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23話 病室でのひととき

「ぐすっ、ひっく」


「落ち着いた?」


「は、い、ひっぐ」


「はい。ハンカチ貸すから、ちゃんと涙と鼻水を拭き取りなさい」


「ずびばぜん……」


 嗚咽を吐きながら、朝倉先生からハンカチを受け取った私は、濡れた頬をそっと押さえた。


 鼻先に残っていた情けない鼻水まで拭い終えるころには、涙で滲んでいた視界もようやく元の状態に戻っていた。


 そこで初めて、手の中のハンカチの柄が目に入った私。そこには、一羽のペンギンが描かれていた。


 青いスーツに赤い(ちょう)ネクタイ。

 丸っこい体型のせいで腹元のボタンは閉まりきらず、縦に長い楕円形(だえんけい)の模様が曝け出されている。

 頭にはバナナの房みたいな髪がちょこんと乗っていて、その小さなヒレで得意げに髪をかき上げていた。


 何とも力の抜ける愛嬌なキャラクターだ。


 こんなゆるかわなキャラクターのデザインが施されたハンカチをお母さん的な雰囲気の朝倉先生が持っているなんて意外だった。

 

 朝倉先生ならもっとこう、無地とかシンプルなデザインなハンカチを好むと思っていた。

 正直、このキャラクターの雰囲気と朝倉先生の雰囲気が別ベクトル過ぎてミスマッチ感が否めない。


「あら? 神崎さん。もしかして”ペンサム君”に興味があるのかしら?」


 じっとハンカチを見つめている私に朝倉先生はどこか誇らしげに口元緩める。

 

「ぺ、ぺん、サムって?」


「何呼び捨てにしてるの神崎さん! ちゃんと”君”まで付けなさい。そこまで名前なんだから。ほら、もう一度ちゃんと言いなさい」


「え、えっと……?」


 朝倉先生の言ってることに何が何だか分からない私は戸惑ってしまう。


 戸惑う私を見つめる先生の笑顔が、なぜだか妙に圧を帯びていっている気がして……


「何? 先生の言うことを聞けないの?」


「ぺ、ペンサム君!」


「よろしい」


 朝倉先生の殺気に近い圧力が私の生きたいっていう本能を刺激し、意図してない声量でそのキャラクターの名前を口にした。

 

 たかが名前。されど名前。

 たったそれだけで命の危機を感じるとは思わなかった。


 朝倉先生から合格の判を押された私は安堵するも、動悸が凄く心臓のバクバク音がうるさく鼓膜を打っていた。


 ――こ、怖かった……

 

 ちゃんと名前を言えなかっただけで逆鱗に触れる程とは、朝倉先生はそれだけこのこのキャラクターが大好きということなのだろう。


 もはや、大好きというより愛していると言っても過言じゃない。


 もし、万が一にもまたこのペンサム君の話題を朝倉先生と話す機会が来た際には、慎重(しんちょう)に言葉を選びをしないと命が幾つあっても足りない。


「いい? 次ペンサム君の名前をちゃんと言えなかったら、神崎さんだけペンサム君という追加科目を受けてもらいますからね。テストで満点を取れなかったら、先生の雑用係か学院の全てのトイレ掃除をしてもらいますから、いいわね?」


「そ、それはあまりにも理不尽――」


「いいわね!」


「は、はいいいい!」


 有無を言わさぬ声音に反射的に頷いてしまった私。


 返事をしたことによりいつ爆発するかもわからない時限爆弾を持たされてしまった。

 より朝倉先生との会話に神経を使わなくなってしまい、気分は憂鬱だ。


 朝倉先生は満足げに頷くと、小さく息を吐いた。


「さて、と。私はそろそろ行くわね。お客さんも来てるみたいだし」


 朝倉先生は扉に目を向ける。私もその視線につられて扉を見た。


「お話は終わったから入ってきてもいいわよ」


 朝倉先生が室内に入る許可を出すと、ゆっくりと扉がスライドしていく。


 現したのは心配そうに眉を(ひそ)める凜ちゃんだった。


「凜ちゃん……」


「ひ、光ちゃん」


 互いの名前を呼び合い、しばらく視線を重ねた後――


「ひ、光ちゃあああん!!」


 凜ちゃんが目に涙を浮かべながら颯爽と私の元へと駆けつけ、勢いよく抱き着いた。


「ごめんね凜ちゃん。心配かけてごめんね」


 肩を震わせながら泣く彼女の声を聞いていると、自分がどれだけ大切に想われていたのかが痛いほど伝わってくる。

 


「二人の感動の再会に水を差すのも申し訳ないけど、もうすぐ訓練の時間だから水無月さん、そこらへんでそろそろお(いとま)しましょうか」


 私たちの再会を傍で見守っていた朝倉先生は、苦笑しながら話しかける。


「それと神崎さん。医者からはもう退院して問題ないって許可が出てるわ。元気なら部屋に戻っても大丈夫よ」


「本当ですか? じゃあ、この後の訓練にも参加します。ずっと寝てたから、身体を動かしたくて」

 

 そう言って腕を回すと、関節の奥で鈍く軋むような感覚がした。

 たった一日、身体を動かさなかっただけで、筋肉は驚くほど重たく、思うように動かない。


 そのわずかな鈍りさえ、今の私には耐え難かった。


 一日訓練を休めば、そのぶんだけ周囲との差が開く。

 だから私は、許される限りの時間を、少しでも強くなるために使いたかった。


 けれど先生は、私の言葉を聞き終えると、小さく首を横に振った。


「神崎さんの訓練に参加したいと言う気持ちは大変立派だけど、昨日の白雪さんとの戦いもあったし、神崎さん自身が元気でも、体はまだ休息が足りてない可能性があるから、まあ、今日は一日自分の身体を労わって英気を養いなさい」


 少し前の私なら、きっと聞き入れなかった。

 無理にでも立ち上がり、身体を動かしていたと思う。


 けれど、先ほど私は、自分自身の感覚と身体の状態が、必ずしも一致していないことを思い知らされたばかりだった。

 その小さな実感が、(はや)る気持ちにブレーキをかける。


「わかり、ました」


「ひ、光ちゃん。訓練が終わったら超特急であ、会いに行くからね!」


「うん。楽しみに待ってるね」



 別れの挨拶を済ませ、朝倉先生と凜ちゃんは次の訓練の授業のため、病室から出て行った。

 私も二人が出て行った少し後に、病室から退室したのであった。





                        *





 リビングの窓から差し込む陽が黄金に成り変わった頃。


 ピンポーン!


 リビングにインターホンの軽やかな電子音が響き渡る。

 

 ソファで寝落ちしかけていた私はその音でまどろみから解放される。

 

 壁際のモニターへ歩み寄る私。


 白いパネルの中には、肩で大きく息をする凜ちゃんの姿が映っていた。授業が終わって、そのまま駆けてきたのだろう。


 額には薄く汗が滲み、呼吸はまだ整っていない。

 

「ひ、はあ、ひか、りちゃん。はあ。き、来たよ、はあ」


 凜ちゃんの息がパネル越しでも感じそうなほどに、凜ちゃんは息遣いは荒い。


 別にそんなに急がなくても逃げやしないに……って思ってしまう。けれど、私に会

いたい一心で走ってきてくれたのだと思うと、凄く嬉しかった。


「うん。今、開けるね」


 その嬉しみを噛み締め、つい微笑んでしまう私は、扉を開け凜ちゃんを招き入れる。


「ひ、光ちゃん!」


 扉を開けた瞬間、凜ちゃんはほとんど飛び込むみたいに私へ抱きついた。

 

 胸元辺りに顔を埋め、子犬みたいに頬を擦り寄せてくる。その無防備な甘え方が愛おしくて、私は自然と彼女の頭を撫でていた。


「えへへ~」


 嬉しそうに声を漏らす凜ちゃん。


 ぴょこんと跳ねたアホ毛も、それに呼応するように、ぶんぶんと激しく揺れ動き、喜びを露にする。


 玄関先で私たちはしばしの間、そんなふれあいをしていたのであった。

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