反町先輩の激しいスキンシップに嫌気が差し、自身の左肩に置かれた反町先輩の手を強引に引き剥がす。
二人のやり取りは、まるで長年繰り返されてきた掛け合いのようで、私は口を挟む隙もなく立ち尽くしていた。
その視線に青髪の少女はいち早く気づくと、今の光景を見られた恥ずかしさで顔が少し赤く染まり、その羞恥心を引き起こした根源たる反町先輩に恨めしさたっぷりの視線を一瞬だけ送ると、こほんと咳払い一つ。
「ん。神崎さん、ごめん。先輩の見苦しい姿を見せてしまった」
「あ、いえ、気にしないでください。臼井先輩も今日はよろしくお願いします」
「ん。よろしく。バカ渚の前の席だと色々厄介なことになりかねないから、私の前に座って」
「ちょっとちょっと! はーちゃん今のどういう意味かな!? まるで私が危険人物みたいに」
臼井先輩の発言に、反町先輩は頬にたくさんの不満を募らせたふくれっ面を披露する。
臼井先輩は反町先輩の不満顔を一瞥することもなく、
「ん。みたい、じゃなくて、事実だから。神崎さん、安心して? バカ渚の悪行からちゃんと守ってあげる」
「むぅ~」
私にそう言う臼井先輩に、反町先輩はさらに頬を風船のように膨らませる。
「あ、あはは……ありがとうございます」
私は二人のやり取りに乾いた笑いを浮かべる。
凄い賑やかな人たちだなと思いながらも、しかし、優しそうな先輩方で良かったないう安堵が満たされた。
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「さてさて、注文も完了したことだし、改めて自己紹介をしとこうかな~」
反町先輩と臼井先輩も私とほぼ同時刻にカフェに到着したとのことで、必然的に注文は三人一緒に行われた。注文し終えると、反町先輩は気の抜けた口調でそう言って、右手を自分の方に向けながら自己紹介をする。
「私は二年Bクラスの反町渚。そして、こっちはパートナーの――」
続けて反町先輩は隣に座る青髪の少女に右手を向ける。
「ん。臼井葉月。渚と同じ二年Bクラス、よろしく」
「一年Aクラスの神崎光です。先輩方、今日はよろしくお願いします」
改めて互いに自己紹介を済ませた私たち。先ほどの騒がしさは一変して穏やかな空気が流れている。
それが返って私の緊張感が駆り立ていた。じっとしているつもりなのに、自分でもわかるくらいに全身がプルプルと震えていた。
「そんな緊張しなくてもいいよ~。ほら、深呼吸深呼吸」
それを見かねた反町先輩は、柔らかな声の調子でそう言って私の緊張をほぐそうとする。
私はその言葉に従い、
「は、はい! ひっひっふ~」
「ん。神崎さん、それラマーズ法」
「ふぇ!? っ~」
緊張から頭一杯一杯で、深呼吸ではない別の呼吸法を実践してしまい、それを臼井先輩に指摘された私は羞恥に悶える。
「よし! じゃあ、私が深呼吸のお手本をするから、それに倣ってやってみよう。はーちゃんもいい?」
「ん!? どうして私まで」
完全に蚊帳の外だと思っていた臼井先輩は、反町先輩から急に振られてどぎまぎしていた。
「はーちゃんだって後輩ちゃんと対面して緊張してるでしょ?」
「そ、そんなわけ……!?」
図星だったのか、今まで淡白な調子の言い回しだったのが、少しだけ感情の起伏が生じていた。
「そんなわけあるの。約一年間ほぼ毎日一緒にいたんだよ? はーちゃんのことなら何でもお見通しだよ!」
反町先輩の真っ直ぐな眼差しに当てられたのか、臼井先輩はわずかに目を見開き、どこか胸を打たれたような表情で見つめ返した。
「ん。渚……!」
「はーちゃん……!」
二人の間に流れる空気は、長い時間を共に過ごしてきた者だけが纏える、穏やかで温かなものだった。
その光景はどこか神聖で、見ているだけで胸が締めつけられるほど尊い。
私は思わず息を呑む。
まるで愛の告白を目の当たりにしているかのように、緊張とは別の高鳴りが胸を打っていた。
固唾を呑んで二人のやり取りを見守っていると――
「ん。何でもお見通しは、流石に気持ち悪い」
と、臼井先輩は白けたようなジト目で反町先輩を見ながら、雰囲気ぶち壊しの爆弾発言を投下した。
今までの神聖さの塊だった空気感は一気に霧散し、私の高鳴る鼓動も落ち着きを取り戻していた。
「ちょっとはーちゃん! 今のは、『ん……本当はね、凄く緊張してた。あまり緊張を表に出してなかったつもりだったけど、渚には敵わないなあ』って言うところでしょ!」
「ん。何その気持ち悪い妄想。渚はやっぱり気持ち悪い。改めて再認識できた」
「むぅ~はーちゃんの意地悪。そんなに気持ち悪いって言わなくても」
「ん。気持ち悪いって言って何が悪い? 事実を述べてるだけ」
「うぅ……はーちゃんの言葉のナイフが、私の乙女心をズタズタにする……。もういいもん!」
反町先輩は頬を膨らませてぷんぷんと怒ったようなそぶりを見せる。
怒りに身を任せて弾むように席を立った反町先輩は迷いない足取りで、空いていた私の隣にどかりと腰を下ろし、そのままぎゅっと抱きついてきた。
「神崎さ~ん。はーちゃんのせいでずたずたに切り裂かれた私の心を癒して~」
「ええっ!? い、癒すってど、どうしたら……!」
「ん!? バカ渚。後輩にみっともない姿を晒すだけでなく、困らせるなんて! この恥知らず! 神崎さんから離れろ!」
反町先輩の突然な行動に私は完全に動揺していた。一方で臼井先輩は怒り声高々に張り上げながら、こちらへ向かってくる。
私はどうしたものかと焦りながら、反町先輩の傷を癒す方法を頭で考えた結果、いつも凜ちゃんにやっていることを――つまりなでなでを実行した。
「ん……ふう、こ、これは……や、やばい」
反町先輩のこらえるような喘ぎ声が聞こえて、咄嗟に私は撫でていた右手をぱっと離す。
「す、すいません! 癒す方法がこれしか思いつかなくて……!」
「あ、やめないで。気持ちよかったからもっと撫でて~」
甘えた声で私の手首を掴んで、自身の頭にぽんっと乗せる。
リクエスト通り私が頭を撫でようとしたとき、ここにたどり着いた臼井先輩は反町先輩の腰を回して、引き剥がそうとする。
「ん! もういい加減神崎さんから離れろ! 後輩に迷惑かけて、同じ先輩として恥ずかしい上に、みっともないから!」
「やだやだ~私の心はまだ癒えてないもん。神崎さんに癒されたい、なでなでをもっと味わいたい~!」
臼井先輩は強引に反町先輩を私から引きはがそうとするも、銅像のようにびくともしない。
反町先輩のわがまま加減に、臼井先輩は辟易し、子供を叱る母親のように腰に手を当てて、「ん。もう!」と言って睨みを利かせた後、私の方へと向いて、申し訳なさそうに目を伏せる。
「ん。ごめん、神崎さん。バカ渚のせいで迷惑をかけてしまって」
「あはは……気にしないでください」
「神崎さんは優しい~」
反町先輩は私の肩に猫のように頬をすりすりと摺り寄せながら、嬉しそうに笑う。
「ん。バカ渚はその優しさに甘えるな。神崎さん、嫌だったら、嫌だってちゃんと言った方がいい。先輩だからって遠慮することない」
「あ、えっと、私は別に嫌ではないので、大丈夫です」
最初こそ急なスキンシップに戸惑っていたけれど、不思議と今はそこまで嫌ではなかった。
それに、静かよりもこうやって少し騒がしい方が緊張を意識しないで済むので、私としてはこの雰囲気を維持していたい。
「神崎さ~ん。なでなでして~」
「は、はい」
反町先輩の要求に私は止めていた手を動かして、頭を撫でる。
ちゃんと手入れされているのが分かるくらいに、さらさらしていて、凜ちゃんとはまた違った気持ちよさがあった。
「うへへ~」
「ん。渚の顔が凄くだらしない。後輩にそんな醜態を晒して、先輩としての威厳はないの?」
「とか言って~ 本当は、はーちゃんも羨ましいんじゃないの? 神崎さんのなでなで凄く気持ちいいよ。ほんとこのままずっと撫でられていたい~。ふみゃあ」
反町先輩は猫が喉を鳴らすみたいに気の抜けた声を漏らして、甘えるように目を細めた。
「羨ましくないし、仮に羨ましいと思っていても、神崎さんに迷惑が掛かるだけ」
反町先輩の言動を、臼井先輩は腕組をして、顔を明後日の方向へ向けながら淡白な返事で一蹴。
やせ我慢ではなく、本当に羨ましくないのだろうと私は思っていた。ただ、
「言ったでしょ、はーちゃんの事は何でもお見通しって。本当はすごーく羨ましいんでしょ?」
長年連れ添ったパートナーである反町先輩は臼井先輩の機微な感情の揺れを指摘する。
「羨ましくない」
「ふ~ん。はーちゃんは気づいてないかもしれないけど、嘘をつくときのはーちゃんって、最初の『ん』を言わないんだよ~」
「そ、そんなわけない」
「まあ、別にはーちゃんがそう言い張るならいいけど? はあ~ほんとに気持ちいい。この気持ちよさを体験できないのは、人生の半分は損してる」
湯船につかっているかの如く気持ちよさそうな声音で、反町先輩は大げさすぎる表現を使って、臼井先輩に挑発めいた発言をする。
「別に損してもいい。そんな醜態を晒すくらいなら」
とそっぽを向く臼井先輩だが、ときおりこちらをちら、ちら、と盗み見る。
羨ましくなどないと言い張りながら、その視線だけが少しずつ素直になっていき、ついには、じいっと羨ましそうにこちらをずっと見ていた。
「はーちゃんも体験してみる?」
「!? いい!」
その誘惑するような反町先輩の言動に、我を取り戻したのか臼井先輩。その誘惑を振り切るように、ぷいってそっぽを向くと、本来の反町先輩を引き剥がす目的も忘れて、席に戻った。
その時にちょうど注文の品が届くも、反町先輩は撫でることを止めないでほしいと懇願してきたため、半ば流されるまま頭を撫でながら、片手間でアイスラテを堪能し、反町先輩はご機嫌よく、ブラックコーヒーを堪能。
そして、臼井先輩はジト目でじーと私たちの動向を伺ったまま、オレンジジュースを堪能。
思い描いていた『親睦会』とは、少し違っていたのかもしれない。けれど、賑やかなその時間の中で、張り詰めていた緊張はいつの間にかほどけていた。
騒がしくて、少し変で、それでもどこか温かい。
そんな二人の先輩との距離が、ほんの少しだけ近づいた気がした。




